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少し、晴れた日に

8月に入ってから、立て続けに知り合いの病気の報告を目にするようになった。

SNSの投稿には「がん」や「難病」といった言葉が添えられていて、それらが同級生や同年代の人から発せられていることに、驚きと不安とが混ざった気持ちになった。

転職や独立、結婚の報告で埋まるはずのタイムラインは、文字と句読点だけで淡々と綴られた文章と励ますコメントで埋められていた。

幸い、最悪のケースに至るほどの重症ではなく、きちんと治療や手術をすれば治るものらしいので安堵しているけれど、複雑な心境であることに変わりはない。

もっとも、当の本人が一番苦しいはずで、ぼくが安易に想像できる心境でないことは分かっているけれど。

こんな時、どんな言葉をかければ良いのだろうか。

きっと、本人はどんな言葉でもかけてほしいのだと思う。

SNSに投稿するのだって勇気のいることだし、投稿ボタンを押すまでの間には、苦悩や葛藤、病気を受け入れる覚悟、きっとそれらと向き合う長い時間があったはずで。

自分自身も5年ほど前に手術と入院を経験しているから、ほんの少し心境に寄り添える気がする。


「自分はこんなはずじゃない」とか、「好きなことで生きていたい」とか、どうしても、僕らの中には「生きられる」という大前提がある。

前提を前提とも思えないくらい「当たり前」に感じてしまう。

「今生きていることに感謝しよう」とかそんな話をしたくて書き始めたわけじゃないけれど、やっぱり僕らは人間で、そして不完全な生き物なのだと、そんな表現しか今はできない。

人間である以上、必ずと言っていいほど老いや病気を経験するし、平均寿命80歳とするならば、80歳くらいまで生きられる人と同じくらい、80歳に満たない年齢でこの世を去ってしまう人がいる、そんなことを考えたりした。

病気を抱えた人が不健康なわけではなく、不健康な人が必ず病気になるかと言えばそうでもない、そんな「運命」のようなもので決定づけられているのもまた、何とも言い難い。

万病を予防する方法をぼくは知らないし、かといって、未来に起こりうる病気のことを毎日憂いながら生きていくのも身が保たない。

もし、運命によって決定づけられているのだとしたら、それもそれで怖い。

結局、どうすれば良いか分からないし、きっと数日後には体に悪いと言われるものを食べて、体に負担をかける働き方をして、そういう日常に良くも悪くも何も感じなくなるのだと思う。

そして、また何かのきっかけで同じように複雑な気持ちになるのだ。

だから、こうして書き残している。


こういう時に限って雨が続くのは、良くない予兆のようで気がかりだったけれど、今日の夕方になってようやく少し晴れた。

天気なんて「晴れ」とか「雨」以上に気にしたことは無かったけれど、それ以上の何かを感じるくらい少しナーバスになっていたのかもしれない。ただ、同時に、晴れたことに喜びを感じられて良かった、とも思う。

人間、最後は衰え、何も持てずにこの世を去っていく。

それが宿命なら、身近に起こること、あまりにも些細なことに、これからも何かを感じては一喜一憂していたい。

今はとにかく、友人や知り合いの快復を祈っている。ただ、それだけ。

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