「ソードアートオンライン」SFとしての奥深さ
異世界ファンタジーが日本アニメにおける大きなカテゴリーになってることは、皆さんもご存じの通り。
その中でも最近は転生物が特に目立つんだが、それとは別に独自の存在感を放ってるのが、俗にいうフルダイブ物である。
これは異世界というよりも、VRMMORPGのゲーム世界が舞台というやつだね。
このジャンルで最も有名なのが、「ソードアートオンライン(SAO)」かと。
あとは、「オーバーロード」や「ログホライズン」も有名かな。
これらは主人公たちがゲームにログインした後、なぜかログアウトできなくなるというパターンのやつだが、最近では普通にログアウトできるパターンのやつも出てきている。
そっち系で有名なのを挙げると「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います」や「くまクマ熊ベアー」などがあり、これらは単なるゲーム実況ともいえるヌルいやつで、バトルもデスゲームってわけじゃないし、基本的にはほのぼの系である。
現在放送中の「シャングリアフロンティア」も、このカテゴリーだな。
単なるゲーム実況なんて悲壮感なくてつまんねーだろ、と思うかもしれないけど、なぜか面白かったりするのが正直私も不思議だよ。
このてのやつは、みんなフルダイブマシン(ナーヴギア)を頭部に装着してゲームに参加しており、そこは現実世界の五感とほぼ変わらん仮想現実空間らしい。
その点については作中でもあまり詳しく触れられてないが、どうもそのフルダイブマシンから出る電磁波が脳に直接コネクトする仕組みっぽくて、当然そんなものは現実じゃまだ発売されてないよ。
いや、単に商品化されてないだけで、どこかの国では既に開発済みなのかもしれないけど。
いかにも軍需っぽい分野だしな。
でも、脳神経に直接端末を繋いで情報を送り込むだなんて、よく考えたらめっちゃ怖い。
そもそも、我々の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚は全て脳が伝達信号を処理してることであって、極端な話、たとえ眼球がなくとも脳に信号さえ送れば見えるってことだよね。
ならば耳がなくても聞こえるし、鼻がなくても嗅げるし、舌がなくても味わえるし、手足がなくても触れるんだ。
よくSFなんかで、ガラスケースの中に脳だけが培養されてるような絵を見るけど、多分あれはその脳に直接信号を送ることで仮想現実を見せているんだろう。
つまりあの脳は、仮想現実世界ではちゃんと肉体のある人間として生きてるということ。
そう考えると、今我々がいる現実世界だって、ひょっとしたら仮想世界なのでは?と疑いたくもなるよね。
我々は単なるアバターで、本体は全く別の世界にある脳だけのコンパクトな存在だったりして。
もし遠い将来、人類が肉体を持っていては生き残れないほどの過酷な環境にさらされたら(食糧難や疫病や放射能汚染など)、脳を除いた余計なものを全部そぎ落とし、自我を全て仮想世界に移して生きるという選択もあり得るわな・・。
個人的に、このてのフルダイブ物における最高峰はやはり「SAO」だと思うんだが、この作品の何が凄いかって、VRでは異世界ファンタジー、リアルではSFという二重構造劇を見事に成立させていることさ。
特に私が気に入ってるのはSF要素の方で、この原作者の川原礫という人はVRについてかなり詳しい感じがする。
作中で主人公キリトは「現実世界と仮想世界の違いは、情報量の差だけ」と断言しており、これは川原先生の考えそのものなんだろう。
また、寝たきりの重病患者が仮想世界では自由に四肢を動かせることの希望も見せてくれていて、ゲームだけじゃない、VRの様々な可能性まで描いている。
この作品における絶対的チートは、主人公キリトではなく、SAOを開発したプログラマー茅場晶彦。
この人が量子物理学者ってのもポイントだね。
実際に量子物理学者の多くは、我々がいるリアルをVRだと証明しようとしてるんだから。
映画「マトリックス」以降、このての話は非常に増えたと思う。
確か映画は別として、小説「リング」シリーズもオチはそうだったはずだよ。
貞子がいる世界は仮想現実世界で、貞子の正体はバグったコンピューターウィルスでした、というオチだったと記憶する。
映画「リング」1作目で真田広之が何かに気付いたという描写があるんだけど、あれは「ここって仮想現実じゃん!」と気付いたらしいのね。
「リング」はホラーに見えて、実のところ根っこはSFだったのさ。
まあ、プログラムにバグはつきものだし、もし我々がいる現実世界も真実はVRだというなら、幽霊だの呪いだのオカルトは全て、バグやウィルスということにしておこうかな・・(笑)。
ちなみに茅場晶彦は死んだことになってるけど、なぜかゴーストが電脳世界で健在である。
肉体を捨てたゴーストが電脳世界で生きるって、完全に「攻殻機動隊」草薙素子の世界観じゃないか。
川原礫にせよ士郎正宗にせよ、このての作家は人間の意識をネットに落とし込むことが可能な信号として解釈してるんだろうね。
また「SAO」は、NPCが自意識をもった自律型というのがミソなんだ。
正直いってプレイヤーとNPCにさほど差はなく、そういう点は「オーバーロード」や「ログホライズン」も同様だったかと。
もちろんNPCは人工知能なんだろうが、自分に書き込まれてるプログラムを克服して逸脱した行動をするところまで自意識を成熟させている。
もはやここまでくると、人間だよね。
まあ、考えようによっては怖いけど。
「人を殺してはならない」とプログラミングしたはずのAIが、自ら考えて「やっぱり殺した方がいい」と決断することだってあり得るんだから。
やはり、アダムとイブに知恵の実を食わせるのは危険ってことよ。
と考えると、旧約聖書の創世記は太古の昔の話じゃなく、むしろ未来を予知した話のようにも思えるね。
聖書の中で、ことあるごとにリセット(人類を滅ぼす)をしようとする神のことを私は「オトナ気ない・・」と馬鹿にしてたんだが、しかし「SAO」を見てると少し神の気持ちが理解できたんだわ。
作った世界があまりにもシミュレーションから逸脱してしまった場合、一回リセットしてイチからやり直した方が逆に効率いい、ということだってあるでしょ。
しかし、聖書によると神はリセットではなくて、軌道修正用スタッフを1名フルダイブさせるという選択をした。
それが、イエスキリストである。
最終的にイエスはNPCたちによって処刑されたんだけど、生前の彼は「最後の審判」について触れており、善性のNPCのみをサルベージした後に世界はリセットされる、と説いている。
つまり、神がこの世界を作った目的は「アンダーワールド」と同じ企画趣旨だと考えられ、善性のNPCをサルベージすることこそがその最終ステップなのかもしれん。
ちなみに「SAO」では、「アンダーワールド」からアリスという善性にして最強の少女を現実世界へのサルベージに成功している。
実験は、なかば成功だったといえるようだ。
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