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アニメの作家性というものを考えてみよう

サブカルチャーの代表格として漫画とアニメがあるんだけど、このふたつは似てるようでいて、実は少しばかり性格が異なる。
え?
アニメって「動く漫画」でしょ?
という捉らえ方も確かにできるんだが・・。
ただし作家個人の作家性を強く出せるのは、やはり漫画の方だと思う。
なぜって、極論すれば漫画って漫画家ひとりでも完結させられるコンテンツだから。
いや、現実はたくさんのアシスタントや編集さんたちが絡んでくるんだろうけど、でも中にはアシスタントを全く使わない先生もいるらしいじゃん。
その点でいうと、アニメの方はひとりじゃ絶対に無理だ。
作画に人手はある程度の頭数がほしいし、声優、音楽等の専門家もほしい。
おカネがかかるから、そこにスポンサーという人種も絡んでくるだろう。
結局は、ある程度の規模の組織で作らざるを得ないわけよ。
となると、そこで制作にあたって「みんなの話し合い」が必要になる。
この「みんなの話し合い」ってやつが、なかなかのクセモノでねぇ・・。
多くの場合、ここで作家性は大いに薄められ、発言力の強いスポンサー様の意向を汲んで売れセンにいっちゃうわけだ。
もちろん、例外もあるよ。
スポンサーすら迂闊に近寄れない、圧倒的な作家ならば話はまた別。
たとえば、宮崎駿とかね。
だけど今の日本に、宮崎駿級が何人いる?

一説によると、宮崎駿は新海誠の存在をとても意識しているという。
庵野秀明のことは自分の後継者っぽい意味でそれなりに可愛がってるというが、新海誠に対しては可愛がってるというより、どちらかというとライバル視してるニュアンスの方が強いっぽい。
なるほど。
手塚治虫先生の晩年における、大友克洋みたいなやつね?
でも、宮崎駿と新海誠じゃ作風が全然カブってないじゃん。
と思うところだが、何より巨匠は、新海誠が備えた作家性の強さという部分をことさら意識してるんじゃないか?
このへんは、一流の者のみぞ理解できる一流ならではの脅威で、我々凡人にはよく分からない領域だ。
まぁ確かに、新海さんは作家性が強いよね。
「君の名は。」以降若干マイルドになったとはいえ、それでも独特の匂いは健在だし、それがまたひとつのブランドとして機能している。
彼の作家性の原点といえば、やはり「ほしのこえ」だ。
これの衝撃は忘れない。
何が驚きだったかって、これを漫画家のごとく、新海さんがほぼひとりで作ったという事実だよ。
え?そんなことできんの?と驚いたわ。
そして、ひとりで作ったからこそ、この作品の作家性はまた強烈だった。

いや、今回まず最初に取り上げたいのは、新海誠じゃなく、それに次ぐ存在として今なお注目を集めている若手、吉浦康裕である。
新海さんもまだ若いけど、吉浦さんはそれよりさらに若い世代(43歳)だからね。
彼は上の画の「サカサマのパテマ」や「イヴの時間」、あと最近では「アイの歌声を聴かせて」の監督として知られている。
なかなかのSF作家だ。
で、そんな彼がアニメーターを志すキッカケになった作品のひとつとして、彼は森本晃司が作ったケン・イシイ「EXTRA」のMVという、何ともシブいものを挙げてるんだわ。
ちなみに、そのMVはこれ↓↓

なるほど。
こういうの見てアニメーターになりたいと思った世代が、いまや業界の中核なのか・・。
「ナウシカ」見てアニメーターに憧れました、とかはもう古いってことね。
ちなみに森本晃司さんというのは、「STUDIO4℃」の創設者である。
彼が湯浅政明と組んで作った「音響生命体ノイズマン」とか大傑作だから、興味ある人はぜひ見てみて。
で、吉浦さんなんだけど、彼はアニメーターを目指す際、なぜか制作会社に入るんじゃなく、インディーズで活動を始めるのよ。
規模のある会社じゃなく、敢えて少人数でのアニメ制作を志向していくのね。
最初に作った作品が、この「キクマナ」↓↓

で、ブレイクのキッカケになったのが、この「ペイルコクーン」↓↓

私、この「ペイルコクーン」見て、かなりの衝撃受けたんだよね~。
短編なのに、めっちゃ完成度高いSFじゃん!
ここまでの衝撃は、「ほしのこえ」以来かも。
でもって、ここでのモチーフが「キクマナ」とほとんど同じだということをやはり見逃せない。
端末、図書館、螺旋階段、エレベータ、記憶・・。
共通した記号。
こういうのを、作家性というんだろう。

「ペイルコクーン」(2006年)

そして「ペイルコクーン」の設定は、ほぼまるごと「サカサマのパテマ」にまで繋がっている。
吉浦さんがこういう作家性を維持できたのは、おそらく少人数制の制作環境に身を置いていたからだと思う。
多分、普通の制作会社に入っていたら、これは無理だ。
その能力は大きなアニメ制作プロジェクトの中の歯車として消費され、その作家性は埋もれていったに違いない。

で、上の画像は湯浅政明監督作品「夜明け告げるルーのうた」である。
あまりヒットしなかった本作だが、私はめっちゃ好きでね。
作品そのものの面白さもさることながら、この作品の価値はもうひとつ、実はこれ、全編がAdobeFlashの規格で制作されたフラッシュアニメーションなのさ。
フラッシュアニメーションというのはソフトウェアを使って作られるアニメであり、ぶっちゃけ手描きの必要がない。
ようするに、人海戦術を基礎とする既存のアニメ制作とは全く別のものだと考えてもらっていい。
これを推し進めてるのが、湯浅さんが設立したサイエンスSARU
ちなみに「ルーのうた」の制作の際にも、スタッフは週休二日だったことをご丁寧にアナウンスしてくれてます(笑)。
まあ、作業はだいぶ軽減されるんだろうね。
とはいえ、フラッシュアニメが今後のアニメ制作の主流になるということはさすがにあるまい。
サイエンスSARUもそれが分かってるからこそ、わざわざ京アニから手描きのプリンセスともいうべき、山田尚子さんを迎えたんでしょ?
しかしながらこういうフラッシュアニメは少人数制アニメ制作という作家性重視の理想にフィットすることは間違いないと思う

はい、言わずと知れた手塚治虫先生です。
日本の漫画における神様。
めっちゃIQ高い人だったらしく、医学部出身というのは有名だが、それ以外でも色々こなせる超人だったらしい。
レオナルドダビンチ系かな。
ただし会社経営者としては天才じゃなかったらしくて、彼は虫プロを作ってアニメ界に多大な貢献をしたにも関わらず、あっという間に会社を破産させている。
大きな要因は、人件費だろう。
出崎統、杉井ギザブロー、りんたろう、川尻善昭、杉野昭夫、富野由悠季、安彦良和、高橋良輔etc、一体何人のスーパースターを抱えれば気が済むのかという体制である。
レアルマドリード、もしくはバルサだね。
ただし上記メンバーたちがその本領を発揮したのは、むしろ虫プロから離れて、みんなバラバラになってからなんだよ。
案外、そういうもんさ。
で、私はその虫プロの歴史の中で一番の最高傑作は何か?と聞かれれば、「哀しみのベラドンナ」(1973年)という作品を挙げたいのね。

これ、虫プロにとっては事実上最後の作品。
というか、これが興行的に大コケしたから倒産したという説もあるほど。
だから見たことない人、多いんじゃない?
だけどね、ぶっちゃけ凄いよ!
私、ドギモ抜かれたもん。
せめて、予告編だけでも見てほしい。

めっちゃ作家性強いよね。
皮肉なことに、これはアニメーターが続々と虫プロから離反し、手塚先生も社長を退き、会社が切羽詰まり、圧倒的に人手が少ない中で作られた作品である。
なのに、おそらくこれまでのどの作品よりも優れたものに仕上がっている。
案外、作家性というものはこういう時にこそ発現するもの。
あ、「ベラドンナ」に興味ある人は、ネットで「kanashimi no belladonna」と検索 してみて。
フル動画を見られるはず。
エロシーンが非常に多いんだが、そこは杉井ギザブロー先生がひとりで全部描いてるらしい(笑)。
匠の技、堪能できるぞ。
これを見てると、今回お話しした作家性というものの何たるかが見えてくると思う。


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