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ブルース・リーの武術指導

 香港のS級アクションスターと言えば、全世界誰もが認めるブルース・リー(李小龍)。

ブルース・リーについては敢えて色々紹介する必要もないほど有名でしょうからウィキを貼っておきますので興味のある方はご覧ください。

武道家だったブルース・リーがアクションスターに転身してからは、彼専用に映画アクションとしての武術指導が居ました。

それが林正英(ラム・チェンイン)です。


ラム・チェンイン

そう、あの、霊幻道士で一番目立っていた俳優さんです。

最初に誤解のないように申し上げておきますが、日本で「武術指導」と言えば、上→下と言う感じで武術の心得がある人が心得の無い人に指導するかのように思うでしょうが、このブルース・リーと林正英の関係はそういう事ではありません。

これは友情の物語です。

ユウ自説

ブルース・リーのウィキには掲載されていませんが、香港の色々なニュースには、ブルース・リーが映画を撮影する際にはラム・チェンインが現場にいないと、仕事を始めようとしなかったという記載がたくさん見られます。

香港01にも 証拠1、この中に

林正英就非常熟習李小龍的打法。著名娛樂記者杜惠東先生曾經說過,「林正英是李小龍最喜歡的拍擋。他和陳會毅兩人,一直都是李小龍的左右手。如果李小龍見不到他們兩個,寧願不開工。」

この「 」のところ「林正英はブルース・リーが一番お気に入りのパートナーであった。彼と陳会毅の二人は、一貫してブルース・リーの右腕、左腕であり、彼らが現場に到着していないと撮影もしたがらなかった」とあります。

画像1

毎日頭條にも 証拠2 この中の

感情並不比那些很早就認識李小龍的淺~の部分

「林正英はブルース・リーと知り合って日は浅かったが、何故ブルース・リーがこんなにも林正英を気に入っていたのか。特に後期にはブルース・リーの撮影に林正英が来ていないとなると撮影は暫くお預けで、彼が着くのを待って撮影再開となった。ここからも林正英がブルース・リーにどれだけ重要視されていたかが見て取れる。」

またこの毎日頭條には更に、林正英がブルース・リーの武術指導になるまでの流れが紹介されています。

このすぐ下に掲載されている文章です。

「那是拍《唐山大兄》時林正英才正式認識李小龍,」(原文網址:https://kknews.cc/entertainment/r83aao.html)ここから続く文章です。

「《唐山大兄(邦題:ドラゴン危機一髪)》の撮影で初めて林正英が正式にブルース・リーと面識を持つことになった。そしてこの時から林正英のブルース・リーへの憧れが強まったといっていい。

当時林正英はまだスタントマン、それもかなりの下っ端に過ぎなかったが、しっかりと訓練を受けた基礎はあった。

この頃のブルース・リーの映画は迫真のアクションにこだわっていた為、今時のフリだけの甘っちょろいものではなく全てが本当の殴る蹴るであった。その為、普通のスタントマンでこの仕事に就けるものはなかなかいなかった。何十人ものスタント候補に目を通したブルース・リーも納得できずにただ首を横に振るばかりであった。

この時である、背もそれほど高くもない、どっちかと言えば瘦せ型の林正英がそこに立ちはだかってこう言った、「俺は怪我なんか怖くないです」と。

ブルース・リーは いやいや、こんな瘦せっぽっちが俺の蹴りをどんだけ受けれるっての?と半信半疑であった。

林正英はこれは自分がどんだけ打たれ強いか見せ所とばかりに、ブルース・リーに「思いっきりやって下さい」と言い、ブルース・リーも「この世間知らずがどれほどのモンじゃい」と最初に6割の力でやってみた。林正英は吹っ飛ばされたがスグに起き上がって「大丈夫、続けてください」と言う。

そこで、ブルース・リーは今度は8割の力を出し、林正英は今度も吹っ飛ばされたが再び数秒で起き上がって見せると、ズボンの砂埃をはたきながら「どうです、龍の兄貴?」と笑って見せた。

それを見たブルース・リーは久しくそんな笑顔は誰も見た事がないというくらいのこぼれるような笑顔を見せ、「お前、そんな瘦せっぽっちのクセしてなかなかやるな、いいじゃん、気に入った、お前はこれから俺の武術指導だ。」

この一言で林正英はブルース・リーを自分を発掘してくれた恩人と見なし、ブルース・リーもそれ以降の映画は全て林正英を武術指導とした事で、ブルース・リーがどれだけ林正英を気に入ったかがわかるほか、特に林正英を感激させたのが、ブルース・リーが撮影クルーたちに語ったこんな一言であった。

「映画の撮影は監督なんかいなくたっていいけどな、林正英はいないとダメだ。彼が来てなければ彼が来るのを待って、それからカメラを回す。俺、ブルースリーはこれからはそうゆう事だから」

こうして林正英とブルース・リーは切っても切れない親友となるのである。」

と翻訳はここまでです。

親友と言ってもブルース・リーと林正英は二人とも辰年で、ちょうど一回り年が違いこの時ブルース・リーは31歳、林正英は19歳でした。

林正英は当時まだ若造で、ちょっと鼻っ柱が強いところがあり、あまり簡単に人を信じない性格(人を信じない点は年をとってからもそれっぽいですが)で、自分の目で見て確かめないと気が済まない性分でした。

この「アクションスターとしては新人」だったブルース・リーの事も、当初は全く鼻にかけておらず、スタント仲間の陳會毅(後の「ブルース・リーの片腕」のもう片方)とブルース・リーが本物かどうか試してやろう、という事で、チャレンジして吹っ飛ばされた林正英は、そこからはもう心底ブルース・リーに惚れ込んで舎弟のようになり、一方の新人俳優のブルース・リーは京劇団出身で「見せるアクション」を知り尽くしている林正英の合理的で不自然さのない場面設定の能力を甚く気に入ったらしいです。

お互いが現実主義で、実力主義で、妥協を知らず、しかも真の実力があったからこそ「英雄識英雄(英雄は英雄のみぞ知る)」的な本当にわかり合えた感があったのでしょうね。

残念なのは、二人ともが若くして亡くなってしまった事です。

ブルース・リーは32歳、林正英は肝臓癌で44歳(二人ともウィキ記載の年齢で統一)という若さで去ってしまった事が悔やまれます。

生きている時はブルース・リーが林正英より12歳年上で、亡くなった年齢は林正英がブルース・リーより12歳年上でした。二人の縁と友情を感じずにはいられません。

二人がもっと長生きしていたら、もっとたくさん共演作もあり、香港映画界の勢いも違っていたかもしれません。



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