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『大人』ってなんだろう





私は、怒っていることが多い。


電車の中や街中で、
失礼な態度をとっている人がいたら、すぐにイラついてしまうし、
ぶつかられたら、ぶつかり返したくなるし、
人の少しのミスでも、自分にとって害があれば
表には出さなくとも、ずっとイライラモヤモヤ
してしまう。




同様に、悲しい気持ちになることも多い。
こんな小さいことにイライラしてしまう自分がみっともない、とか
やることを着実に遂行できない自分がなさけない、とか
人にわかってもらえなかったことや
自分の考えを十分に伝えられなかったときなど、
モヤモヤと同時に、悲しい気持ちを抱えることが多い。




毎日生きていく中で、そういった『マイナス』の感情を多くもつことは
とても損してるなぁ、と思いつつも
なかなかプラスの気持ちを持てないことを
否定しきれない自分もいた。


八方塞がりで、毎日が苦しい。
上手く気持ちをコントロールできないことが、またイライラの種になって、
一生晴れない気持ちのままなんだろうか、と
絶望する夜を過ごしてきた。







先日、ある企業の会社説明会を聞いていて、
そこで登壇した先輩社員の方が、すごく素敵だと思った。

落ち着いて喋り、論理的な内容を話し、
それでもって、入社理由に関しては、ご自身が学生時代に感じていた
『マイナス』な気持ちを伝えることで
感情をもって、説得力をこめてお話をされていて、
過去のマイナスなことも、こんな風に伝えることで
素敵な印象になるんだ、と
ハッとさせられた。




この前、星野源さんのエッセイ
「そして生活はつづく」を読んだときも、

星野さんは、アーティスト活動や演劇とかのお仕事は楽しめるんだけども
『生活』を楽しむことができなくて、
そのせいで風邪をひいたり、家がぐちゃぐちゃになったりするんだけど、
そんな自分に対して
「というわけで、生活を楽しめるようになりたい」
と 思ったらしい。





これを読んで、私は星野さんの
できないこととか、マイナスなことに対して、
「というわけで、」なんて言えちゃう、ある種のポジティブさ?
気持ちの切り換え方?が すごいなぁ なんて思ったし、

こうやってマイナスを、無理やりにでもプラスに変えていくのが、
大人、というものなのかもしれない
と、思った。








20歳をこえて、成人したあたりから自然と
「大人(おとな) って、なんだろう」
と考え込むことが増えた。



私自身、大人になってみて思うことは、

誰も本音で話してくれないなぁ、
本音で向き合える相手、友達ができないなぁ、とか

みんな何を考えてるのかわからないなぁ、
感情を表に出したら、だめなのかなぁ、とか

自分の気持ちを抑えて、
うそでもなんでも、人を傷つけないようにすることが
大人の対応ってやつなのかなぁ、とか

そういうことなのかなと、思ってきた。



大学生の時点で、周りの人たちは 自分と合う人間や、自分を否定しない人間に対してばかり仲良くするようになり、
自分とかけ離れている人、ちょっと違うかなと思う人に対しては
すぐシャッターを閉めてしまうように感じる。
本音で話せることは一切なく、
シャッターの一部にある小さな窓から、コミュニケーションをとるような
人と話していても、そういう感覚になることが多かった。



とても寂しかった。
みんな冷たい。冷たい世界だ、と感じ、
私にとってそれは、とても寂しいことだった。

大人というのは、自分の言いたいことを我慢して、
狭い信頼できるテリトリーにのみ帰属して、
それ以外の学校とか職場とかバイト先では、
自分をさらけ出さない。
わかってもらおうとしない、ただ、そこは勉強をするだけ、お金を稼ぐだけの場所だから、
必要以上に 人と向き合わない。


平然と、ポーカーフェイスでそう振る舞えることが、
『大人になる』ことなんだと、そうなんじゃないかと、
成人してからずっと 思ってきた。









そう思ってたんだけど、星野さんのエッセイとか、
会社説明会で出会えた方々によって、
少し、『大人』というものの印象が変わった。


もちろん、上に書いたような要素もあると思うが、
大人というのは、そういう世界の中でも、
自分の範囲内で自分の気持ちに耳を傾け、
自分の範囲内でコントロールする
ことで、
自らの人生の明るさ暗さを 調節していく人
のこと

つまり、人がどう とかではなく、
自分がどうしたいかを自分で理解して、
それを自分の範囲内で、コントロールして、
マイナスはプラスにしたり、つらいことがあっても前向きに考えたいなら前向きになれるように自分ですることで
人生の方向性を定めたりしながら生きていく人 のこと、なんだと
思った。



だから、私が感じていた、
「他の大人たちは本音を言わない」
「他の大人たちはすぐにシャッターを下ろす、受け入れてくれない」
「向き合おうとしてくれない」
「みんな冷たい」
というのはある意味、私にとってのマイナスであって、

それは、人のマイナスではないから、
自分でどうにかしなきゃいけないこと
であって、

私はこれらのことを社会の問題、全員に関する問題、だと
無意識にも思っていた
けれど、そうではなくて、
これは私が感じていることで私の問題なのだから、
自分の範囲内で、このことに向き合い、自分の力で決着をつけて
どうにか前向きに人生を楽しんでいくのが『大人』のすることなんじゃないか
と、思ったのです。





星野さんの「というわけで、生活を楽しみたい」っていうのも、
ご本人がご自身の人生の中で、そういうことがあって、
そう感じて、それで「どうにかしよう」
と思ったことであるから、
これは、仕事と生活の両立が難しくて苦しい、とか
家事ができない自分はダメだ、とかそういった類の話ではなく、

星野さんの人生で起きていることに対して、星野さん本人が
人生をより楽しく快適に生きていくためにも、生活を楽しめるようになりたい、と考えているのだから、
社会とか他人とかは関係なく、自分でどうにかするのである、という
いわば当たり前の姿勢を、
私に気付かせてくれたのです。




だから、他の人が冷たい、とか
本音で向き合ってくれない、とか
「大人って冷たい世界だな!!」とか思ってた私は、
これが自分の問題であると気付かずに、自分の問題に向き合わずに
単に怒ったり悲しくなったり文句言ったりしてたんだなぁ
と、思いました。



私が悩んでいることは、私自身が考えて
私の範囲内で考えたことを実行することによって
解決していくものである
それをできるのが、『大人』というものなんだ
と、今の私は思います。








伝わりましたかね?笑

私って説明するの下手だなぁ、とかそういうことを考えて
またイライラしちゃったりするんですけども、
有限な人生で、そういった気持ちに支配されないように
少しでも明るい気持ちで過ごしたいと、私自身が思うなら、
それは星野さんみたいに、

「というわけで、文章を上手くかけるようになるために
色々挑戦してみることを楽しみたい。」

といった感じで、
自分で自分を励ますような・ポジティブに考えられるような形で(?)、
やってくのが いいんだと思います。



よく、音楽を聞きながらだとランニングできる!とか
イケメンのトレーナーさんだとジム通い続けられる!とか
ありますよね。

簡単に言えばそういう風に工夫する、ってことなんですけど、
それを工夫レベルでなく、日常レベルにして、
自分のために、あるいは自分の夢のために、
自分を鼓舞してミッションをやり遂げることが当たり前のようにできる人
それが大人なのだと、私は思いました。









今、私は就活中で、絶賛うまくいってないです(笑)
第一志望には一次面接で落ちるわ、志望業界は定まらないわ、
挙句の果てに、内定欲しさに ぜんぜん行きたくない会社のエントリーシートを書いているなどなど
嫌なこと、つらいこと、
「もうダメだぁぁぁぁあああああああああ」と叫びたくなるようなこと、
いっっっぱいあります(笑)



このnoteを書いたからって、その気持ちが完全に晴れる訳じゃないですが、
だけどもう私は『大人』だから

自分の中で起こっているこの気持ちを、感情の波を
どうにか自分の力で、範囲内で、どうにかしないといけない。


冒頭に書いた、普段怒ってしまうこと・悲しんでしまうことに関しても、
他人や社会の問題だ!とプンプンせずに、そこは切り離して考える。
自分の感情なのだから、自分の中で解決をする


「少しでも楽しく過ごしたい」「悲しい気持ちを感じたくない」
「どうにかしたい」と、自分自身が思っているので、
それなら、他人がどうこう、今までの自分がどうこう、とか
色々言ってないで、
自分でどうにか「楽しめる」ように、考えて、
実行していきたいなぁと
思います。








なんとか踏ん切りをつけながら、
就職活動をがんばりたいと思います。

応援してねぇ、笑


さぁ、がんばるぞ!!!








2023.3.12 13:33

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