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「日本語はラップに向いてない言語だ」という俗説

 こんばんは。Sagishiです。

 今回は、「日本語はラップに向いてない言語だ」という『俗説』について書いていこうと思います。

 「日本語はラップに向いてない」つまり「日本語はrhymeするのに適さない言語だ」という意味の主張ですね。これは本当によく主張される言説です。ネットでもフィジカルの本でも、よく見かけます。

 それこそ『マチネ・ポエティク詩集』(1948年)が出版されて以来、実に80年近くもこの「同語反復」は続いているといえます。直近で読んだ本だと川原繁人『言語学的ラップの世界』(2023年)にもそれに類するような記載があり、同じ主張が再生産され続けています。

 しかし、「日本語はrhymeするのに適さない言語だ」という主張は、それがなんども繰り返される割には、科学的・学術的な根拠が明確ではありません。「その主張が正しいのか」をだれも検証・証明していない状況です。

 この記事では、そのような「日本語はラップに向いてない言語」あるいは「日本語はrhymeするのに適さない言語」という『俗説』が、果たして正しいのか間違っているのか、可能な限り科学的・論理的な態度で検討をしていきます。




1 母音数

1-1 母音数が5個だとrhymeできないのか

 「母音数が少ないから、日本語はrhymeに適さない言語だ」という主張は、本当によく見かけます。それは下記のような言説に現れています。

母音の数がわずかに五個に過ぎないのだから、その退屈さは思い半ばに過ぎる。(中略)日本語で、「豊かな韻」はもちろん押韻それ自体が避けられて来たことの理由が、一層明らかとなった。

荒木亨『ものの静寂と充実―詩・ことば・リズム』(1974年)P214
初出・雑誌『思想』「文学における言葉の機能」(1959年)

日本語では基本的に、子音の後には母音が来るし、その母音も[a, i, u, e, o]の5種類しかない。だから、小節末の母音を1個だけ合わせても、それは20%で起こる偶然に過ぎず、韻っぽく聞こえないという意見があった。

川原繁人『言語学的ラップの世界』(2023年) P129

 日本語の母音数は一般的に「5個」と言われます。この母音数が「少ない」だから日本語は押韻に不向きだ、というのがもっぱら主張されます。冒頭からはっきり言いますが、これは妥当ではない主張です。

 なぜなら、言語において母音数が「5個」というのは、世界の言語のなかではきわめて標準的な数値であり、「少ない」という指摘がそもそも誤っているからです。

 世界各国の言語データベースサイトであるWALS Onlineの母音に関するページを見ると、網羅されている564の言語のうち、母音数が5~6個という言語は287であり、全体の過半(50.8%)を占めています。

WALS Online『Vowel Quality Inventories』より

 「母音数5個の言語はrhymeに適さない」という主張がかりに正しいとすると、「世界の言語の約半数がrhymeに適さない言語」ということになるはずです。これはあまりにも荒唐無稽な主張に思えます。

 また、日本語と同じ5母音の音韻体系を持つ言語に、スペイン語やロシア語があります。そして両言語ともにrhyme詩型が発展しており、文化的に根付いています。

・スペイン語の事例
Pensando que el camino iba derecho,
vine a parar en tanta desventura,
que imaginar no puedo, aun con locura,
algo de que esté un rato satisfecho.

Garcilaso de la Vega『Soneto XVII』(1522~1536年頃)

・ロシア語の事例
Умом Россию не понять,
Аршином общим не измерить:
У ней особенная стать
В Россию можно только верить.

Фёдор Ива́нович Тю́тчев『Умом Россию не понять,』(1866年)

 このように、5母音の音韻体系を持つ言語において、rhyme詩型が定着している事例は存在します。

 日本語のrhyme不適論について、その原因を母音数に求めるのであれば、なぜ同じ5母音の言語であるスペイン語やロシア語では、rhymeができているのでしょうか。これにたいする科学的な根拠をもった回答を、わたしは見たことがありません。

 反例が存在する以上、「母音数が5個=少ない言語はrhymeに適さない」という主張は説得力に欠けています。むしろ逆に「母音数は、rhyme詩型の発展の必要条件ではない」といったほうが主張としては妥当でしょう。

 私見ですが、極端な話、母音数が2個あればABABやABBAという構造的な反復を作り出すことは可能だとわたしは考えます。

 なぜ「母音数が少ないから、日本語はrhymeに適さない言語だ」という主張が、これまで特になんの批判もなく繰り返されてきたのか、わたしには少しく不思議に思えます。
(おそらくは、英語や中国語の母音数が多いことの対比として主張されているのだとは思いますが、それにしても少し調べたらおかしいと分かるはずの議論が50年以上も繰り返されていることには違和感があります)

 日本語に押韻は不適という議論において、「母音数が少ないから」という主張はもっともらしく広く蔓延している『俗説』の一つですが、上記にように容易に反証をくわえることが可能です。


1-2 母音数が多ければ発展するのか

 さらに深掘りしますが、かりに「母音数が少ない言語はrhymeに適さない」という主張が正しいとすると、逆説的に「母音数が多い言語はrhymeに適している」ということになるかと思います。

 しかし、これは本当にそうだといえるでしょうか。

 先に引用したWALS Onlineを見ると、母音の多い言語には、英語、フランス語、ドイツ語、フィンランド語、韓国語などがあります。この中で問題になるのは「韓国語」です。

 韓国語の母音数は「21個」で多いカテゴリーに入ります。が、韓国語の伝統的な詩歌や童謡にはrhymeは存在しません。

 たとえば韓国語の伝統的な詩歌である「時調」を見てみましょう。

방안에 혓는 촛불 눌과 이별하였관네【e】
겉으로 눈물 지고 속 타는 줄 모르는고저【ʌ̹】
저 촉불 날과 같아여 속 타는 줄 모르노라【a̠】

이개(1417〜1456年)『촉루가』

 【】内に章末(行末)の母音を記載していますが、見ての通り定式性のない構成をしています。
(当時の韓国語の音韻を調べていないので、母音の発音に間違いはあるかもしれませんが、文字から母音が一致していないことが推測できます)

 また、わたしが確認した範囲ではありますが、1990~2000年頃の韓国の音楽に定式的なrhymeは基本的に見当たりません。一例として、かつて日本でも流行したドラマ『冬のソナタ(겨울연가)』から、主題歌「最初から今まで(처음부터 지금까지)」の歌詞を引用してみましょう。

내게 올 수 없을 거라고  【ㅗ[o̞]】
이젠 그럴 수 없다고 【ㅗ[o̞]】
제발 그만하라고 【ㅗ[o̞]】
나를 달래지 【ㅣ[i]】

정말 잊어버리고 싶어 【ㅓ[ʌ̹]】
다신 볼 수 없다면 【ㅕ[jʌ̹]】
나를 잡고 있는 【ㅡ[ɯ]】
너의 모든 걸 【ㅓ[ʌ̹]】

내가 웃고 싶을 때마다 넌 【ㅓ[ʌ̹]】
나를 울어버리게 만드니까 【ㅏ[a̠]】
어느 것 하나도 나의 뜻대로 【ㅗ[o̞]】
넌 할 수 없게 만드는 걸 【ㅓ[ʌ̹]】

네가 보고 싶을 때마다 난 【ㅏ[a̠]】
이렇게 무너져버리고 마니까 【ㅏ[a̠]】
아무리 잊으려고 애를 써도 【ㅗ[o̞]】
잊을 수 없게 하니까 【ㅏ[a̠]】

처음부터 지금까지(2002年)

 小節末の母音に、一定の規則がないことが分かると思います。

 rhyme文化の発展や定着に、母音数の多寡が影響すると主張するのであれば、なぜ母音数が多い韓国語はこれの例外になっているのでしょうか。

 このような例外事例が見つかり、その例外を説明できる科学的・論理的な根拠が示せない以上、「母音数の多さはrhyme文化の発展・定着と関係がある」という主張は、妥当性・説得力に乏しいといえます。

 

2 子音数

2-1 子音数が少ないとrhymeできないのか

 母音と同様に「子音数が少ないから、日本語はrhymeに適さない言語だ」というのもよく見かける主張です。「音素が少ないから」とも言われます。

・宇多丸
英語はライムしやすい(中略)音素が違うから

・いとうせいこう
僕らは「子音+母音」「母音」のみだけだから

・宇多丸
日本語は音素が貧弱なので、長くライムしないと韻を踏んでいる感じに聴こえない

宇多丸ほか『ライムスター宇多丸の「ラップ史入門」』(2018年) P75,P146

 しかし、これも思い込みの類いです。上記引用の文章には、2つの方向性が混在して書かれており、1つは単純な「子音数の少なさ」を指摘するもの、もう1つは「日本語の音節構造は単純だ」というもの。ここでは前者について検討します。

 WALS Onlineを見ると、日本語の子音数は「やや少ない」(15~18個)にカテゴライズされています。

WALS Online『Consonant Inventories』より

 そして日本語と同様に、子音数が「やや少ない」カテゴリーに属する他の言語には、たとえばフィンランド語があります。

 しかし、フィンランド語にはrhyme詩型が定着しています。

・フィンランド語の事例
Uness’, onneton mies, sinut eestäni löysin,
kun louhista katumustietäni kävin.
Mua tuijotit silmin jähmettävin:
Olit sidottu muuriin rautaisin köysin.

Nojas teräviin kiviin haavainen selkäs,
pääs väsynyt kylkeen malmisen pylvään.
Sinut tuntenut voimassa nuoruutes ylvään
olin joskus - nyt sua sieluni pelkäs.

Kaarlo Sarkia『Kahlittu』(1929年)

 子音数が少ないことがrhyme詩型の発展を阻害するのであれば、フィンランド語においてrhyme詩型が定着しているのはおかしいはずです。

 日本語は子音数が少なくてrhymeできないのに、同様の子音数のカテゴリーに属するフィンランド語ではrhymeができている、とすれば、その科学的・論理的な理由の説明が必要になるはずです。

 RHYMESTER宇多丸は「日本語は音素が貧弱なので、長くライムしないと韻を踏んでいる感じに聴こえない」と指摘しますが、その「感じに聴こえない」原因が、子音に求められるという積極的な根拠も不明です。

 その説明ができない限り、「子音数が少ない言語はrhymeに適さない」という主張は妥当性・説得力に欠けているといえるでしょう。


2-2 日本語の子音数への疑義

 少し話の方向性はずれますが、WALS Onlineの日本語の子音数が「やや少ない」(15〜18個)と判定されているのは、個人的には疑義があります。

 15〜18個ということは、おそらくp,b,m,w,t,d,ts,s,z,n,r,y,k,g,h、あとはf,ch,çあたりが子音としてカウントされているのだと思いますが、いわゆる「拗音」(硬口蓋化)を含む子音がほとんどカウントされていません。

 例えば、pʸ,bʸ,mʸ,sʸ,zʸ,rʸ,nʸ,kʸ,gʸなど。こういった子音を独立したものとして扱わないのは違和感があります。これらを含めれば日本語の子音数は「やや多い」(26〜33個)にカテゴライズが変わってしまうので、日本語の「子音数が少ない」という主張に、わたし個人としてはそもそも同意できかねるところがあります。
(ついでに言えば、日本語の母音もa,i,u,e,oだけでなく、長音や二重母音a-,i-,u-,e-,o-,ai,auを含めれば12個以上あるとも言えますが)

 拗音を含む語が比較少ないということはあるとは思いますが、そもそも「日本語の子音数が少ない」という認識そのものが、正しいのかどうかすら定まった議論ではないと書いておきたいです。
(もし日本語の子音数が世界的に標準的な位置にあるということになれば、この章の議論じたいが無為なものになるでしょう)


2-3 子音数が多ければ発展するのか

 母音数と同様に深堀りをしますが、かりに「子音数が少ない言語はrhymeに適さない」という主張が正しいのだとすると、逆説的に「子音数が多い言語はrhymeに適している」ということになると思います。

 英語を代表的に、フランス語や中国語(現代北京語)、ドイツ語、スペイン語などの言語は、一般にrhyme詩型が発展している言語、と認識されていると思いますが、これらの言語の子音数はWALS Onlineではいずれも「普通」(19~25個)にカテゴライズされています。

 上記にあげた言語より子音数が多い言語はいくつもあり、たとえばロシア語やハンガリー語などがそうです。

 では果たして、ロシア語やハンガリー語のほうが、英語やフランス語よりもrhyme詩型に適した・発展している言語だといえるでしょうか。一般的にそのような言説をわたしは見たことがありません。

・ハンガリー語の事例
Bércek, tavak, folyók, sinek,
Bámész, új népek, új napok,
Be sietek, be rohanok,
Be szaladok, be sietek.

Ady Endre(1877~1919年)『Valaki utánam kiált』

 そして、ロシア語やハンガリー語(子音数の多い言語)の詩歌は、英語やフランス語(子音数の一般的な言語)、あるいはフィンランド語(子音数の少ない言語)の詩歌などと比較して、rhyme詩型として優れているという議論ができるでしょうか。

 上記のような議論は聞いたことがありませんし、仮にするとしてもきわめて難しい、精緻な議論が必要になることが予想されます。

 「日本語は音素(子音数)が少ないからrhymeしにくい」という主張をするひとは、「ロシア語やハンガリー語のほうが英語よりもrhymeしやすい」と果たして主張をするのでしょうか。そのような想定をしているとは、わたしにはとても思えません。

 子音数が多い言語にも少ない言語にもrhyme詩型が存在していることを鑑みれば、rhymeの適不適の議論に子音数を持ち込むことは、科学的・学術的な裏づけがない議論であり、まさに『俗説』といえます。


3 音節構造

3-1 音節構造が単純だとrhymeできないのか

 前述の話の延長ですが、「日本語の音節構造の単純さ」にたいして原因を求める意見もあります。

 一般に、英語やフランス語などの言語よりも、日本語の音節構造は単純と言われています。そのため世界的な水準から見ても、日本語の音節構造は単純だと世間的には思われているでしょうが、WALS Onlineにおいては「適度に複雑」とされており、「単純」というカテゴリーではありません。

WALS Online『Chapter Syllable Structure』より

 日本語の音節構造は「子音+母音」「母音」だけと言われますが、実際の日本語の音節構造はより複雑です。ここは後段に説明します。

 また日本語と同じで「適度に複雑」とされる音節構造をもつ言語には、中国語、韓国語、スペイン語、フィンランド語などがあり、日本語より単純な音節構造を持つ言語にはハワイ語などがあります。

 かりに日本語の音節構造の単純さが原因でrhymeができないのだとすると、中国語やスペイン語、フィンランド語でもrhymeができないことになるのではないでしょうか。
(しかし現実には中国語やスペイン語、フィンランド語にはrhyme詩型が存在します)

 また、日本語より単純な音節構造を持つ言語についてはどうでしょうか。ハワイ語を少し調べましたが、文献があまり多くないのもあり、目ぼしい情報にアクセスすることはできませんでした。

 そのため、日本語よりも音節構造が単純な言語について、現時点でここでわたしが紹介できる情報は多くないです。

 かねてよりちらほら「ハワイ語にはrhymeがない」という意見を見てはいたので、もしかしたらハワイ語にrhyme詩型がない可能性もあります。ただ、rhyme?かもしれないことをしている楽曲の存在は確認できました。

・ハワイ語の事例
He aloha wau 'ia 'oe la
Kou papalina lahilahi
I ka ho'opula mau 'ia la
I ka hunehune o ke kai

He aha noho'i kau la
O ke alawiki ana mai
Ua 'ike iho no 'oe la
A he pua 'oe ua 'ako 'ia

Ha'awi hemolele 'ia la
Mai ke po'o a ka hi'u
He aha noho'i kau la
'O ka pulalelale ana mai

Ha'ina mai ka puana la
Kou papalina lahilahi
Ha'ina hou ka puana la
He aloha wau 'ia 'oe

Papalina Lahilahi

 この楽曲がいつ成立したのかもちょっと分からなかったのですが、定式的な「la」のリフレインが確認できます。

 これをrhymeといえるかどうかは現時点ではなんともいえないですが、もしハワイ語にrhymeが存在することが確認できれば、「日本語の音節構造にrhymeができない原因を求める主張」に、より明確な反論を加えることができそうです。ここは追加的な調査が必要です。

 個人的には、音節構造だけを取り出して「rhymeしやすい・しにくい」という議論をすることはできないのでは、と想定しています。


3-2 日本語の音節構造の説明

 日本語の音節構造をかんたんに説明しますが、日本語の音節は基本的に尾子音(Coda)が起きず、また子音連続が起こるケースも少ないです。が、全く存在しないわけではなく、以下のような場合に起きます。

・日本語の尾子音(CVCあるいはVCの事例)
①撥音がある場合:
 缶 [kan] 餡[an]
②語末に無声子音+狭母音がある場合:
 です [des] 秋[akʸ]

・日本語の長い子音(CːVあるいはCːVCなどの事例)
①促音がある場合:
 カット [katːo] 昨今[sakːon]

・日本語の子音連続(CCVあるいはCCVGなどの事例)
①語中に無声子音+狭母音+無声子音がある場合:
 舌[sʸta] 臭い [ksai] など

 諸説あるでしょうが、日本語の中で複雑な音節といえばCCVC(スパン)やCCVG(クサイ)、またCCGVC(スキャン)などがあげられるでしょう。

 こういった事例は、日本語のなかでは比較的複雑な音節だといえます。かつては日本語の音節の総数は100個程度だと言われていましたが、わたしが軽く数えた限りでは400個以上はあるなと思います。


3-3 英語と中国語の音節構造の説明

 英語にはstrike(CCCVC)のように頭子音(Onset)が3連続したり、risks(CVCCC)のように尾子音が3連続したりする事例があります。

 strength(CCCVCCCあるいはCCCVCC)のように両側で子音が複数連続する事例もあるので、英語の音節構造は日本語より複雑だといえます。

 また中国語に注目しますと、頭子音において子音連続は起きません。が、韻母(言語学的な意味でのRhyme)においては、日本語にはほぼない音節主音前部要素(介音/On-glide)が起きます。また尾子音や音節主音後部要素(Off-glide)も起きます。

 そのため、ia/ua/uoのような二重母音や、iao/uai/uoaのような三重母音、ian/iaŋ/uanのような鼻音を含む母音が起きます。

 頭子音については、中国語は子音連続が起きないため、日本語のほうが複雑だといえます。韻母については、日本語より中国語が複雑です。

 というように、音節構造の複雑さというのは言語によって相対的な面があります。なので一口にどちらの言語の音節構造が単純か複雑か、とかんたんに言うことはできないですし、それが言語表現としてのrhymeの実現性とどう関係しているのかは尚更です。

 日本語において、CVやV音節が支配的なのは確かですが、支配的=すべての音節構造が単純、とまではいえません。語や句によっては、中国語より日本語のほうが複雑な音節構造をもつことは普通にあります。

 よって「音節構造が単純だから、日本語はrhymeに不適な言語だ」という主張は、それじたいが言語の実態の確認をしきれていない考慮不足な議論だとわたしは考えますし、具体的にどう音節構造が複雑であればrhymeしやすいのかなど、明確な科学的根拠が示されているとはいえず、妥当性が不明な主張だといえるでしょう。


3-4 開音節言語だとrhymeできないのか

 前述までの議論の補足ですが、「開音節言語(Vで終わる音節が支配的)だからrhymeに不適」という主張も見かけます。

 しかし英語や中国語の音節において開音節というのは普通に存在しますし、開音節のrhymeも存在しています。

・英語の開音節rhymeの事例
 free/three

・中国語の開音節rhymeの事例
 外[wài]/菜[cài]

 よって、開音節だろうとrhymeは問題なくできるものだといえます。やろうと思えば、閉音節の存在しない英語や中国語の詩歌を構成することはできますし、それが何かrhymeにとって障害になるということはありません。

 また、イタリア語やスペイン語も「開音節が支配的な言語」と言われていますが、rhyme詩型が定着しています。

・イタリア語の事例
Nel mezzo del cammin di nostra vita
mi ritrovai per una selva oscura,
che la diritta via era smarrita.

Ahi quanto a dir qual era è cosa dura
esta selva selvaggia e aspra e forte
che nel pensier rinova la paura!

Tantʼ è amara che poco è più morte;
ma per trattar del ben chʼiʼ vi trovai
dirò de lʼaltre cose chʼiʼ vʼho scorte.

Dante Alighieri(1265~1321年)『La Divina Commedia』

 上記はダンテ『神曲』の冒頭ですが、引用部分の全行が開音節のrhymeであることが分かります。よって「開音節がその言語にとって支配的かどうか」は、rhymeの適不適の主張として妥当性・説得力に欠けるといえます。


4 語順

 「日本語はSOV言語だから、rhymeに適さない」という主張があります。それこそ古いもので、文学者・三好達治が以下のように主張しています。

邦語に於ける脚韻は、主語客語の後に、命題の末尾に到って動詞を以て修束する。(中略)脚韻を踏もうとする試みの前途をはばむ障害として、(中略)この点を最大の難関と考へる。

三好達治『マチネ・ポエティクの試作に就いて』(1948年)

 上記は、かつて押韻定型詩集『マチネ・ポエティク詩集』を実質的に滅ぼしたといえるほど、非常に大きな影響力をもった主張のいちぶです。しかし、この主張も否定することができます。


4-1 SOV言語だとrhymeできないのか

 まず大前提として、世界の言語のうちSOV言語が占める割合は50%を超えています。これは以下の論文にて示されています。

タイプ 言語数 百分率
SOV型 711 50.50%
SVO型 510 36.22%
VSO型 143 10.16%
VOS型 37 2.63%
OVS型 5 0.35%
OSV型 2 0.14%

松本克己『語順のタイプとその地理的分布』(1987年)P4

 これも母音数の話と同じで、かりに「日本語はSOV言語だから、rhymeに適さない」という主張が正しいとすると、「世界の言語の半数がrhymeに適さない」ということになるはずであり、やはり荒唐無稽な主張になります。

 また、SOV言語にはたとえばトルコ語がありますが、以下の通り、伝統的なrhyme詩型を持っています。

・トルコ語の事例
Zülf-i siyâhı sâye-i perr-i Hümâ imiş
İklim-i hüsne anın içün pâdişâ imiş

Bir secde ile kıldı ruh-i âftâbı zer
Hak-i cenâb-ı dost aceb kîmyâ imiş

Âvâzeyi bu âleme Dâvûd gibi sal
Bâki kalan bu kubbede bir hoş sadâ imiş

Görmez cihânı gözlerimiz yârı görmese
Mir'ât-ı hüsni var ise âlem-nümâ imiş

Zülfün esîri Bâkî-i bîçâre dostum
Bir mübtelâ-yı bend-i kemend-i belâ imiş

Bâkî(1526~1600年)

 SOV言語がrhymeに不適なのであれば、トルコ語にrhyme詩型が存在するのはおかしいはずです。

 また、V2語順規則(平叙文の第2句目が動詞または助動詞になる語順)があるためSVOの語順になることも多いですが、ドイツ語もSOV言語にカテゴライズされます。そして、ドイツ語はrhyme詩型が発展しています。

・ドイツ語の事例
Aufsteigt der Strahl und fallend gießt
Er voll der Marmorschale Rund,
Die, sich verschleiernd, überfließt
In einer zweiten Schale Grund;
Die zweite gibt, sie wird zu reich,
Der dritten wallend ihre Flut,
Und jede nimmt und gibt zugleich
Und strömt und ruht.

Conrad Ferdinand Meyer(1825~1898年)『Der römische Brunnen』(1882年)

 上記を見れば分かりますが、「Aufsteigt der Strahl und fallend gießt」のように、動詞が末尾に来ている行があります。

 つまり、三好達治が指摘するような「動詞を以て修束する」特性は、少なくともトルコ語やドイツ語においてはrhymeすることの本質的な障害にはなっていないといえます。

 さらに追加事例を出しますが、ペルシア語もSOV言語です。しかしこちらも非常に伝統のあるrhyme詩型を保持し、歴史的に発展しています。

・ペルシア語の事例
بني آدم اعضـاي يكديگـرنـد
كـه در آفرينش زيك گوهـرنـد
چـو عضوي بـدرد آورد روزگار
دگـر عضـوها را نمـاند قـرار
تـو گر محنت ديگران بي غمـي
نشايد كـه نامت نهند آدمـي

سعدی شيرازى(1210-1291) 『بنی‌آدم』

 以上にあげた通り、SOV言語でもrhyme詩型が定着している事例は存在しています。このような事例がある時点で、「日本語はSOV言語だから、rhymeに適さない」という主張は妥当性・説得力に欠けるといえます。

 むしろ「言語の語順は、rhyme詩型の発展の必要条件ではない」といったほうが妥当だとわたしは考えます。


4-2 SVO言語でrhymeしていない事例

 さらに、別の角度からも検討しますが、SVO言語でもrhyme詩型を持たなかった言語というのが存在しています。それが「古英語」です。

・古英語の事例
Hwæt! Wē Gār-Dena in geārdagum,
þēodcyninga þrym gefrūnon,
hū ðā æþelingas ellen fremedon.
Oft Scyld Scēfing sceaþena þrēatum,
monegum mǣgþum meodosetla oftēah,
egsode eorlas syððan ǣrest wearð
fēasceaft funden. Hē þæs frōfre gebād,
wēox under wolcnum, weorðmyndum þāh
oð þæt him ǣghwylc þāra ymbsittendra
ofer hronrāde hȳran scolde,
gomban gyldan. Þæt wæs gōd cyning.

『Beowulf』(975~1025年頃)

 古英語はSVO言語(より正確にいえばV2語順規則)ですが、定式的なrhyme詩型を持っていません。が、alliteration(ストレス音節の頭子音を合わせる)詩型を持っています。

 かりにSVO言語がrhymeに適しているのだとすれば、なぜ古英語にはrhymeが存在しなかったのでしょうか。

 「日本語はSOV言語だからrhymeにしくい」という主張をするのであれば、SVO言語でもrhyme詩型が存在しない事例はなぜ存在するのか、説明ができなければならないとわたしは考えます。

 古英語の調査はまだ本格的には進めていませんが、このような事例が存在することは注目すべきであり、「言語の語順は、rhyme詩型の発展の必要条件ではない」というわたしの考えを強化する事例の1つです。


5 形態構造

5-1 膠着語だとrhymeできないのか

 膠着語というのは、言語の形態類型の1つで、語に接頭辞や接尾辞が付与されるような言語のことをいいます。要するに日本語においては「です・ます」や「てにをは」などがそれにあたります。

 この類型には諸説ありますが、次のように説明されます。例えば日本語において「書く」という動詞は、その語に様々な接尾辞が付与されることで、その意味内容が変化します。これら付与される接尾辞を「助動詞」、そして動詞の形態変化は「動詞の活用」と呼ばれます。

●助動詞の例
・書
・書かない
・書きます
・書けば
・書こう

 また上記のような活用がない場合で、名詞などに接尾辞が付与され、語や句の関係・特性などを示すことがあり、これらは「助詞」と呼ばれます。

●助詞
・わたし
・わたし
・わたし
・わたし
・わたしから
・わたしってば

 このように、語や句に何らかの要素が付与される=接着するような特性をもつ言語を「膠着語」と呼びます。

 この「膠着語」、つまり「です・ます」や「てにをは」の存在をもって、日本語がrhymeしにくい原因だと主張するひとがいます。「日本語は必ず『です・ます』で終わるからrhymeする意味がない」といった具合です。

 しかし、膠着語にカテゴライズされる言語は、日本語以外には、たとえば韓国語、トルコ語、フィンランド語、ハンガリー語などが存在します。しかしすでに前述している通り、トルコ語、フィンランド語、ハンガリー語にはrhyme詩型が存在します。

 よって膠着語だからといってrhymeできない、rhyme詩型が発展しないということはなく、この主張は即座に否定できます。


6 まとめ

 ここまで、日本語のrhymeにたいする批判としてよくある『俗説』の、「母音数」「子音数」「音節構造」「語順」「形態構造」の諸要素について反証となる文章を書いてきました。

 気をつけていただきたいのは、本記事はあくまで、日本語がrhymeできない理由・原因を、根拠なく日本語に求めるような主張、責任を日本語におっかぶせて求めるような主張にたいして、反証をくわえています。

 これはつまり、表現として何らかの問題があり、日本語のrhymeの効果を活かせないような事例を擁護するものではない、ということです。

 他国語の事例と対照・比較することで、日本語にたいする思い込みや誤解を紐解き、より詩歌や言語にたいして、客観的で普遍的な視座を与え、より深い洞察ができるような材料になることを意図しています。

 より明確に言うと、「日本語のrhymeが響かない」という実感をもったことがあるひとは多くいるはずであり、しかしその原因を求める箇所は、「母音数」「子音数」「音節構造」「語順」「形態構造」それぞれ単体ごとの要素にはない、ということをわたしは言いたいです。

 たとえば上記要素があるパターンで複合していると「rhymeが響かない」という結果を招く可能性はありますし、あえてここでは書きませんが、もっと別の要素に原因を求められる可能性もあります。実際、韓国語や古英語のように、日本語と同様にrhyme詩型が定着していない言語はあり、何らかの言語的な要素が起因となり、rhyme詩型が定着しない可能性があることを、現時点では否定はできません。

 しかし、その原因を「母音数」「子音数」「音節構造」「語順」「形態構造」それぞれ単体ごとの要素に求めることはできないだろう、というのが本記事の主張です。

 言語に関する議論は主観的・体験的に行うのではなく、科学的・学術的・客観的な態度で検証することが必要です。

 今回の記事は、これにて以上といたします。




※2024/9/2 追記
 いちおう追記なのですが、本記事は「日本語はrhymeするのに適さない言語」という俗説・仮説にたいする反証事例を列挙する記事であり、確実な反証を保証するものではありません。

 要するに、「俗説を支持する主張も支持しない主張も、その主張は確定されたものではなく、反証事例が存在する以上は、俗説への過度な支持態度は修正すべきではないか」という意味を持つ記事です。

 

 

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