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もっと助け合える世界がいいな〜。

2024/03/28
10:30〜11:20
近所のドトールでアメリカン(M)を飲みながら
3500文字

何を書きたいのか

いきなりだけど、最近なにを書こうか結構考え込む。でも、結局やるのは「アウトプットシリーズ」。

なんでかって?過去に自分が読んで、いいね〜と思った記事の内容を振り返りながら、もう一度噛みしめる感覚が幸せだから。性格的に、取りこぼしたくないし、全部全部欲張りたい。そして、なんらかの形にしたい。もったいないマインドがすごい。

人間の脳って上手く出来てて、キレイに「生物の個体としての自分に必要のない情報」は頭から抜けていくようになっているように思う。でも、意図的に忘れたくない内容を反復すると、記憶がフェードアウトしていくのを止められると思っている。

まあ、それもいいんだけど、自分の中で、「こみ上げてくるような思いについて書きたい」と思う。

「アウトプットシリーズ」がどう思われているかはわからない。俺的には、「自分が気に入った部分だけ抜粋しているから、康弘目線でおもろいnoteの切り抜きがサクッと読めて楽しい!いいじゃん!と言ってくれる人がいるのでは?」という思いで書いている。完全なエゴと自己満足だけでそれでいいのだ。

でも、なんか、これ俺テイストでの抜粋ではあるけど、「俺テイスト」が足りなくて物足りない感じがする。なんだこれ笑 書きながらも、人間って面白い欲を持ち合わせてるんだな〜と思う。

まあいいや。それはさておき、要は【「自分オリジナル」なnoteが書きたいって最近強く思ってたのに、アウトプットシリーズとか、歴史をまとめる系(言ってしまえば自分の趣味で調べたことのアウトプット)とかばっかりしていたという事実】自体が、なんだか自分の心の声に耳を傾け足りていなかったんだなぁって感じがしている。

うん、だから今回は最近よく思うこと、感じることベースで書く。では、いきましょうか(前置き長くて750文字、だからレポートでも文字数オーバーで困るし、これから仕事するにあたって情報量を最小限に抑えて伝える練習しねえとなぁ。でも、書けたら削り取るのは出来るからいいのでは?!とかも思ってる。とか言いながらまた更に100文字を追加してもうた笑)

もっと助け合いたい!って思うんよね

上の前置きの内容は、結構最近頭の中をぐるぐるとしていた。そして、それと同じくらいぐるぐるしていたのが「もっと助け合える世界だったらいいナ」ってこと。そんなタイミングで、このnoteのお友達のツイートが目に入った。そう、これこれ。

どういうことかっていうと、もっと知らない人でも助け合いたいなってこと。旅行先で、人に道を教えてもらったり、レストランで注文するときに助けてもらったり。そういう瞬間って、なんだか心が温まる。人生って豊かだなって感じられる瞬間の一つだと思ってる。そういう瞬間を増やしたい。けど自分だけでもどうもならんから、みんなに増やして欲しい。この社会、世界全体として。

利害関係抜きで、困っている人がいて、その瞬間、助けてあげられるから助ける。すごーくシンプル。でも、同じロジックでこの社会は動いていないように思う。

関係値がないと助け合えない?

人に助けてもらう時って、関係値が無い状態だと、赤の他人なのにこんなこと頼んでいいのかな?ってなっちゃう。その発想はとっても大事だと思う。人に迷惑かけるのはよくない。人の人生を邪魔するのもよくない。日本人には十分すぎるくらい備わっている考え方だと思う。

聞いてみて、なにを失うのだろうか?

これに関しては、もっとリラックスした考え方でも良いのになってよく思う。だって、助けを求めてみて、それに対して「他人のことを助ける余裕(精神的・時間的)があるかないか」の判断は、相手にしか出来ないことだから。そして、聞いてみないと始まらない。

黙って困った顔をしながら「助けてくれないかなぁ」って待っているのは最悪。自分もそんなことしちゃうこともあるけど、いくら期待をかけたって、何も変わらない。

赤ちゃんじゃないんだから、自分でどういう助けが必要なのか伝えないと、助けてもらえない。そこを伝えられないんだとしたら、赤ちゃん以下かも知れない。赤ちゃんは、泣くじゃん(オムツ交換、空腹、不機嫌、構って欲しい…等理由は様々だと思うけれど)。

とはいえ「助けて」って言いにくい

ちょっと話がズレた。でも、他人に助けを乞うことが非常に難しいのがこの現代社会な気がする。昔がどうだったのかは知らんけど、もっと温かい近所での繋がりみたいなものがあったんじゃないかな?と予想する。

東京の新居に引っ越してきて、近くに頼れる人がいない!と感じた。もちろん、友達は都内にたくさんいるけれど、電車に乗らないと会いに行けない距離感がほとんど。となると、「ちょっとこの重たいの運ぶの一緒にやってくれん?」みたいなことはなかなか難しい。

京都にいたときは、友達が家に遊びに来てくれるタイミングでその手のことは頼んでいた気がする。そして、引っ越し関連のことは、ありがたいことに親が京都まで来て手伝ってくれていた。でも、それって全部「関係値ありき」だと思う。当たり前か。

道行く人とも「 Give」し合えたら…!

でも、そこら辺来にしすぎないで、通行人とか、マンションのご近所さん同士でも、もっと気軽に助け合えたら良いと思う。もちろん、余裕が無いなら即答で「ごめん今余裕ないんだよね」のNOで良い。だけど、助けられる!YES!なら、助けた方が良いし、助けてもらえたほうが良い。

Give and takeの話は最近流行っているけれど、性善説でいくと、人間はみんな自分に出来るGiveをしたい。だって、自分のちょっとしたことで、「助かったありがとう😊」って言って貰えるんだもん。無料のハッピーだよ。だったら、まずは他の人にそのGiveを自分に対してさせてあげよう。

そのために、困ったことがあって、それが誰かに助けてもらうことで解決するのなら、助けを求めてみよう。それが個人間の文化から、コミュニティの文化になって、それが社会全体に広がって、文化圏を超えてみんな助け合えるようになったりして。

理想主義の価値

いつも自分は理想主義者すぎると思う。でも、夢とか理想を思い描かないと今の人類ないもんね?理想、なんとか実現できそうかも?ってところを攻めながら、努力してきたから、色々なテクノロジーとか身の回りのインフラ(昔は絶対に当たり前じゃなかった)に恵まれている。だから、色々理想を唱えて、想像して、これからも俺は生きていきたい笑

結論、言いたかったこと

まあ、自分の話はこれでいいとして、もっと助け合えたら良いな!って話でした。そして、もっと個人間で恥ずかしがらないで、「ちょい、助けてよ!」って言ってみる実践をしたいね。

なぜなら、「助けてよ!」に対して相手は即答でNOという権利を持っていて、その限りにおいては、「忙しかったりしたら迷惑かな?」は考えすぎなパターンも往々にしてあると思うから。聞いてみないと!聞くやりとりは、5秒あれば終わる。それで、次の予定が…!とか怒り始める人がいるんだったら、なんか残念だね。いないことを願う。まあ見た目的に明らかにバスに乗りたくて小走りな人とかを避ければ大丈夫だよね。

最後に

コミュニティ。人間の繋がり。ここら辺の重要性を感じる今日このごろ。でも、頭の中で自分で生み出している制約のせいで、雁字搦めになってしまうことって結構あるんじゃないかな?自分も含めて。

【メンタルブロック】(mental block)
何か行動を起こそうとしたときに、「自分には無理なのではないか」「人から批判されるのではないか」などと思う否定的な思考や固定観念、またはそれによって行動が抑制されてしまう状態

これこれ。変な思い込みは取り外して、のびのびと豊かに生きていきたい。

今回のnoteはなんだかおこがましい内容になっちゃった気もするけれど、自分の心に素直に、「最近康弘が思っていること」として書いてみた。

いかがでしたか?

いつも通り、これをきっかけに読んでくださったあなたと話せるのを楽しみにしています。コメントも、ちょっと文字を打って送ってくださるだけで、僕がすごくハッピーになるし、お互い新しいことに来づけるかも知れない、超優良投資案件なので、是非コメント投げてみてくださいね!笑

(言い方のクセよ)

最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋
またね〜(noteのお友達の真似。なんかこのゆるさが好き)

僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。