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素直と従順のはざまで。

数年前に、数万人規模の大きな会社から数百人規模の小さな会社に転職しました。

他人から見たら「一つの転職」に過ぎないのですが、自分にとっては人生を少し平らな場所に戻してくれた、大きな出来事だったと感じてます。

今回は、この転職を機会に「素直」と「従順」、そして「違和感」をテーマに考えた思考の記録です。

1.大企業時代

数年前まで勤めていた従業員 数万人規模の大企業。同期入社組だけでも数百人という単位。はっきりとした数字は忘れたけど、ぼくの時だと同期だけで600人とか700人とか。

そして、「○○年入社」という背番号がずーっと付きまとう、完全なるピラミッド型の世界。

例えば入社年次が3年程度違うだけでも、将来的に上司、部下の関係になり得るわけで、この「○○年入社」という背番号はかなり強固な力を持っている。

3年後に入った後輩に比べて、「3年分の業務レベルの違い」を結果として出し続けなきゃならない。

そうじゃないと出世できないんですね。

詳細は後述の通りなんですが、伝統的な大企業ほど、この「出世」という結果・成果がないと歳が増すほど組織内での居場所が無くなります。

これだけ個の発信が力を増す(というかほぼ定着した)時代に冗談みたいな話ですが、実態はそのような世界です。

大企業に入る人達というのは、(以前のぼくも含めて)他人からの評価の目を勝手に自ら内在化してしまっている「良い子ちゃん」なんですね。

「評価される自分でなきゃいけない」といった、息苦しい無言のプレッシャーの中にいる。

大企業というのは誤解と偏見を恐れずに言えば、

・出世という名の評価がすべて
・失敗して、ひとたび評価=出世のルートから外れたら後戻りできない
・入社何年目でどんな仕事をして、どんな役職にいるか。それによってその後の出世具合がある程度想像できる。

大体、こんな感じだと思います。

「大企業」と一言でいっても社風は色々だとは思いますが、よほどセンスのある斬新な経営者のいる会社じゃない限り、内部の様子はほぼ同じなんじゃないかと思います。

だから、上位役職者の言うことには基本的に従わざるを得ない。

こういう構造の組織で一定期間働いていて、何が起こるかというと、

従順でいることが普通になるんですね。

入社当初には感じていた違和感も徐々に薄れていき、「素直」なんて言葉は忘れてしまう。

自分の感覚に素直でいる、ということは優先事項に入らないので、優秀で頭の良い上司や先輩のやり方や姿勢が「正しい」ものになってしまう。

それを自分の中で「正しいもの」にしてしまう。

理由はシンプル。出世したいからですね。出世しないと活躍の場がなくなる、居場所がなくなる、それが怖いから。

均質で平均点の高い人材育成を主眼にした日本の教育方針も手伝い、良い子ちゃんは「他人の評価の目」を勝手に自分の中に埋め込んでしまっているので、なおさらです。

自分の「素直」さを前面に出した結果、評価されない、そんな存在になってしまうのが怖いし、そんなリスクは犯さないわけです。

結果、仕事のやり方も過去の慣例などを参照して「間違いのない」「失点の少なそうな」意見しか言わなくなる。

それが上司や先輩に受け入れられるやり方だし、「優秀な」人ほどそれが直感的に分かるからです。

そうして、みんな例外なく「従順」になっていく。良く出来た仕組みだなーって、振り返ってみて改めて思います。

2.転職後

数年前に数百人規模の会社に転職しました。

以前務めていた大企業とは全く違う風景がそこにはあって、

・とにかく、組織立った仕事をしていない。
・評価という点でのプレッシャーを感じてそうな人が、かなり少ない
・上司、先輩の言うことをあまり聞かない人が一定数いる。

最初、あまりの風景の違いに、かなり戸惑いました。

現在勤めている会社の社風も大いに影響しているとは思いますが、

小規模な会社ではピラミッド型の大企業官僚組織みたいなことでは仕事が回っていかないんですね。

そんな組織形態を維持しているだけの余裕がない。シンプルに人数的な余裕がないからです。

だから、良くも悪くも自由がある。組織の中に「すきま」がある

管理職は部下の管理だけをしている、そんな余裕はないわけです。

要は、前提からしてピラミッド構造が崩れており、その帰結として必ずしも「従順」である必要がない。

転職して、自分も随分変わったなーって思います。

「評価」の目なんて気にしなくなったし、いつも従順でいる必要なんてないんだと分かった。

組織的にはリスクのある話ですが、少なくとも個人としては自由裁量のスペースがある。

それで、自分が変わったなと思うことの一番は、大切な「違和感」が復活したことですね。

違和感の残る指示にはその真意を確かめ、意見してみる、別のやり方を一度提案してみる。

組織的なすきまが、そんな行為を許容しているし、そもそも他人の評価を過剰に気にしなくなった姿勢も相まって、「違和感」を表現するようになった。

もちろん現在もサラリーマンですから、意見が通らない場合、最後は上の指示に従います。

でも、大企業にいた時と大きく違うのは、組織にすきまがあること、

そのすきまに、自分の「素直」を差し込む余地があること

3.素直と従順のはざまで

できることなら、素直な気持ちに従って生きたいですよね。誰かの考え方や、やり方に従順になんてなりたくない。

素直な気持ちに従って行動したことが誰かの心に届いたら、喜んでくれたら、そんなに嬉しいことはないなって思います。

一方で、人はどこまでいっても社会的な生き物である以上、誰かからの承認や理解が必要。

自分とは違う価値観や考え方とも何とか折り合いをつけて生きていかなくちゃいけないんですね。

同時に自分の信じる感覚、価値観も大切にしたい。そういうもんだと思います。

「従順」だけは辛いし、一方で、自分の感覚や純粋さ、「素直」だけを押し通す人生も辛い。それじゃ誰にも理解されないかも知れない、承認されないかも知れない。

素直な心で生きていきたいと願いながら、結局は「素直」と「従順」のはざまに生きているんだなって思います。

4.違和感・葛藤を宝物にして

素直と従順のはざまにしか生きれない。

でも、ひとつ大切なことがあって。

何か納得いかないことに従ったりそれに合わせることがあったとしても、素直な心があれば、違和感が残るはず。

その違和感を心に留め置くこと、忘れないことだと思います。

その違和感、葛藤を宝物として大事に持ち続けること。

素直な心から生まれた、そんな違和感や葛藤こそ自分の真ん中にあるものだし、自分の人生の指針となるもの。

ぼくが転職を決めた理由、

それは、家庭の事情とぼくの仕事の都合で叶わなかった、可愛くて仕方ない娘と過ごす時間を確保すること。その一点でした。

ぼくがいた大きな会社には、ぼくの代わりはいくらでもいる。平均点の高い優秀な人材はいくらでもいる。

でも、娘の父親はぼくだけだ、娘と一緒に親密な時間を過ごしてあげられる父親は世界にぼく一人だけだって、

従順だったぼくの中に僅かに残された素直な心が訴えかける違和感や葛藤。

その末に辿り着いたのは、素直な心を思い出させてくれる、穏やかで平らな世界でした。




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