真似るときには丸ごとパクらずに自分が共感できるものを探すという姿勢が大事
今回は真似ることについての個人的な見解を語ってみたいと思います。
何ごとであっても先輩・先駆者の良いところを学び、まずは真似てみるという行動を起こすことは、ひとりで悪戦苦闘するよりずっと自分のためになるのではないかと。
学ぶことが真似る(真似ぶ)ことからきているという話も、なるほどもっともな気がしますが、私たちはヨチヨチ歩きの幼児の頃から、親や兄弟姉妹や周囲にいる人たちの真似をして、ここまで成長してきたわけですよね。
なので、オリジナルと思い込んでいても、脳内に刷り込まれている誰かの真似だったり、複数のいいとこ取りだったりで、まったくのオリジナルの発想というのは珍しいのではないでしょうか。
そういう意味では、発想力というのはそれが単独の能力ではなく、着想力とセットで機能しているのではないかと考えているのです。
アイデアが次から次へと湧き出る人は、そのきっかけになるフックを豊富に仕込んでおり、何かのヒントや言葉や景色・情景などの中からトリガーになるキーワードを思いつき、関連する仕込みのネタを引っ張り出せるのです。
それらを単独であったり組合わせたりして言葉に換えるわけで、それが秀逸なアイデアやユニークな発想・着想として形になって、場合によっては新規事業になったり新商品や改良商品につながるのではないでしょうか。(^_^)b
だから、いろいろなことに目を向けて、学べることから真似て学ぶ姿勢というは、とても大事なことだと考えているのですが、真似るにも真似かたがあるというか、上手に真似る必要があると思うのですよ。
まずやっちゃいけないのが、丸ごと真似ることで、要するに丸パクリするという行為ですね。
丸パクりは自分の成長にもならないし、人にも迷惑をかける行為なので絶対にやってはいけないことだと思います。
やっていいのは丸パクりではなく、引用して紹介することですね。
それもちゃんと引用元をあきらかにして、文脈の中で必要とされながら自分では文章化できなかった知見を、引用文として拝借し自分の文章に拝借するわけです。
もちろん文章の目的によっては、事前に了承を得ることが最善です。
引用させてもらう部分が、自分の文章の主題に深く関わるようなら、それなりに引用元の紹介や、引用することの趣旨が読者にも伝わるようにしたほうがいいと思います。
私は、真似ること=学ぶことだと受け止めているので、真似ることや真似られることに抵抗は無いのですが、中には似たような表現をされることに嫌悪感を示す人も多いかも知れません。
なので、闇雲に真似るという行為に走らず、まずは自分の思いや考察に似たもので、読んだときに共感を覚える内容のものを学び取るつもりで、真似ると良いのでは無いかと思います。
もともと自分の頭の中にあった思いや考えと、まったく同じような文章を見つけたら、その文章を読むだけでも頭の整理になり、触発もされると思うのですね。
そんな風にして、真似る=学ぶという行為が、自分の中で醸されて、言葉を生み出してくれるという流れが、真似ることではもっとも自然で勉強にもなると思うのですよね。
自分が共感できるということ自体が、自分の中にその芽を宿していたということになりますもんね。
学ぶ姿勢で堂々と真似る、こそこそ姑息なパクりをしない。
そういう思いで、共感できる記事を探せばいいと思うのです。(^_^)b
そもそもが、オリジナルをどう昇華し、自分らしさを加味したのかっていう程度の独創性だと考えれば、似ているからといって、目くじら立てるほどのことではないかも知れませんね。🤣
ってことで、今回は
「真似るときには丸ごとパクらずに自分が共感できるものを探すという姿勢が大事」という真似ることは大事だが共感できるものを探したらの話。😄
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
共感し 上手に真似て のほほんと
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