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天孫降臨「磐船神社」超絶磐座信仰【交野シリーズ】【生駒シリーズ】【ニギハヤヒシリーズ】【河内シリーズ】

 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命こと饒速日命(ニギハヤヒ)が天孫降臨した地で磐座だらけのパワスポ「磐船神社」。磐座は高さ、幅ともに12mもある珍しい船の形をし「天の磐船」とする。交野市に古くから残る天孫降臨という伝説のうちのひとつとして、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊がこの天の磐船に乗って地上へやってきたといわれている。
 「星田妙見宮」を起点に、「磐船神社」「天田神社」の3点を線で結ぶと、聖地の結界を意味する巨大な二等辺三角形となる。

変更履歴

▼HP ※後述「▼見どころ」参照

▼アクセス

磐船神社:大阪府交野市私市9丁目19ー1
星田妙見宮:大阪府交野市星田9-60-1
天田神社:大阪府交野市私市1丁目30-11
八葉蓮華寺:大阪府交野市大字傍示111
獅子窟寺:大阪府交野市私市2387

▼祭神・本尊と脇時

磐船神社:天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(饒速日命)

▼見どころ

▽磐船神社(大阪府交野市私市9丁目19ー1)

 「天の磐船(あめのいわふね)」とよばれる天野川を跨ぐように横たわる舟形巨岩を御神体とし拝殿のみの自然信仰の古社で、ニギハヤヒは河内国河上の哮ヶ峯に降臨されたと先代旧事本紀にあり、ニギハヤヒが降り立ったときに、この土地の豪族・長髓彦(ナガスネヒコ)の石碑も祀られています。
 このナガスネヒコは後の神撫天皇兄弟の神武東征で、ケチョンケチョンにやっつける武の神ですね。

 まずは神社由緒を公式HPより少し。

磐船神社は御祭神饒速日命が天照大御神の詔により天孫降臨された記念の地であり、古典によると「河内国河上哮ヶ峯」と呼ばれているところです。御神体は命の乗ってこられた「天の磐船」といわれる高さ12メートル、幅12メートルある船の形をした巨大な磐座(いわくら)で、初めて訪れた人々は皆一様にその威容に圧倒されるといいます。
当社は大阪府の東北部、交野市私市(かたのし きさいち)にあり、奈良県生駒市に隣接する、生駒山系の北端、まさに河内と大和の境に位置します。境内を流れる天野川は、10キロほどくだって淀川に注ぎ込みます。この天野川にそって古代の道ができ、「上つ鳥見路」と名付けられ、後世には「磐船街道」とか「割石越え」と呼ばれるこの道(現在の国道168号線)は現在の枚方と奈良の斑鳩地方をむすび、さらには熊野にまで続く道でした。瀬戸内を通り大阪湾に到着した人々や大陸の先進文化は、大和朝廷以前にはそこから淀川、天野川を遡りこの道を通って大和に入るのが最も容易であったと思われます。
またその一方で、古代からの日本人の巨石信仰にも思いを馳せると、天の磐船は古代の人々にとってまさに天から神様の降臨される乗り物であり、その磐船のある場所は神様の降臨される聖域でありました。そしてこの地に出現された饒速日命はまさに天から降臨された神様であり、長髓彦などの豪族たちをはじめ、大和の人々から天神(あまつかみ)として崇敬を集めたのであり、命のお伝えになられた文化が大和河内地方を発展させたものと思われます。そして当社は、天神として初めて大和河内地方に降臨された饒速日命の天降りの地として信仰されてきました。

http://www.osk.3web.ne.jp/~iw082125/

古代における当社の祭祀は饒速日命の子孫である物部氏(もののべし)によって行なわれていました。その中でも特に交野地方に居住した肩野(かたの)物部氏という物部の一族が深く関係していたと思われます。この一族は現在の交野市及び枚方市一帯を開発経営しており、交野市森で発見された「森古墳群」の3世紀末~4世紀の前方後円墳群はこの一族の墳墓と考えられており、相当有力な部族であったようです。また饒速日命の六世の孫で崇神朝における重臣であった伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の住居が現在の枚方市伊加賀町あたりにあったと伝承され、森古墳群中最大最古の古墳の被葬者はこの方ではないかとする説が有力です。

公式HP


 いきなり磐座が現れますね。

磐船「明」神社

 では境内に入ります。
 先にお伝えしますと、御朱印などは社務所は10:00からのようです・・・。ということで、御朱印はまたの機会になります。

 社務所はまだ開いていない時間帯なので、磐座方面へ!

→拝殿と御神体・磐座

拝殿左から
拝殿右から

→拝殿左:磐窟巡り

 寺で言えば「胎内巡り」に相当するというと分かる方もいるかな。御神体巡りとも言っても良いかな。あの危ないので、それなりの覚悟でお願いします。妻は危ないから嫌だとのこと。

→拝殿周辺

 上の写真の裏側ですかね。まずは、どの神社でも鎮座する稲荷さんですね。

 お稲荷さん左には磐座かと思いきや不動明王石仏??いや摩崖仏が・・。神仏習合だな。

神仏習合の時代(公式HPより)
 物部守屋公が蘇我氏との崇仏・排仏論争に破れ、物部の本宗家が滅びるとともに交野地方の物部氏の勢力も一掃されることとなります。このため当社の祭祀も衰退を余儀なくされますが、当社を総社としていた私市、星田、田原、南田原の四村の人達が共同で祭祀を行ってゆくようになりました。 その後、生駒山系を中心とする修験道や山岳仏教が盛んになると、当社もその影響を受けることとなり、修験道北峯の宿・岩船の宿としてその行場に組み込まれてゆきます。
 また、平安朝になると交野が貴族の御狩り場や桜狩りの名所となり、歌所ともなります。そして歌の神様でもあり、航海の神様でもある住吉信仰が広まり、当社も御神体天の磐船のそばの大岩に住吉四神がお祭りされるようになります。この理由についてはお互いに船と関係の深い事により結びついたとも、「新撰姓氏録」という典籍によると、住吉大社の神主であった津守氏が饒速日命の子孫にあたり、その関わりで物部氏滅亡以後、住吉四神が祀られたとも考えられています。(住吉大社と当社の関係は意外と深く、「住吉大社神代記」という古典には、「膽駒神南備山(いこまかんなびやま)本記 四至(中略)北限饒速日山」として、当社(=饒速日山)を、住吉大社の所領であるかあるいは住吉大神と縁の深い「生駒山」北の境界として、記していることは興味深いものがあります。)
 鎌倉時代にはこの住吉の神の本地仏としてその大岩に大日如来・観音菩薩・勢至菩薩・地蔵菩薩の四石仏が彫られ、四社明神として知られています。その後四社明神の祀られた大岩の前に御殿が建てられ、現存はしていませんがその屋根や柱を立てた穴らしい跡が岩に残っています。また境内の大岩には不動明王が彫られ、「天文十四(1545)年十二月吉日」の銘が彫られ、神仏習合の色合はますます強まりました。

公式HP

→社務所周辺

▽星田妙見宮(大阪府交野市星田9-60-1)

 磐座信仰があり、ここで購入できる霊符(お札)は、「おまじないのレベル」をはるかに超えていると言われている。実は、日本で2番目に古い隕石落下地点で「天・地・人を結ぶ特異な場所」でもある。

 キーワードは北極星。仏教では妙見菩薩、神道では天之御中主大神として信仰され、伊勢神宮の祭りの「太一」も北極星を示す。
 「七夕伝説発祥の地」であり、また、「天神が最初に降臨した場所」ともいわれ、星田妙見宮を起点に、「磐船神社」「天田神社」の3点を線で結ぶと、聖地の結界を意味する巨大な二等辺三角形になる。
 境内には御神体「織女石(たなばたせき)」があり、古来よりご神体としている。祭神は「天之御中主大神」で、仏教では「北辰妙見大菩薩」や「大日如来」で、陰陽道では「太上神仙鎮宅霊符神(たじょうしんせんちんたくれいふしん)」をあらわす最高神である。最後に駐車場だが、表参道側と裏参道側があり、裏は駐車スペースが4~5台程度しかない。

 また、「登龍の滝」という滝壺も注目ポイントで、ここに隕石が落ちたとされている。星田妙見宮を起点に、「磐船神社」「天田神社」の3点を線で結ぶと、聖地の結界を意味する巨大な二等辺三角形が姿をあらわすそうな。ニギハヤヒと北極=丹後=トヨウケと物部系の地域ということか。



▽天田神社(大阪府交野市私市1丁目30-11)

 物部氏の勢力が交野地方に及び、その祖神であるニギハヤヒを祭神として長く祀られていたが、平安時代に入り宮廷貴族が狩猟に来ては盛んに和歌を詠み、七夕伝説に因んで、甘野川が天の川、甘田は天田と書くようになった。
  その頃、住吉信仰が流行し、巌船の神も海に関係があると考えられ、更には物部氏の衰退もあり、交野の神社の祭神はニギハヤヒから海神で和歌の神でもある住吉神になり今に至る。本殿には住吉4神(表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帯姫命)を祀る。

▽機物神社(大阪府交野市倉治1-1-7)

 「はたおり」と読み、秦氏系の神社という噂もある。「織姫」の原型になったといわれる「天棚機比売(アマノタナバタヒメ)」を祭神とする七夕祭りの7月6日の宵宮~7日の本宮が見どころ。
 宮司が語っている動画をどうぞ!


▽八葉蓮華寺(大阪府交野市大字傍示111)

 快慶の仏像は、奈良・京都を中心に30数例が知られている。快慶は、藤原彫刻の優美さを受継ぎながら、写実的な表現を踏まえて、日本人の心に強く訴える、独自の形式美を備えた仏像の美の形を創造し、後世に大きな影響を与えました。

◆2017年なら博「快慶展」◆
小さくてひっそりとしたお寺の中に、国の重要文化財に指定された快慶作「三尺阿弥陀如来立像」が安置されている。顔が奈良円成寺の運慶作「大日如来@国宝」と似ている気がする。女性が化粧をすると顔の印象が変わるように、仏像も金箔の取れ方で印象が変わるのかもしれない。

快慶展の私の感想↓これ

 次の2:36あたりで1秒ぐらい出ています!?

▽獅子窟寺(大阪府交野市私市2387)

 見仏は事前予約。
 奈良県生駒市へと続く急峻な丘陵地帯の中にあるのだが、強烈ですね。詳細は交野市の動画参照で。

 「薬師如来坐像@国宝」は印相が面白い。右手は施無畏印で、左手は手のひらを上に向けて体の前に構え宝珠を持っている。 左手を腹の前で上に向け、右手はその少し上で親指と別の一本の指で円をつくる薬師像で「智吉祥印(吉祥印とも)」と呼ばれているもの。って、広隆寺だ!!!

▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展 なし


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