日本医薬総鎮守「少彦名神社(神農さん) 」 ビルの谷間で小さいが製薬会社お馴染み
大阪オフィス街の道修町に鎮座する神社。製薬会社が集まる場所でもあるので神社との関係からも「薬の町」としても知られている。
東京の神農さんといえば「湯島聖堂」なんですね。神農祭りの記事(https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F11495846&contentNo=1)で知りました。
スクナヒコといえば、私の中では大神神社ですね。
変更履歴
2024/04/15 初版
▼HP
▼アクセス
大阪府大阪市中央区道修町2丁目1−8
※道修町は江戸時代から薬種問屋が集まる町として知られている。武田薬品、田辺三菱製薬、塩野義製薬など多くの大手製薬会社の本社・支社がある
▼祭神・本尊と脇時
少彦名命(スクナヒコナノミコト)・・・日本の薬祖神である
神農炎帝(シンノウエンテイ)・・・・・中国医薬の祖神
▼見どころ
→歴史・由緒など
「神農(しんのう)さん」とも呼ばれている
豊臣秀吉が大阪の商業を盛んにした頃から「薬の取引の場」として発展してきた場所
1658年頃、薬種商の集まり始める
1722年、薬種中買仲間として幕府の公認を得る
江戸時代、薬種商は中国医薬の祖・神農の像や掛軸を床の間に祀っていた
当時、薬は輸入品に頼っていたが、国産薬の取扱いが増加していく
1780年、京都・五條天神(私のNOTE(2025年1月公開))から少彦名命(スクナヒコナノミコト)を勧請し、炎帝・神農とともにお祀りしたのが始まりとなっており、実は新しい
スクナヒコは、オオクニヌシとともに日本を平定したと言われ、医薬、温泉・酒造など幅広い力を持つ
1822年ごろ、コレラが流行し、虎の頭骨などの和漢薬を配合して作った薬が「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)」というものだったそうで、鳥居左には狛虎?がいる
1837年、大塩平八郎の乱で仲間会所焼失
1837年、仲間会所内に祠堂を設けて祭神を遷座
1906年、独立した神社として祭神護持
1910年、正遷宮斎行
1980年、「少彦名神社 鎮座200年」を記念して拝殿・本殿修復、社務所新築
毎年11月22・23日に「神農祭」が行われ、「張子の虎」が配られる
大阪薬科大学、大阪大学薬学部もルーツもこの神社が鎮座する道修町にある
→境内へ
ビルの谷間にあるので通り過ぎないように要注意ですね。
右側には「定給療病方咸蒙」、左側には「其恩頼 正二位伯爵源通禧書」と刻まれている。
有名な薬のメーカーの提灯などが多く、参道には、みんながお世話になっている製薬のサンプルが飾られている。
幣殿・拝殿・本殿は 1910年再建のものです。
社殿右に「伊勢神宮遥拝所」がある。伊勢講から始まった神社のようす。その両脇は出雲大社(私のNOTE)のオオクニヌシとスクナヒコとなっている。
逆サイドに「屋久杉五社明神」です。右から次のようになっています。頭の数字は参拝順でしょう。
四 水天宮・・・・安産
二 金毘羅宮・・・金運
一 猿田彦社・・・・開運
三 天鈿女社・・・・諸芸上達
五 天満宮・・・・・学問
最後に神社DXで表示される由緒です。
→神農祭(パンフレットPDF)
他力本願です。人が多いな・・あのスペースにこの人の量なのか・・。
→製薬会社
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記 なし
▼セットで行くところ
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