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国宝!重文だらけ「苗村神社」東本宮・西本宮両参り【滋賀湖東シリーズ】【湖東シリーズ】【竜王シリーズ】

「なむらじんじゃ」と読む。不動明王立像@重文を安置する神仏習合が残る神社で西本殿は国宝である。主祭神は工芸技術・産業を伝えた「那牟羅彦神」と「那牟羅姫神」、国土開発・五穀豊穣の「國狹槌尊」である。また、東本宮ではオオクニヌシ、コトシロヌシ、スサノオと出雲三柱を祀る。

 「三十三年式年大祭」は33年に一度のお祭りで、次回は2046年です。

変更履歴

▼HP

苗村神社は、滋賀県蒲生郡竜王町の近郷三十三村にわたって氏子を有する神社です。
結婚式をはじめ初宮詣、厄除け、交通安全、縁結び、七五三詣、安産祈願など様々なご祈祷を行っております。
どうぞ皆様のご参拝をお待ちいたしております。

↓公式HP

▼アクセス

滋賀県蒲生郡竜王町綾戸467

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

  • 延喜式では「長寸(なむら)神社」としており、境内でも「長寸神社」とある

  • 域内外より古墳時代の遺跡がある

  • 日本書紀には、この地域に新羅王子・天日槍の記載がある

  • 社伝によれば垂仁天皇の御代に、ここを開拓した御祖を祀ったのが始まり

  • 祭神は地名「那牟羅(なむら)」で、畏れおおいので神社は同音の「長寸(なむら)」にした(貴船神社とか、間人とかもそうですね)

  • 969年、大和國芳野金峯山に鎮まり給うた「國狹槌尊(クニノサツチミコト)」を遷座させる

  • 1017年、現在の社名「苗村」になったのだが、理由は、朝廷に門松用の松苗を献上することになり、後一條天皇より「以后苗村神社」としたようだ

  • 1217年、現在の西本殿が出来たことと再建されたことが、1308年の棟札に書かれている

  • 鎌倉時代の建築様式が今によく伝えられており、棟札もあったので国宝に指定されたようだ

  • 1536年、後奈良天皇から「正一位」の神位奉授され、足利義晴より勅使参向に当って三箇條の禁制札を下地される

  • 織田信長は、天下太平を祈願し当社に馬鞍一具と太刀七振りを寄進

  • 1599年から33年に一度の祭りが始まる!って寺の秘仏公開のようだが、周囲三十三神社の神の数

  • 33年に一度の『三十三年式年大祭』があり次回は2046年。。。

 まずは東本宮から。

▽東本宮

 昔の名称「長寸」ですね。東本殿周辺には6世紀後半に造られた東苗村古墳群が残されている。

 右手に祓戸社と思われる摂社・末社があります。いや、東本宮は出雲系のようだからサルタヒコかな・・?

「大国主」に見えたのだが・・わからなかった。参道に戻る。(ネットでは大神宮と記されている)

→東本殿@重要文化財

 東本殿にはオオクニヌシ、コトシロヌシ、スサノオを祀るが、元々は苗村の産土神である「那牟羅彦神」と「那牟羅姫神」を祀っていたようで、西本殿には「国狭槌尊」のみだったようだ。

→摂社・末社「佐々貴神社」

 おお~佐々木氏関係しているのかな。沙沙貴神社(私のNOTE)から勧請だろうか。

→摂社・末社「天神社」

→東苗村古墳群

 八基の円墳が確認されてるそう。

 日本書紀には、新羅の王子で出石神社(私のNOTE)の祭神・天日槍命(アメノヒボコ)が宇治川を遡って近江・吾名邑(あなむら)に入り住んだとのこと。これをもち、近江国の鏡村の谷の陶人(すえびと)は、天日槍の従人である」という記述がある。「ナムラ」は「吾名邑」から来ている説がある。

 オオクニヌシ、コトシロヌシ、スサノオと出雲三柱を祀る。出雲の神社仏閣は次の通りです。

▽西本宮

 西本殿は国宝である。主祭神は工芸技術・産業を伝えた「那牟羅彦神」と
「那牟羅姫神」、国土開発・五穀豊穣の「國狹槌尊」である。

→参道、太鼓橋

太鼓橋

 太鼓橋と楼門の間は広い土の道になっているのだが、毎年5月5日に「流鏑馬」をするようだ。

→楼門@重文

 建立時期は不明だが、建築様式から1394~1427年頃のものと推測されているよう。構造は三間社一戸楼門入母屋造の藁葺。

→境内

→手水舎

→國狹槌尊(子守の像)、神輿庫@重文

→拝殿、西本殿@国宝


 「子守猿」と「厄除猿」??って日吉大社(私のNOTE)の影響を受けている??いや東本宮と西本宮という名称と構成から日吉大社関係かと勝手に実は思っていただけだけど。ただ、日吉大社関係なら比叡山と繋がりが強くなり、織田信長の焼き討ちにあうか・・。

 祭神は、那牟羅彦神(ナムラヒコガミ)、那牟羅姫神(ナムラヒメガミ)、國狭槌尊(クニノサヅチノミコト)となっている。那牟羅彦神と那牟羅姫神は、この辺りに、初めて工芸技術を広めた産土の夫婦神。

 本殿左右には応神天皇を祀る「八幡社@重文」と十禅師を祀る「十禅師社@重文」が鎮座する。
 八幡社の祭神は応神天皇などで1430年ごろの建立とのこと。十禅師社も同年代に建立したよう。ちなみに応神天皇の母・神功皇后を辿ると前述のアメノヒボコになる。
 十禅師社の祭神・十禅師は、山王二十一社のうち上七社の一社・十禅師で天台宗の僧なのだそうな。神仏習合ですね。って、ニニギノミコトだ。湖東ってなんぜニニギが多いんだ・・。
 やっぱ、日吉大社に影響を受けた時代があったと思ってしまう。。

十禅師
 神仏習合時代の山王七社権現のひとつで、地蔵菩薩の垂迹とされる瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)

 手前には「綾之社」と「恵比寿社」が鎮座する。

 龍神社からの本殿@国宝です。

 本殿裏です。ライトと謎の石が・・。

→護国社

→社務所


→帰り

 龍神社ですね。

→不動堂の不動明王立像@重文

 8月に山伏が集まって大護摩供が行われる。平安時代末期の「不動明王立像@重文」は吉野・金峰山寺の蔵王権現が国狭槌命の本地仏とされたことのようだ。

 しかし、平安時代でこの腰に練りは素晴らしいのだが、どうも鎌倉時代じゃないかと思ってします。

→三十三年式年大祭渡御


▼旅行記


▼セットで行くところ


▼仏像展


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