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2020年5月の記事一覧
幼馴染も出会いは最悪なアイツもいなかったですよ
人間誰でも勘違いや間違いはあると思う。
例えば「月極駐車場」を「げっきょくちゅうしゃじょう」と読む、とか。「汚職事件」を「お食事券」だと思うとか。
どちらも昔、私が勘違いしていた事なのだが。
ニュースで「おしょくじけん」と言っているのを耳で聴きながら、政治家に賄賂として高級料亭のお食事券でも渡してたのかな〜などと思っていた。(まあこれはあながちニュアンスとしては間違っていないのかもしれないけど)
焼鳥って何でこんな美味しいの?
今日は旦那に焼鳥屋さん、焼きとん屋さんのテイクアウトを買って来て貰って晩酌した。
旦那が3軒もハシゴしてたらふく買ってきたものでめちゃくちゃお腹いっぱいになった。美味しかった。
私も旦那も焼鳥が大好きで、子供が生まれる前はよく二人で飲みに行った。やっぱりお店で出てくる焼き立ては格別だ。
私が本格的な焼鳥を初めて食べたのは大学生になってからだった。それまで私にとっての焼鳥は、母がスーパーで買って来
どっちがアクセルでどっちがブレーキか直ぐに思い出せない(ほんとに)
長らく車を運転していない。
最後に運転したのは多分もう3、4年前。実家に帰省した時にほんの近場までちょろっと乗っただけだ。
何故なら、東京に住んでいたら車が無くても生活出来るからだ。(別の言い方をすれば、車の維持費と駐車場代という支出をする余裕が無い)
今は多分怖くて直ぐには運転出来ない。
実家に居た数年間とは言え、自分が毎日運転していたのが今となっては信じられない。とは言え、元々運転が得意だ
子供の頃に置いてきたもの
あれは多分私が保育園か小学校に入りたての頃の事。(この辺の時期の記憶が曖昧)
父、母、兄、私、そして父が務めていた会社の部下のおじさん夫妻で隣県にある温泉宿に泊まりに行った。
その温泉宿は目の前が海だった。海岸に下りて行くと岩肌の浅瀬が広がっていて、潮溜まりにいるイソギンチャクを見て兄と「気持ち悪い」とゲラゲラ笑った覚えがある。
宿はとても趣のある建物で、部屋には海を臨めるプールまで付いていた。
ベニシアさんに憧れて(憧れてばかりだな)
先日買い物に出た帰り、立派な薄いオレンジの花を沢山付けた薔薇が茂っているお宅を遠目に見付けて、思わず少し寄り道をした。
玄関前の生け垣となっている薔薇はそれはそれは綺麗で、たいそう手をかけているのだろうなぁと暫し立ち止まって眺めた。
そうか、今って薔薇の季節か、と思った。
急に熱くなった気候と外出自粛のせいで季節感を失っていた事に気付いた。
近所のまた別のお宅は広いお庭に沢山薔薇を育てていて毎
中途半端に不思議な話
私にはいわゆる霊感は多分無い。
まあこの辺りはそもそも人によって信じるか信じないか、信じるとしてもどの程度信じるかがかなり分かれる領域の話だと思うけど、私は個人的には幽霊は存在すると思っている。もっと言えば生きている人間というのは肉体という器に魂が宿っている状態であり、生命活動が停止した肉体から離れた魂が世に言う幽霊なのだと思う。
居るとは思うけど、それを実証する術は何も無い。本当に幽霊を見た事
忘却し忘却されてゆくばかりの人生
苦手な事は数多あるが、その1つが「人の顔と名前を覚える事」だ。
よく分からないけど多分そういう事を司る脳のどこかが弱いんだろう。結構昔からその傾向にあった。
高校1年の時、夏休み明けに久し振りに顔を合わせたクラスメイトの女の子の名前が咄嗟に思い出せずに冷や汗をかいた。幸いその子とはめちゃくちゃ仲が良かった訳ではないので、名前を呼ぶような場面は無く、そうこうしている内に思い出して密かに胸を撫で下ろ
特別な何かを感じている時点で同じような事かもしれないけど
私は運命とか、宿命と言った考え方が余り好きではない。何が好きではないかと言うと、「予め決まっていた」という考え方が好かない。
悲しい事が起きた時に「これが運命だったと思って諦めるしかない」という言い方をする人がたまに居る。(たまに居るっていうか、私の父)
それはある意味では起きた事を受け入れるしかないという現実的で合理的な捉え方だし、或いは誰のせいでもないという遠回しな優しさでもあるかもしれない
魔法少女にはなれないし、世界は残酷なほど平常運転だよ
子供の頃、小石を拾うのが好きだった。
どんな小石でもいい訳じゃない。
形が珍しかったり、余り見かけない変わった色をしていたり、角が取れてとてもつるつるしていたり、きらきら光っていたり。
学校の帰り道なんかにそういう石を見付けては、大事に持ち帰り綺麗に洗って仕舞っていた。
実家の庭には一部玉砂利が敷かれていたが、一様にお寺に敷かれているような艶の無い無骨な黒っぽい石ばかりで何の魅力も無かった。