見出し画像

中途半端に不思議な話

私にはいわゆる霊感は多分無い。

まあこの辺りはそもそも人によって信じるか信じないか、信じるとしてもどの程度信じるかがかなり分かれる領域の話だと思うけど、私は個人的には幽霊は存在すると思っている。もっと言えば生きている人間というのは肉体という器に魂が宿っている状態であり、生命活動が停止した肉体から離れた魂が世に言う幽霊なのだと思う。
居るとは思うけど、それを実証する術は何も無い。本当に幽霊を見た事は無いし、存在を感じた事も無い。ただ無闇に、居ると思っているだけ。
だから、ホラー映画やその手の番組などうっかり観ようものなら、怖くて1人でトイレに行けなくなる。

…まあ、つまり、怖がりなのだ。

そんな訳で私は自分に霊感というものが無くて本当に良かったと思っている。見えてしまった日には間違い無くとんでもない悲鳴を上げてしまう。

そんな私だが大昔、ほんの少しだけ不思議な体験をした事がある。

保育園か小学校低学年くらいの頃、私は夢を見た。
どんな夢かと言うと、人間と同じサイズになった日本人形がずっと私の後を着いてくるという夢だ。ちなみに日本人形というのはおかっぱの市松人形のタイプではなく、髷を結ったほっそりとした大人の女性のタイプの人形である。人形は紫に近い濃い青色の着物を着ていた。
日本人形が着いてくる、というと何だか怖い夢のような感じがするし実際夢の中の私は人形から逃げていた。しかし人形は私に何か恐ろしい事をする訳ではなくただ黙って着いてくるだけだった。私が車に乗っても後ろから追いかけて来たし、どういう訳か器用に縄跳びまで跳んでいた。

夢がどういう結末だったのかは分からないが、私は目を覚ました。
階下に行くと母が朝から仏間の奥で何かしていた。仏間の奥には小間と読んでいる小さな和室があり、母がその部屋の押し入れから何かを出したところだった。

それが、ガラスケースに入った青い着物の日本人形だったのだ。

子供ながらに私は少しぞわりとした。さっきまで夢に出てきていた日本人形とそっくりだったからだ。
その後の記憶は曖昧だが、多分母に夢の内容を訴えたような気はする。

唯一の不思議な体験ながら、実に中途半端だな、と今でも思う。
私が日本人形の夢を見て母に訴えて、それがきっかけでずっと仕舞われていた人形が出される事になったならもっと完璧に不思議な体験と言えただろう。
しかし起きる直前に夢を見ていたという事は、その時点で既に人形は押し入れから取り出されている。つまり人形が私に「出してくれ」と訴えた訳ではどうもなさそうなのである。

では何故私の夢に人形が出てきたのか。
ひょっとして真相としては、前日に母たちが明日人形を出すという話をしていたのを私が聞いていて、その事が頭に残っていたために夢に見たというだけなのかもしれない。その事が記憶に無いだけで。
後年母に人形の事を訊ねても、母も何故押し入れから取り出すに至ったかはよく覚えてないなかったので、その辺りは確かめようが無い。

私が色んな記憶を組み替えて最もらしいストーリーを仕立て上げただけかもしれない。
しかしあの朝の人形を見た時の少しぞわりとした感覚はえらく鮮明に記憶に残っている。
それにどうせストーリーを仕立て上げるなら、さっきも言ったようにもっと劇的に仕立て上げるべきだ。

もしも本当にあの夢と人形が関係があったのだとしたら、暗く埃っぽい押し入れから出られた喜びを私に訴えて来たのかもしれない。
ねえ、聞いて、私やっと出して貰えたのよ、と無言で喜びを訴えながら、私の後を着いて来ていたのかも。何故か着物で器用に縄跳びをしていたのも、喜びの表れだったのかもしれない。

着物で縄跳びを跳ぶなんてアクロバティックな真似をしそうにもない人形は、今でも実家の小間の床の間で赤い和傘を差して、ガラスケースの中で悠然と微笑んでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?