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歴史の小箱

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自作記事のうち、歴史に関わるもので特に読み応えのありそうなものをまとめました。
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#古墳

遺跡の立地から見えるもの

遺跡の立地から見えるもの

以下は、私が仕事や趣味で遺跡の立地を調べた結果に基づく雑感である。
日本では大規模な開発や公共工事に先立って、発掘調査が行われる。日々、日本のどこかで発掘調査が行われていると言っても過言ではない。発掘調査が行われるのは、工事用地が「周知の埋蔵文化財包蔵地」すなわち遺跡の範囲内だからだが、時々、今まで知られていなかった遺跡が発見されることがあり、開発地域が広範囲に及ぶ場合は、遺跡の範囲外であっても「

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前方後円墳の正面はどこ?

前方後円墳の正面はどこ?

前方後円墳という名称は、江戸時代に古墳(陵墓)の研究をした蒲生君平が、円と方が組み合わさった墳形を宮車(牛車)に見立てたことに由来する。しかし、古墳時代にはまだ牛車はなかったので、この由来説は誤りである。そのため、前方後円墳が何をモチーフにしたものか、諸説頻出するとともに、正面がどこなのかが議論の的になってきた。

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円筒埴輪の役割

円筒埴輪の役割

古墳は今でこそ森になっていたり、果樹園等に転用されていたりするが、造られた当初は、段築、葺石、埴輪を伴う人工の山であった。兵庫県五色塚古墳、京都府私市円山古墳など復元整備された古墳を見ることで、往時の姿を想像することができる。

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群集墳

群集墳

日本の古墳の総数はコンビニエンスストアより多いともいわれる。そのうち、小規模な古墳が数十基〜数百基密集して造られているタイプの古墳群を群集墳といい、古墳の大部分を占める。初期の群集墳は低丘陵や尾根上に立地し、後期の群集墳は山奥の尾根筋に立地する特徴がある。多くの場合、形状は円墳だが、前方後円墳が含まれることもある。おおよそ5世紀末から増え始めるが、多くの場合、尾根ごとに支群が形成され、狭い空間に折

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山中他界観の成立時期

山中他界観の成立時期

山中他界観というものがある。山中に他界=死者の住まう空間があると想定するものだ。学術的な源流は、おそらく柳田國男の『山宮考』だろう。その後、民俗学者の間では日本古来の他界観の一つとして定着しているようである。実際の山中他界観の例としては、東北地方の端山信仰や、伊勢朝熊山麓の「ダケ参り」、立山の地獄伝承などが挙げられる。

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「四道将軍」考

「四道将軍」考

古墳の分布を見ていると、吉備に造山古墳・作山古墳、丹波(丹後)に網野銚子山古墳・神明山古墳、越に秋常山1号墳、毛野に太田天神山古墳と、その地域で隔絶した規模の前方後円墳が築かれている。これは在地豪族の墓ではなく、中央(ヤマト王権)が派遣した節度使的な人物の墓ではないかと自分は考えている。これらの古墳はだいたい4世紀後半〜5世紀に築かれているが、この時期はヤマト王権の中央集権化が一気に進んだ時期で、

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