親魏倭王(元学芸員:考古学)

猫と推理小説が好きな元学芸員。専門は考古学ですが、歴史全般に関心があります。 ここでは…

親魏倭王(元学芸員:考古学)

猫と推理小説が好きな元学芸員。専門は考古学ですが、歴史全般に関心があります。 ここでは論文化しづらいネタと読書感想文を忘備録的にまとめていこうと思います。 2024.2.26 退職に伴い、一部記事を有料化しました。今後、投稿する記事も有料の場合があります。 (1記事500円)

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自己紹介兼仕事依頼

はじめまして。親魏倭王といいます。 天理大学文学部卒、学芸員と司書の資格あり。専攻は日本考古学(主に古墳時代)。埋蔵文化財調査および博物館学芸員として10年程度のキャリアがあります。論文執筆経験あり(査読付き論文はなし)。趣味は読書と博物館・美術館巡り。人文書と推理小説が好きです。滋賀県在住、京阪神を主なフィールドにしています。 正職員4年目にして、環境の変化からうつ状態になり、休職期間満了につき退職。休職中からnoteに記事の執筆を開始。主に人文書の書評と歴史系のコラム

    • 中国史小話集④

      【周王朝概説】 周は中国の歴代王朝で最も長く続いた王朝だが、異民族の侵入で一度滅亡している。その後、都を移して再興されるが、都の位置から滅亡前を西周、再興後を東周という。 周は親族や有力家臣に各地を分割統治させる封建制を採っていたが、東周後期になると周王室の権威は弱体化し、各封国がそれぞれ力を持つようになる。この時期は前後期に分かれ、前期を同時代の歴史書から「春秋時代」と呼ぶ。この時期は各封国の君主がリーダー「覇者」を目指した時代であった。 時代が進むと弱肉強食の風潮が強くな

      • 遺跡動態の捉え方

        自治体史などでは特定の市区町村の歴史を記述する関係上、遺跡の動向をその自治体内で完結させている場合も多い。しかし、郡単位や水系で遺跡の動向を捉えないと遺跡の集中する地域が自治体内で極端に離れている場合など、説明しづらい場合がある。以下、思うところを書いてみる。 市町村史編纂の過程で、遺跡分布から先史〜古代の状況を語ることは多いと思う。ただ、市町村史は各市町村の歴史を現在の行政区画に沿ってまとめるのが目的なので、個人的に視野狭窄に陥りやすいのではないかと懸念する。 例えば、あ

        • 民俗学小話集④

          【百鬼夜行の話】 妖怪は夕暮れ時(黄昏時)、幽霊は深夜(丑三つ時)に現れるものとされる。以上は柳田國男の分析だが、例外もあり、百鬼夜行は深夜に出現したようである。 『拾芥抄』によると百鬼夜行が現れる日は決まっていて、この日に出かけなければならないときは「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」という呪文(和歌)を唱えれば百鬼夜行に出会わないとされた。 なお、密教の「尊勝陀羅尼」を記した護符を身に着けていると危難に遭わないとされ、藤原常行が着物

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        • 親魏倭王の小話集
          12本
        • 親魏倭王の仕事と経験
          11本
        • 自分語り
          4本
        • 親魏倭王の雑感
          17本
        • 親魏倭王の本の話題
          12本
        • 歴史の小箱
          23本

        記事

          中国史小話集③

          【張楊のこと】 張楊は中国・東漢(後漢)末期の軍閥の一人である。 霊帝の時代から武勇で知られ、何進に仕えた後、独立した。献帝が長安から逃れてくると、献帝を奉じて洛陽に赴こうとしたが、諸将との仲が悪く果たせなかった。 建安元年、押し入った賊に殺害された。家臣の楊醜に殺害されたという説もある。 張楊は『三国志』に立伝されているが『後漢書』には立伝されていない。『三国志』は曹操を魏の初代皇帝としているので、曹操と関係があった軍閥の多くが『後漢書』と重複して立伝されているが、張楊は曹

          民俗学小話集③

          【赤飯と魔除け】 その昔、ある男が山道を歩いていると、「首吊らんか」という声がしたので、男は「帰りに吊るから待っててくれ」と言ってしまった。目的地についたのは昼で、そこで赤飯をご馳走になった。帰り、声がしたところに来ると、別の人が首を吊っていた。以後、赤飯は魔除けになると言われるようになった。 奈良県の伝説である。私も母から「赤飯は見逃すな」と言われて育った。赤飯は魔除けになるので、振る舞われたらかならず食べるべきなのだという。そのためか、コンビニで赤飯おにぎりを見つけるとよ

          中国史小話集②

          【外戚と宦官】 中国の東漢(後漢)は外戚と宦官の権力争いが終始続いた。理由は、幼帝が続いたことである。皇帝が幼いと外戚が後見人となり、その権力を利用して専横を極め、それを排除するために皇帝は宦官を利用した。それが繰り返され、宦官と外戚の対立が常態化したが、最後は何進暗殺→宦官皆殺しと共倒れになった。 後漢末は十常侍と呼ばれる十人の宦官が権力を握っていた(中常侍という役職に就いており、実際は十二人いた)。その筆頭が張譲、趙忠、段珪らである。彼らは霊帝の崩御後、後継を巡って外戚の

          考古学小話集①

          【4世紀の纏向遺跡の中枢部】 纒向遺跡の中枢部は、4世紀になるとそれまで中枢部があった辻地区から、より山手の巻野内地区へ移る。珠城山古墳群の北側である。ここでは区画溝が検出されているが、吉野川分水の工事中に柱根と思しき丸太が大量に出たという証言があり、居館があったのは間違いなさそうである。吉野川分水の工事に先立ち発掘調査が行われなかったのが悔やまれる。 付近には垂仁天皇の纒向珠城宮、景行天皇の纒向日代宮伝承地の碑があるが、4世紀代であれば垂仁・景行両天皇の在位時期と合致し、纒

          民俗学小話集②

          【清水の舞台から飛び降りる話】 「清水の舞台」で知られる清水寺は観音信仰の霊場として有名だが、ここには満願の日に舞台から飛び降り、無事なら大願成就、もし死んでも補陀落浄土へ往生できるという信仰があり、多くの人が飛び降りたらしい。そのためたびたび禁令が請願され、飛び降りないよう舞台を竹矢来で囲ったりもしたという(ちなみに、木に引っかかるなどしたのか意外と生存率は高く、八割くらいの人は助かっているらしい)。 この言い伝えから出た話だと思うのだが、次のような昔話がある。 昔、甲斐性

          中国史小話集①

          【陳勝・呉広の乱と秦の滅亡】 始皇帝没後に起きた陳勝・呉広の乱は中国史上初の農民反乱で、秦のガチガチすぎる法治による締め付けが原因と考えられる(あまりにも法が厳しく、役人たちは自分が法を犯さないかどうかに気を取られ、民のことまで気が回らなかったらしい)。 この乱は官軍の将軍・章邯の活躍もあり、すぐに鎮圧されるが、戦国時代の各国の王族らが呼応し、群雄割拠の状態となる。そんな中、楚の項羽が中心となって秦打倒のうねりが起きる。そして、諸侯らの支持を受けた劉邦と、覇権を握る項羽の一騎

          歴史小話集①

          【『日本書紀』考】 『日本書紀』の「紀」について、三浦佑之先生は中国の紀伝体歴史書における「本紀」を指すのではないかと考察しておられる。つまり、『日本書紀』とは『日本書』の「紀」、本紀であり、当初は中国の紀伝体歴史書に倣った『日本書』が構想されていたのではないかと。しかし、列伝は編纂されず、結果的に「紀」だけが完成して『日本書紀』と呼ばれるに至ったことになる。 三浦佑之先生は合わせて、『風土記』は『日本書』の「地理志」編纂の基礎資料とする想定で編纂されたと見られていて、一理あ

          反知性主義と陰謀論の関係を考えてみた

          以前、反知性主義について考えたことがある。反知性主義の特徴は、名称の通り知性、知的活動への敵対と嫌悪である。反知性主義について書いたnote内でも指摘したが、本離れ、活字離れもそうした反知性主義の影響ではないだろうか。

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          反知性主義と陰謀論の関係を考えてみた

          本の話①

          【怪奇小説の傑作『ねじの回転』】 英米の怪奇小説で、発表から100年以上経つにもかかわらず、今なお高い評価を得ている作品がある。ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』である。彼は心理学者ウィリアム・ジェイムズの弟で、兄の影響か心理描写を得意とした。見えない恐怖と戦う主人公の心理描写が焦燥感を煽る傑作である。 心理学と怪奇小説は相性が良く、主人公の心理描写が細密であるほど怪奇小説は恐ろしい。ジェイムズは怪奇小説を得意としたらしく、「エドマンド・オーム卿」「古衣装の物語(ロマンス)

          民俗学小話集①

          【盆行事の話】 私の実家がある地域では、盆の時期に「七橋参り」という行事をしたという。私は母からこの名称だけ聞いた。母も詳細は知らないらしく、どのような行事だったのかは推測するしかないのだが、名称からすると、部落周辺にある7つの橋を巡礼したものと思われる。 川は世界の境界、橋は現世と異界を繋ぐ道であり、盆が「死者があの世から帰って来る」行事であることを念頭に置くと、先祖を迎え入れる行事であったと考えられる。 問題は「七」という数だが、中国由来の「名数」という考え方があり、同質

          推理小説の歴史(日本編)

           1 日本における最初の推理小説は黒岩涙香の短編「無惨」である。19世紀の作品としては、他に「あやしやな」(幸田露伴)、『活人形』(泉鏡花)がある。 日本で推理小説が本格的に書かれるのは1910年代以降で、その嚆矢となったのは岡本綺堂の『半七捕物帳』シリーズである。次いで、1920年に谷崎潤一郎が「途上」を書いている。この頃、小酒井不木が登場し、実作の傍ら江戸川乱歩らを見出す。江戸川乱歩は「二銭銅貨」で鮮烈なデビューを飾り、「D坂の殺人事件」「心理試験」「屋根裏の散歩者」など

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          推理小説の歴史(日本編)

          文化財保護と開発のリアル(北九州市の事例から)

          今、北九州市が荒れている。理由は、市施設建設に先立つ発掘調査で、旧門司駅の遺構が検出されたこと。今回見つかったのは機関車庫と見られ、九州鉄道史上の重要発見として専門家も高く評価している。 ところが、専門家から遺構保存の声が上がる中、北九州市は遺構保存にいまいち乗り気ではないように見える。この案件、最初から「一部を移築保存」という方針で、北九州市の姿勢に終始疑問符がつく(開発と遺構保存の両立を検討しようとする意識がないように見える)。 旧門司駅遺構の学術的価値が高いことはす

          文化財保護と開発のリアル(北九州市の事例から)