![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/52587599/rectangle_large_type_2_88d530ddae94c5c22dff30c9f734f7c5.jpg?width=1200)
私が子どもだった頃◇昭和の食卓
亡くなったうちのおじいちゃんは料理上手でした。美味しい料理をいつも食べさせてもらっていた思い出があります。私は特に好きなメニューがありました。
炊きたてのご飯と食べる、塩さばの大根おろし添えです。
ご飯を炊くのはおくどさんで、薪を使って炊いていました。おくどさんとは土間などに直接設置している煮炊きをするかまどのことです。その上に大きなお釜をのせて炊いていました。
始めチョロチョロ、中ぱっぱ、釜の中は、蓋で見えませんでしたが、釜の蓋から沸騰したお湯がふきこぼれる様子や、お釜の蓋を取ったときの、ご飯のほのかなやさしい香りが、今も美味しい記憶として残っています。あの香りは格別でした。
お釜で炊いたご飯は、まるでお米の宝石のように、一粒一粒が、ふっくら、きらきら輝いていました。
おじいさんが炊き立てのご飯をしゃもじでほんの少し取って、小さく丸めて渡してくれたおむすびをふーふーしながら食べました。あれは一番の御馳走でした。本当においしかったなー。
炊きたてのご飯のおかずは塩さばでした。
魚を焼くのは、七輪です。炭を入れて火を起こす所からが、おじいちゃんの塩さば料理のスタートです。炭を置いて、新聞紙を丸めて割り箸を小さく折って、互い違いに斜めに立てて、マッチで火をつけます。
七輪の火がいい具合になったら、いよいよ焼き始めます。
おじいちゃんが網の上の塩さばを焦がさないように、さばの脂に火かついたら、吹き消しながら、団扇で火加減を調節して、焼いていました。
焼き始めるとその匂いがご近所さんにたち込めて、焼いている時から、食への欲求が高まっていました。夏場には、近くの縁側で涼んでいるご近所さんが「今日は塩さば、いいねー、うちも塩さばにしようかな・・・」なんて話していました。
焼き上がっていざ食べようと言う時に、お醤油がなかったら「お隣で借りといで」と言われて、借りに行ったりしていました。今では考えられないくらい、お隣近所がいい付き合いをしていた時代です。
炊きたてのご飯に七輪で焼いた塩さば、そして添えられたちょっぴりからめの大根おろしと、濃いめの黄色いたくあん、最高のご馳走でした。
だからでしょうか、私は食堂で塩さば定食があると、思わず注文してしまいます。今の塩さばは、あの頃よりも、とてもマイルドな塩加減になっているような気がします。
一つ一つ思い出していると、まだまだ時間が足りません。また、機会をみて私が子どもだった頃のお話を書かせていただきます。
私が子どもだった昭和の頃は、私にとって本当に愛すべき時代でした。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《お釜のおこげが美味しかったんよねー》
朝からイラストを6枚も描いて上機嫌のばあばとの会話です。
「おじいさんは料理上手でいろいろ作ってくれたねー、私も塩さばは大好きよ、おくどさんで炊いたご飯も美味しかったねー、あんた、書いてなかったけど、おこげが美味しかったんよ、みんな奪い合うように食べよったねー」
「ほーじゃったねー、思い出したわい、あの香ばしさがたまらんかった」
「昔は、ジャーなんかもなかったけんね、ご飯をおひつに移して、上から美味しさが逃げんように、布巾をかけて置いとったんよ、冬場は炬燵の中に入れ取った冷めんように」
わー、懐かしい、ご飯一つとってもまだまだ思い出があります。食文化だけでなく、生活スタイルが今とは大きく違いますから。
【ばあばの俳句】
ばあば流ステイホームのサングラス
とにかくどんな時でも楽しみたいばあば、楽しいステイホームの過ごし方をイラストに描きました。くよくよしない、へこたれない楽しく生きるのがもっとうのばあば流の過ごし方はこんな感じです。
風鈴に扇風機そして夏に欠かせないサングラス、湯上りの洋服も浴衣風です。ばあばお見事、ユニークなイラストです。
▽「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」と20時前後には「フリートークでこんばんは」も音声配信しています。お聞きいただければとても嬉しいです。
たくさんの記事の中から、「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただきありがとうございます。
気に入っていただけて、スキを押していただけると大変励みになります。
私のアルバムの中の写真から
また明日お会いしましょう。💗
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?