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【小説】ジャンク・ジャーナル

ジャンク・ジャーナル解禁

 秋の冷たい風が吹く。
 河原の草は枯れ始め、遠くに赤く色づいた木が鮮やかに心を捉えた。
「やっぱり、小さなことでクヨクヨしてちゃ、いかんよねえ」
 新卒6年目。
 28歳になった山川 一郎やまかわ いちろうは、仕事の人間関係に疲れ散歩に出ていた。
 グレーのスラックスに青いシャツ。
「さてと。
 帰ってアレを読んでみるか」
 こんなとき、楽しみにしている雑誌がある。
 『ジャンク・ジャーナル』という、ニッチな月刊誌である。
 ずっと定期購読しているが、度々問題を起こして休刊していた。
 先月号も休刊し、今月から解禁になる。
 散歩に出る直前、ポストに立てかけてあるのを確認していたのだ。
 封筒を小脇に抱え、リビングのテーブルに置いた。
 一郎は独り暮らしである。
 夕飯は自炊でうどんや雑炊などを簡単に作る。
 台所で手洗いうがいをすると、流しを水が打つ音ばかり大きく響いた。

 その雑誌を初めて目にしたのは2年ほど前だった。
 通販サイトで文学雑誌を探していたとき「あなたへのおすすめ」に出てきたのだ。
 最近はお店に行くよりも通販で買い物をする回数が多くなった。
 感染症リスクがないし、検索ワードで簡単に商品を探せる。
 そして、注文履歴と閲覧履歴のデータが蓄積されて、おすすめ商品が表示される機能が便利である。
 実際にお店で雑誌を探していて、店員さんに声をかけるのは時間がかかる。
 だがインターネット上では、手が空いている店員さんを探す必要もなく、いくらでも類似商品を辿ることができるのだ。
 クラフト封筒にきちんと収まった本を取りだし、テーブルに置いた。
 表紙はシンプルである。
 「ジャンク・ジャーナル」と細ゴシックでタイトルがあるほかは、特集記事などの記載もない。
 殺風景なデザインが新鮮で目を惹く感じもする。
 パラパラと、ページをめくる。
 文字がびっしりと埋められた紙面は、4段組みの隙間だけが白く目立っていた。
 一つの小見出しに目を留めた。
「あなたは真面目ですか」
 という一文がゴシック体で際立っている。
「どういう意味だろう」
 一郎は、怪訝な顔をしながらも心を惹かれた。
 読者の投稿で成り立つ記事の中には、日記のように身近なできごとを書いたものが多い。
 もともと題材は自由なのだが、編集部の「難しく考えないでください。あなたの日常、思いをお待ちしています」というくだりがそうさせたのだろう。
「他人の真実を知っても動揺せず、まっすぐに受け止める真面目さが、あなたにはありますか」
 と書かれていた。
 他人の日記を読むような、真新しさに興味を持って「ジャンク・ジャーナル」を読むようになった。
 SNSで日記をアップしている人もいるが、紙面に載ると距離感が違う気がする。
 時間を置いてから、購読者に公開されるから客観的に見られる。
 情報量が多いため、特定の相手を追うことも難しい。
 だからいつも新鮮な目で見ることができるのである。

邂逅

 公式のSNSはないが、読者が作ったコミュニティがある。
 ときどき炎上が起こるので休刊になるのだ。
 一郎は「MRロイチ」という名前でログインしている。
 『あなたは真面目ですか』という記事について記述がないか探してみた。 
 だが特に情報はなかった。
 変わった見出しだったので、特別な思いがあるのかもしれないし何かを伝えようとしている気がしたのだ。
 ため息を一つついた。
 もう一度散歩がてら、昼食を買いに行く。
 近くのスーパーで弁当を買ってくると、リビングで広げた。
 殺風景な部屋の真ん中で、独り黙々とノリ弁を頬張る。
 テレビも音楽もつけず、何となく疲れた心をだらりとさせていたかった。
 ふと自分の手を見る。
 赤く、少し火照ったように感じる。
 変わり映えしない室内で、赤い手だけが生命力を持って動いていた。
 肌寒さを感じて、上着を羽織った。
 その時も、赤いままだった。
 記事の一節が、脳裏をよぎった。
「あなたは真面目ですか」
 「真面目」とは何だろう。
 学生のときは、優等生を揶揄やゆして使っていた。
「あいつは真面目だなあ」
 と誉め言葉で言ったとしても、「面白みがない奴」と言っているように聞こえる。
 じっと手を見つめる。
 大学を卒業してから、事務系の仕事を真面目にこなしてきたつもりだ。
 そもそも、不真面目だったら楽な道に落ちぶれているはずである。
 ぼんやりとして、雑誌を読みふけっていた。
 ふと、足元が冷えてきて目を上げた。
 視界のふちに人影が見えた気がして庭に目をやる。
「ん、気のせいかな」
 ちょっと目が疲れたので遠くを見ようと、窓辺に近づいた。
 太陽の光が足元を照らす。
 暖かさに気持も和らいだ。
 キンモクセイ、ケヤキ、ツツジなどが植えられ、土の上には枯葉がちらほらと落ちている。
 地面を照らす日光を、木のシルエットが遮り狭い庭に奥行きを感じさせた。
 外を覗き込むと左手に玄関が見え、ポストがある。
 そこに若い女性が立っていた。
 小脇にチラシの束を抱えて、困った様子でポストをいじっていた。
「ああ。チラシ、受け取りますよ」
 チラシ配りのお姉さんだった。
 再び庭に入ってきて、一郎にチラシの束を差し出した。
 後ろに束ねた髪が長く、前髪をきれいに切りそろえている。
 ジャージにトレーナーといういで立ちだが、若さが輝いて見えた。
「ポストがいっぱいで、無理に押し込むとグシャグシャニなってしまうと思いまして。
 チャイムを押そうかと考えていました」
 広告チラシなど、どうせゴミ箱直行なのだと思ってずっとほったらかしだった。
「そうか。
 ジャンク・ジャーナルもポストに入らなくて、立てかけてあったんだった」
 ポツリと呟いた一郎の言葉に、彼女はハッとした顔を向けた。
「ジャンク・ジャーナル、読んでるんですか」

友人

 ジャンク・ジャーナルを知っている人がいる。
 一郎は少なからず驚いた。
 リアルでジャンク・ジャーナルの話をしたことがなかった。
「お茶でも飲んでいってください」
 せっかくだからと、アウトドア用の椅子を2脚置き、ペットボトルのお茶を差し出した。
 彼女は戸惑った様子もなく、お茶を受け取ると椅子に腰かけた。
「あ、ありがとうございます。
 私もジャンク・ジャーナルの読者なんです」
「へえ。
 僕も定期購読してるんです。
 こうして読者の人と話すのは初めてですよ」
「ふふふ。
 私もです」
「グループチャットには参加してますか」
「私、文月 乙葉ふづき おとはです。
 ニックネームは オト です。」
「ああ、紹介が遅れました。
 山川 一郎やまかわ いちろうです。
 チャットでは MRロイチ です」
 お互いに、同じ雑誌を読みチャットでも同じグループにいた。
 急に親近感がわいて、ずっと前から知り合いだったような気分になった。
 秋の日差しを胸いっぱいに吸い込む。
 ときが、じんわりと体に滲んで入ってくる。
 めまいのように身体が斜めにゆらぎ、明日の予定など意識の彼方に消えていった。
 一郎は事務系の仕事をしていてたまったストレスと疲れを、他人の取り留めない日常を垣間見ることで解消できると言った。
 本心から思っているし、スポンサーに気を使って偏った記事を書いたりしない編集部の姿勢が他にはない輝きを放って、新鮮な感動をもたらしていた。
「私、友だちとこんな話あまりしないので貴重な方と知り合えました。
 またお邪魔していいですか」
 屈託なく笑った彼女は魅力的に映った。
 自分は心を開いて、誰かと話したことがなかったのではないかと初めて考えた。
 体中が熱く火照っている気がする。
 血液がサラサラと音を立て、鼓動が静かに胸を打つ。
「もちろん。
 じゃあ、連絡しますね」
 我に返った一郎は、少し狼狽していた。
 庭の落葉の茶色が、色づいた紅葉のように深い色合いを増していた。
 連絡先を交換した二人は、短いやり取りをして別れた。

月曜日は、また赤く光の速さで

 月曜日、いつものように出社して書類の山と格闘し経理の入力作業を続ける。
 デスクに座ると、いつなるかわからない電話を横目でにらみ、窓口に人の気配がないか反対側の視界の隅にときどき確認する。
 ほとんど一年中こんな仕事を続けているが、必死に食らいついて先輩方の足を引っ張らないようにやっている。
 配属されてから5年間も良く続けたものだと思う。
 周囲からの評判もいい。
 ミスが少ないし、頼まれたらすぐにやる姿勢が買われているのだろう。
 電話が鳴り、できるだけ口数少なく要点だけを聞き出すように自分の中で定型化したセリフを早口で繰り出す。
 こちらが早口で要点だけを言うと、相手もそれに合わせようと努力する。
 個人差はあるが、人間は瞬間的に相手の意図を感じ取り、合わせようとする傾向がある。
 体で覚えたソーシャルスキルの秘術を尽くし、最高の満足感を与えながらⅠ秒でも短く電話を切るのだ。
 心情に寄り添ったワードを瞬時に見極め、声の笑顔で斬って落とす。
 右手の電話を摑んだ途端に、プロのサービススタッフと化し全力で最適解を導き出す。
 電話のコードはねじれ続け、始めからあったうねりがさらに回転軸を作り出し、横にせり出したコブのような出っ張りが1つ2つと増えていく。
 コードはなぜ、一方向にねじれ続けるのだろう。
 というより、いまどきコード付きの電話が使われていることも疑問だ。
 頻繁に電話を取りながらデスクワークをするのだから、ヘッドセットにして欲しい。
 そんなボヤキも、刹那の出来事になる。
 気持はたかぶり続け、いつしか光の速さになる。
 デキる自分に満足感はあるが、全力疾走して走り切った先に自宅でグッタリする ひととき が、待っているのみだ。
 通勤電車の中では、ほとんど目を閉じて慢性的な眼精疲労と疲れた意識をできるだけしずめて過ごす。
 これを 単調な毎日 と呼ぶのだろうか。
 チャンバラのように無我夢中で四方八方の敵を切り倒し、白刃を受けて地に堕とす。
 泉のように湧いて出る敵は、いつも予測不可能な振る舞いをする。
 目の前の風景とは対照的に。
 目に映るのは単調な日常と言っていいだろう。
 しかし、意識に飛び込んで来る者は 千変万化 である。
 クレームに対しては、とにかく聞き役に回る。
 カメが甲羅こうらに入ったように、頑として自己を消し相手に喋らせる。
 何も意図せず、努力せず、とにかく引き出す。
 最速で事態を収束させるには、自分を無にするのが最善である。
 余計なことは、一切合切いっさいがっさい捨ててきた。
「俺は真面目だ」
 心から叫んだ。
 心の中で。
 自分に言い聞かせるように、手のひらを見た。
 やはりまだ赤い。
 火照る体は仕事を最善の方法で右から左へと、移動させてきた証である。
 全然遊ばないし、酒も煙草たばこも飲まない吸わないし、そんな暇もない。
 金は貯まる一方だし、世間に後ろめたいことなど一つもない。
 だが、だが、真面目ってなんだよ。
 心にずっと引っかかったままだ。

真面目とは

 土曜日、乙葉を自宅へ誘ってみた。
 若い男性の家に来るのは、抵抗があるかも知れないと思ったが彼女はまったくそんな素振りもなかった。
「おじゃまして良いんですか。
 私も、聞いてみたいことがあったんです」
 事前にコーヒー豆を買い、朝ケーキを買ってリビングで待っていた。
 チャイムが鳴ると、玄関に行こうとしたが人影が庭に回ってきた。
「こっちかな、と思って」
 眩しい笑顔で乙葉が窓から上がり込んでくる。
 今日も陽射しがポカポカと窓際を照らしていた。
 彼女がいるところだけ、時空が歪んでいるのかもしれない。
 窓が水飴のように柔らかく、ダイニングテーブルの角が丸く変形して白さを増した。
「どうぞ。
 殺風景な部屋ですけど」
 慣れた手つきでコーヒー豆を挽き、アルカリイオン水でドリップする。
 部屋を見まわしてから、手元に薦められたジャンク:ジャーナルをめくっている。
 コーヒーカップをソーサーに乗せると、カチャリと高い音が響いた。
 独りのときには気になった、シンクを打つ水の音が今日はまるで意識に入ってこない。
 ケーキと一緒にテーブルに置くと、心地よいコーヒーの香りと甘いケーキが心をさらに緩めた。
「ありがとう。
 すみませんね。
 私もクッキー持ってきたのでどうぞ」
 落ち着いたベージュの紙包みを開いて、つまむように促した。
 2人とも、口数が多い方ではない。
 テーブルのお菓子とコーヒーの味を楽しみながら、普段の生活を少しずつ話していた。
「僕は、いつも同じ仕事をしていてむなしくなることがあるよ」
 心の奥底にしまい込んだ言葉を、思わず口にした。
 彼女は庭の陽射しに目を細めながら、受け流すように軽やかな仕草でコーヒーを口に運ぶ。
「私はチラシ配りなんてやってるから、真面目とは程遠いかな」
 一郎は、彼女の言葉にハッとした。
「いま、真面目って」
 乙葉はびっくりした顔をする。
「高校生のとき、真面目に勉強しなかったからさ」
「ああ。
 そういう意味か」
 眉間に皺をよせ、口の下で人差し指を曲げて当てる。
 一郎が深く考え込むときのポーズである。
 しばらく沈黙が流れた。
 足元が、少し冷えてきた気がした。
 コーヒーを飲みほすと、天井を斜めに見上げ小さく唸る。
 茶箪笥ちゃだんすには、きれいなカップソーサーセットや大小のお皿、コップなどが並ぶ。
 男の独り暮らしの割に、きちんと食器をそろえ来客にも備えている。
「一郎さんは、仕事を一生懸命頑張ってるんでしょうね」
「なぜ、そう思うの」
「考えるポーズが、真面目そのものだからよ」
 一郎は、小さくかぶりを振った。
「そうじゃないんだ。
 真面目って何か、最近りつかれていて」
 苦し気な表情を下へ向け、頭を抱えた。
 ジワリと熱が、手のひらから首筋へと伝わってくる。
 乙葉の呼吸が、小刻みに揺れている。
 秋は、こんなにも静かなものだろうか。
 目に映るのは、テーブルの白さだけだった。
 乙葉が、不意に立ち上がって庭を見た。
「ねえ。
 一郎さん。
 真面目って何か、来週までの宿題にしようよ」
 一郎は乙葉を見上げた。
 頭の熱が、空気に少し冷やされた。
「そうか。
 それはいいね。
 じゃあ、来週までにエッセイにまとめよう」
「それを、ジャンク・ジャーナルへ」
 それだけ約束すると、乙葉は出ていった。
 残された一郎は、思った。
 真面目ですか、というくだりについて話していなかった。
 彼女は知っていたのだろうか。
 ふわりと肩が軽くなっていた。
 早速パソコンに向かい、ワープロを打ち始める。
 ネタは、自分の日常だった。
 自分は真面目なのか。
 宿題は重く、そして楽しかった。

この物語はフィクションです


「利益」をもたらすコンテンツは、すぐに廃れます。 不況、インフレ、円安などの経済不安から、短期的な利益を求める風潮があっても、真実は変わりません。 人の心を動かすのは「物語」以外にありません。 心を打つ物語を発信する。 時代が求めるのは、イノベーティブなブレークスルーです。