山。私の育った場所に山はなく、懐かしく思い出せるのは、母方の実家がある静岡のミカン山で、(名前はあるはずだが)ある程度のぼると、駿河湾が見渡せるその山に、母を連れて行けたらいいなと思っている。叶うならば、今もあの山からの見晴らしの先にあの海があってほしい。 たしか、門谷を歩いているときに、山から道にでてきた1匹の蛇に遭遇したことがあった。ずるりずるりと地面を動いていく泥のついたその背中を見ながら、この山にはどれくらいの蛇がいるのかなと想像したら、頭が勝手にすごい量の想像をし
地方の山間に暮らすと、あっという間に山が削られ真っ平になる様子を見ることができる、人間の経済活動が進めば進むほど、芋虫に食べたられた栗のように穴が地球を縦横無尽に増えていうのであろう。 実家のある場所もかつては山だった、私が今住んでいる場所も人工的であるが古墳の小山を平らにし、その上にアパートを建てている。(入居して2年くらいは5月になると冷たい手で首を絞められ、、、あの、人違いですよ、、、と脳内で伝えると、あ、、、って感じで離してくれるのでいい人?だったと思います。ある日
怒涛の日々、自分か今どこにいてどこへ向かっているのか、いったい何ができるのか。全くわからないまま、2023年が過ぎ去った。 2024年の始まりは、過去2回(阪神淡路、東日本)経験したような揺れを感じたとことから始まった。 妹宅から預かった猫2匹を瞬時に左右の脇に抱え、これは大変なことが起こったんだと揺れの時間を体感し収まるや、福島に移住してから入れたスマホの地震速報アプリをチェック、テレビをつけニュースを追う2日間であった。 日を追う毎に明らかになる状況、関連事故などの情報を
相変わらず、どうやって開いていくのかを考えている。 「旧門谷小学校での活動」と「山」を。 旧門谷小学校で展覧会を開催すると、ありがたいことに名古屋周辺の都市圏からも一定数お客さんが来ていただける。 しかし、やはり最も多いのは豊川市や豊橋市など東三河の都市圏からのご来場者だ。 旧門谷小学校のある新城と豊川、豊橋などは、一本の河川でつながっているし、地域をつなぐ主要道も通っているので当然ことでもある。 そして、文化的にもつながっているエリアなので昔から愛着がある。 そんな東三河
相変わらず、どうやって開いていくのかを考えている。 「旧門谷小学校での活動」と「山」を。 旧門谷小学校のある愛知県新城市には、豊川(とよがわ)が流れている。 北設楽郡設楽町を水源とし、愛知県東部を縦断しながら、豊橋市、三河湾へと注ぐ。 歴史的に知られる長篠城趾のある地点で宇連川(うれがわ)と豊川が合流し、豊川は一本となって豊橋方面へとつながっていくが、その地点の上流部分の豊川を、地元では寒狭川(かんさがわ)と呼ぶことが多い。 旧門谷小学校の脇には、音為川(おとなすがわ)とい
相変わらず、どうやって開いていくのかを考えている。 「旧門谷小学校での活動」と「山」を。 肉や魚を食べなくなってから気づけば15年以上が経つ。 肉や魚を食べなかったら体はどう変化するのか+さまざまな理由があったようななかったようなで曖昧だが、とりあえず理科の実験のように同じ種同士で比較したりできないので、体に変化があったのかどうかすらもまた曖昧だ。 スズキ(肉魚を食べる場合)とスズキ(肉魚を食べない場合)がどっちも同じ個体なので、比較はなかなかに難しい。 この余談は単に「
相変わらず、どうやって開いていくのかを考えている。 「旧門谷小学校での活動」と「山」を。 10/28、国際芸術祭あいちの地域展開事業として愛知県西尾市で開催されていた「なめらかでないしぐさ」を拝見してきた。 西尾市出身の詩人、茨木のり子さんの詩の中に、「なめらかでないしぐさ」というフレーズがあり、それが展覧会のタイトルに。 西尾市内のいくつかの会場をまわりながら作品を巡ったが、どの作品も見応えがあり、とても充実した展覧会だったな、と。 ただ、こうやって街中を巡りながら作品を
相変わらず、どうやって開いていくのかを考えている。 「旧門谷小学校での活動」と「山」を。 10/25、何となく思い立って、というか、海が見たくて静岡県御前崎市へ。 ふと、浜岡原子力発電所の存在が気になったことも理由としてはある。 あの事故の時、原発から何キロ圏内か、というのがしきりに語られていたように記憶している。 記憶している、といっても、実は忘れていて、制作のために海に行こう→静岡だ→どこにしよう→地図を見よう→御前崎→浜岡原子力発電所→あ、行ってみよう、という流れの中
ナイトビューイングでは自分のパフォーマンスも行った。校庭で展示していた車輪付きのケージ作品の扉を外し、ごろごろと転がして移動させる。全身で押さないと動かない大きくて重い空洞のケージは、校庭に生えた草を薙ぎ倒しながら進み、その車輪の音は建物の中の人の耳にも届いていたことを、黒い紙のメモを通して後から知った。人に囲まれてその中央で何かを見せるというのではない形で、行為が伝わったのは面白いことだ。 そして、その時の様子を写真家の先間康博さんが撮影してくださっていて、後日画像データが
先日、空を見上げたら月が丸々としていて、ナイトビューイングのことを思い返した。展覧会の最週末、中秋の名月の翌日だった9月30日、月は雲の向こうにいることを決めたらしく、スタートの18時にはすっかり校庭は暗くなっていた。 まず校舎と校庭の電気を消した。あたりが暗くなった瞬間に地面からふわっと立ちのぼった銀杏の香りに、鈴木さん同様、私もびっくりした。視覚が奪われたとたんに聴覚が鋭敏になったのだと思うが、その切り替えと呼ぶのさえためらうくらいの速さに驚きながら、参加者の皆さんには
相変わらず、どうやって開いていくのかを考えている。 いや、います。 旧門谷小学校という一地点を拠点に10年続けてきた活動。 展覧会という形式を頼りに続けたあれこれ。 何を大切にして、どこを変えていくのか。 答えを急がずじっくりと考えなければなりません。 で。 でで。 10/16、久しぶりに乳岩峡を訪れてみました。 乳岩峡は愛知県新城市の川合地区にある景勝地です。 その名称は乳房状の鍾乳石に由来し、近隣には岩場が多く、クライミングスポットとしても知られてきました。 近年では
展覧会としての「そこに山があるという嘘」が終了した。 ご来場いただいた方の数は昨年よりも少し減ったものの、じっくりと作品をご覧になっている方々も多く見受けられ、良い展覧会だったなと感じている。 9.30の18時より開催された大和由佳さんによるナイトビューイングは、旧門谷小学校(門谷地区)の「夜」というこれまであまり目を向けて来なかった面、魅力が引き出されていて、とても面白かった。 闇の中で作品を観る(探す)、という行為により、今まで美術展という暗黙のルールの中で遮断していた
今回、主に「水」に目を向けた作品を展示しています。 というような書き方を幾度もしてきたので、まるでコピペのようだ。 が、作品の見た目はいろいろながら、思えば15年以上水に関心を持ち続けてきた。 だいたい、「水」というのはほとんど目には見えない。 見えているのは、雨として現れたり、川として流れていく、ごく一部にすぎない。 だから、水に目を向ける時はいつも、想像力であったり、そこにある時間差みたいなものが試される。 2023年、静岡県天竜区の原田橋事故に目を向けた作品を制作し
10年以上前、私は栃木県日光市の足尾町にいた。 言わずと知れた、足尾銅山鉱毒事件の発端の町である。 トイレも風呂もなく、壁の隙間から外が見えるレジデンスプログラムの滞在場所からは、立ち入り禁止になっている元製錬所の建屋が見える。 足尾銅山は銅の採掘のために19世紀から稼働していた。 途方もない量の土を、長年に渡り山から掘り出したため、蟻の巣状になった土地では、地震計にも現れない局地的な崩落の地震が時折起こる。 崩落により穴が埋まるということは、どこかが凹んだのだろう。 私
制作するなかで、関東と名古屋にある動物園と植物園に多く足を運ぶことになったことは、前に書いた。こんなひんぱんに動物園や植物園でさまざまなものをじっくり見るのは、子供の時以来だった(育った家の近くに動植物園があったので、よく遊びに行っていた)。同じマレーバクという動物でも展示の仕方はそれぞれ違って面白かったが、どの園ももれなく観光やレジャーの場であり、かつ環境問題への取り組みと教育の場でもあることは共通していた。そして、その両立はかなり現代的なものだということを調べていくうちに
展覧会に向かう時、人はまだ出会う前の作品をイメージすることでしょう。 その展覧会が、ある会場に作品が展示されている類のものであれば、そこでご来場者はイメージと出会うことになります。 イメージ、、、 想像することにより浮かびあがる何ものか、でもあるし、図像そのもの、でも。 「ある」、「ない」or「あるようなないような」、という差はあれど、「視覚」と深く関わっていることには違いありません。 ある人が、「視覚的なものはジャッド(※)辺りでもう終わってたんだよね」と言っていたよう