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乳、岩、石積み、ヒキガエル

相変わらず、どうやって開いていくのかを考えている。
いや、います。
旧門谷小学校という一地点を拠点に10年続けてきた活動。
展覧会という形式を頼りに続けたあれこれ。
何を大切にして、どこを変えていくのか。
答えを急がずじっくりと考えなければなりません。

で。
でで。
10/16、久しぶりに乳岩峡を訪れてみました。

乳岩峡は愛知県新城市の川合地区にある景勝地です。
その名称は乳房状の鍾乳石に由来し、近隣には岩場が多く、クライミングスポットとしても知られてきました。
近年では、その澄んだ水に惹き付けられて、多くのハイカーにも人気の場所となっているようです。

私はというと、2007年から2008年にかけて、足しげくその場所に通っていました。
河原に降り立っては小石を積み、その行為の記録として写真を撮る日々。
当時は、大きなマットを背負ったクライマー(ボルダラー)の姿を多く目にしたことを覚えています。
地元の方で、自主的に乳岩をガイドする名物おじさんがいたことも、いろいろとお話しさせていただいたことも、思い出します。
その後、度々乳岩峡に訪れてはいましたが、長く滞在することもなく、今回のようにしっかりと腰を据えた時間は久しぶりのものでした。
その間15年。
世の中は大きく変わりました。
人の考え方や見える景色をガラリと変えるのに、15年という時間は決して短くはないと感じます。
ただ、15歳老けた私の目元や足腰とは裏腹に、あの場所は何一つ変わってはいませんでした。
澄んだ水も、ヒキガエルが卵を産みつける岩の窪みも、そのまんま。

何かが変化していくというのは大切なことで、人の営みの中では、変わることで風通しがよくなることも多々あります。
ただ一方で、良い部分が保たれていく、残っている、ということもまた、尊いことであるように思われます。

帰りがけ、16年前のように石を積んでみました。
一度体に染み込んだ動きは簡単には忘れないもので、それほど時間はかかりませんでした。
自分の肉体が場所に馴染んでいくのには。

どう開くかを考える時、やはり場所とそこにある(あるいはあった)時間は大切にしなければいけないように思われます。
乳岩峡にどんな人が訪れるのか、旧門谷小には誰が訪れるのか。
そこを訪れる顔ぶれが変わっても、芯にあるものは変えてはいけない、と。
ここで観てきたものをしっかり振り返ることもまた、大切にしなければ、、、と。
山を開く、の仕方。

鈴木

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