消え失せた箱

怒涛の日々、自分か今どこにいてどこへ向かっているのか、いったい何ができるのか。全くわからないまま、2023年が過ぎ去った。
2024年の始まりは、過去2回(阪神淡路、東日本)経験したような揺れを感じたとことから始まった。
妹宅から預かった猫2匹を瞬時に左右の脇に抱え、これは大変なことが起こったんだと揺れの時間を体感し収まるや、福島に移住してから入れたスマホの地震速報アプリをチェック、テレビをつけニュースを追う2日間であった。
日を追う毎に明らかになる状況、関連事故などの情報を見聞きしながら、あぁ、またしても私は何もしないのかもしれない。

災害は一瞬にして膨大な物や事を人々や環境から失わせる。
失ったことで、パンドラのように開く箱もあれば、永遠に開けられることのない箱もあることは、福島県に暮らしながら様々を見聞きするなかで印象的な要素の一つである。3.11以降それ以前を語る者が少ないことについても、人の記憶が大きなショックを境に新しさ(対応しなければならない異常事態)が、脳内の情報の順列を組み替えているのだろうか。


私は滅多に物をなくさない。
2023年9月10月を終えた時にふと気がついた。
けっこう大きめの箱を1つ失っていることに。
いままで私の展示を支えてきた工具が詰まった箱である。
もしかしたら、もう今までのような活動はできないのかもしれない。と思ったりしている。

山口





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