「次に行こう、時間がないよ」
制作するなかで、関東と名古屋にある動物園と植物園に多く足を運ぶことになったことは、前に書いた。こんなひんぱんに動物園や植物園でさまざまなものをじっくり見るのは、子供の時以来だった(育った家の近くに動植物園があったので、よく遊びに行っていた)。同じマレーバクという動物でも展示の仕方はそれぞれ違って面白かったが、どの園ももれなく観光やレジャーの場であり、かつ環境問題への取り組みと教育の場でもあることは共通していた。そして、その両立はかなり現代的なものだということを調べていくうちに知った。当初は、動物園と植物園も、美術館と同じ「ミュージアム」として定義されていることを考えると、美術や美術館というものについても何か考えられるような気もしていたが、枠組みから見ていっても、得るものも投げかけられるものもあまりないなと思うようになった、自分の場合。
動物園で過ごしながら、まず注意を引かれたもののひとつは、檻の前での人々の会話や動きだった。美術館でのそれと比べて、みんなとてもリラックスして正直で、苦笑してしまうことも幸せな気分になることもあった。そこには、展示されているなにかを「見る」ということやイメージとの付き合い方の現実が、よくあらわれていたと思うし、私もまたその檻の前の一人であることを忘れられずにすんだ。
5月のミーティングの時だったかな。世の中にはさまざまなレジャー施設や観光地があり、それらが美術館のライバルとなると関係者が話していたという話題がでた記憶がある。あえて、ライバルという見方をするなら、美術作品のライバルはなんだろう?視覚イメージを扱うライバルは?
大和