魚は食べないが、聴く
相変わらず、どうやって開いていくのかを考えている。
「旧門谷小学校での活動」と「山」を。
肉や魚を食べなくなってから気づけば15年以上が経つ。
肉や魚を食べなかったら体はどう変化するのか+さまざまな理由があったようななかったようなで曖昧だが、とりあえず理科の実験のように同じ種同士で比較したりできないので、体に変化があったのかどうかすらもまた曖昧だ。
スズキ(肉魚を食べる場合)とスズキ(肉魚を食べない場合)がどっちも同じ個体なので、比較はなかなかに難しい。
この余談は単に「魚(fish)」から思ったこと。
11/1、名古屋でのフィッシュマンズのライブへ。
1987年結成で、メンバーが加わったり抜けたりし、1999年、ボーカルで楽曲も制作していた佐藤伸治さんが亡くなったことで、事実上活動はほぼ止まっている。
2021年のドキュメンタリー映画「映画:フィッシュマンズ」も観たが、多くの曲が今なお多くの人に聴かれるそのバンドの活動は、決して順風満帆なものではなかったようだ。
1987年といえば、私はまだ5歳。
1999年には高校生。
フィッシュマンズの存在すら知る由もない。
その音楽に対する評価は年々上がっているようで、現に、ライブ会場は幅広い年齢の方々で満員だった。
昔からのファンに加えて、新しいファン層が生まれている証だろう。
彼らの曲に1996年発表の「LONG SEASON」という35分超の長すぎるものがある。
もちろん、佐藤伸治さんによる曲。
当時、その曲が世の中にどのように受け入れられたかは中学生だった自分は知らないが、映画では、この当時のバンドメンバー間の軋轢もまた描かれていた。
次々と彼のもとから人が去っていく。
当時、どのくらいの人々がこの曲を好んで聴いていたかは分からないけれど、今ライブハウス内で多くの方々が楽しそうに聴き入っている、というのは、時代の側がその曲に追いついた、ということかもしれない。
音楽でも美術でも、表現や作品と時代性みたいなものとの関係は割とややこしい。
時代に合っていて即座に多くの人の心に響くものはあるけど、それが長く愛されるかどうかは分からない。
もちろんすぐに受け入れられて、かつ長く好まれるものもあるし、反対に、時間差の中で浸透していくものも。
旧門谷小学校での展覧会は、これまで参加してくれた多くのアーティストのご協力によって続けてこられた。
美術館やギャラリーでの展示と違い、苦労されることも多かっただろう。
本当に感謝しかない。
彼らの作品をもう一度振り返ってみたい、ということに関して、ただもう一度作品を観るというのではなく、もう少し長い時間意識の中であったり、空間との関わりとともに、より意義ある形で振り返ることはできないか、と考え始めている。
ノープランだけれども。
鈴木