見出し画像

・・・10.1・・・のあと・・・

展覧会としての「そこに山があるという嘘」が終了した。
ご来場いただいた方の数は昨年よりも少し減ったものの、じっくりと作品をご覧になっている方々も多く見受けられ、良い展覧会だったなと感じている。

9.30の18時より開催された大和由佳さんによるナイトビューイングは、旧門谷小学校(門谷地区)の「夜」というこれまであまり目を向けて来なかった面、魅力が引き出されていて、とても面白かった。
闇の中で作品を観る(探す)、という行為により、今まで美術展という暗黙のルールの中で遮断していた「音」や「匂い」、そして研ぎ澄まされた自身の「目」と「知覚」が立ち現れてくるようだった。
おぼつかない足裏の感覚とともに、校庭に落ちた銀杏と土の香りが混ざり合って登場したことを、皮膚感覚とともに思い出す。

また、10.1の13時半より開催されたトークイベント「10年の嘘」には、多数の方々がご参加いただけた。
初期の頃から旧門谷小学校での展覧会をご覧いただいている顔ぶれに加え、地元の方々にも聞いていただけたことが、単純に嬉しかった。
愛知県の奥三河地域には文化的な施設が少なく、現代美術の展覧会が開催されることも稀である。
そんな中で、この展覧会を毎年楽しみにし、トークイベントにまで足を運んでいただける地元の方々がいるというのは、主催者側の立場からすればありがたい限りで、小さいながらも、この10年の成果としてしっかりと記憶に刻んでおかなければならない。
一方、トークの中で出た「ハードコアな展覧会」という一言もまた、記憶に残しておきたい。
このフレーズを良い意味として捉えるのか、悪い意味として捉えるのか。
それは、やはり人それぞれだろう。
確かに、誰でもが観て楽しめる展覧会を開催してきた、とは到底言えないかもしれない。それにより、敬遠される方々ももちろんいらっしゃるだろうし、一方では、その「ハードコアさ」を求めて足を運んでいただける方々もみえる。
どちらが必要か、という二者択一の単純な話ではないにしても、今後に生かすためにも、しっかり向き合っていきたい言葉である。
ただ、この場所で生まれた表現の中には、この先何度でも観たくなるような素晴らしいものがたくさんある、という個人的な感想も、アーティストへの敬意を込めて書き添えておきたい。

撮影  早川純一

さて。
この場所は遠い。
興味を持ってスケジュール調整をしてみたけれども、行くことがかなわなかった。
今年も行けなかった。
次回も楽しみにしてるので、来年こそは。
気にかけていただいている方は多いようだが、時間と距離はなかなか超えることができないもの。
ご来場者を見ても、やはり県内、東三河地域が圧倒的に多い。
もちろん当然のことではあるし、先に書いたことに照らし合わせれば、それは大切な成果でもある。
ただし、結果同じ顔ぶればかりになってしまうのであれば、それは閉塞的で寂しいことである。
この催しをどのように開いていくのか。
大切なものは大切なものとして、何をどう変えていくのか。
ちょっと話を聞きながら次につなげられたらいいな、と。
ゆっくりと、考え始める気分、、、

鈴木

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?