原発のお近くへ
相変わらず、どうやって開いていくのかを考えている。
「旧門谷小学校での活動」と「山」を。
10/25、何となく思い立って、というか、海が見たくて静岡県御前崎市へ。
ふと、浜岡原子力発電所の存在が気になったことも理由としてはある。
あの事故の時、原発から何キロ圏内か、というのがしきりに語られていたように記憶している。
記憶している、といっても、実は忘れていて、制作のために海に行こう→静岡だ→どこにしよう→地図を見よう→御前崎→浜岡原子力発電所→あ、行ってみよう、という流れの中で思い出したことだった。
自宅のある愛知県新城市から静岡県御前崎市まではそれなりに遠いが、地図上に円を描けば意外に近いことが分かる。
あの当時、何キロ圏内という同心円の中に新城市が入っている図を何度か目にしたこともまた、よみがえった記憶だ。
あの図を見ることはめっきりなくなったが、当時の危機意識という感情から印象に残っていた図だったことを思うと、あれはあの時だったからこそ感じるものがあったのかもしれない、と思う。
その時々で、見えてくるものも人が見たいものも変化していくのは当然のことで、それはもちろん、美術にも大きく関わってくる。
この10年、旧門谷小で観てきたアーティストの作品の数々は、その時代に合っていたのか、未来への可能性を内包していた(いる)のか、それとも時代を超えて魅力があるのか、あるいは、、、
いずれにしても、美術作品は多くの場合後で見返すことができる。
二度見で見えてくることもあることだろう。
もう一度拝見できる機会があればな、と。
そういえば、もう一つ思い出したことが。
2009年か2010年くらいだっただろうか。
新聞の全面広告に、ある電力会社の広告として、青空を背景に海沿いに建つ原子力発電所の美しい風景の写真が掲載されていた。
当時は、温室効果ガス削減の世論が強く、火力発電に厳しい目が向けられていた時代だ。
そのため、その広告はごく自然な美しい光景として人々の目に映っていたのではないだろうか。
現在の御前崎市の海岸では、停止した原発を横目に、数基の風力発電の風車が回っていた。
その原発と風車が横並びにある光景は、自然災害を契機に起きた人の営みの変化を象徴するようで、まさに2023年の風景だ、と感じた。
ただ、調べてみると、原発の東西にある風車の稼働はそれぞれ2010年2月と2011年1月。
あの事故の前から動いていた。
私の撮影した写真の構図は、原発と風車を横並びにする見方は、あの事故を念頭に置いた悪意のある構図、視覚を利用した嘘だったのかもしれない。
何事も一目では分からない、よく知らなければ間違えてしまう。
見れば分かる、は幻想の世界なのかもしれない。
美術作品もまた、見返すこと、よく知ることで感じられるものがあるに違いない、と。
原発のお近くで。
鈴木