『猫を棄てる 父親について語るとき』 / 村上春樹(著)を読んで
ページを繰るほどに、私が感じたこと。
この本はラジオのようだ。
村上春樹の声をそのまま聴いているようだ。
1.あらすじ
これほどまでに、肩の力を抜いて、柔らかい口調で語りかけてくれる村上作品はちょっと他にないと思います。良い意味で、裏切られました。
うまく言えないけど、他人の家の庭に、勝手に入り込んでいる感覚。
本の内容は、村上の父の歴史(とその戦争体験)、父と一緒に海岸に猫を棄てに行く体験をはじめ、日常のありふれた光景やエピソードを通して親子の関係性を回想していくのが中心です。コンパクトな本なので、山手線を一周する位の時間でするっと読めます。
2.感想「村上さんも人の子だった」
ちょっと脱線しますが、私自身は村上作品が大好きです。
文庫本で収集したあと再度ハードカバーを買い直し、何度も読み返すほど作品を敬愛しています。小説だけでなく、『遠い太鼓』や『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』等のエッセイものも好きです(読むと大体において旅行に行きたくなりますね。村上春樹のエッセイには人の心をリラックスさせる、不思議な魅力を感じます)。
そんな私だからこそ、この本には驚かされました。
ああ、村上さんも人の子だったんだな。生まれた時代や背負ってきたものは勿論違うけど、今まさに私たちは同じ時代の空気を吸い込んでいるんだな、と当たり前の事実に気づかされました。
ご本人の言葉を引用するなら、
この率直な口調は、私たちが良くも悪くも持っている、いわゆる「村上春樹」のイメージとは、あまりにかけ離れています。
淡々とした乾いた文体でいて、実はとんでもない不可思議な-ほとんど白昼夢のような-物語を描き、日本を舞台にした物語でも、どこか洒落ていて、異国の香りがする。
作者のパーソナリティーとは別に、私たちが勝手に世俗的なイメージを膨らませていただけなのですが、この『猫を棄てる』では、技巧やレトリック抜きの等身大の村上さんの生の「声」と、のちに数々の作品に散りばめられることになる村上少年の「源泉」に出会うことができます。
3.印象に残ったポイントまとめ
本編を通して、私が心に残った箇所は、次の通りです。
・ 人は誰でも忘れることのできない、そしてその実態をうまく人に伝えることのできない重い体験があり、それを十全に語りきることのできないまま生きて、死んでいくもの
・ 歴史は過去のものではない。その内容が目を背けたくなることでも、自らの一部として否応なく次の世代へ引き受けなければならない(=一滴の雨水の思いや責務)
・ 降りることは、上がることよりずっとむずかしい
元々村上春樹が好きな人には新鮮な驚きがあると思いますが、
むしろ今まで村上作品に触れたことのない人、過去に読んであきらめてしまった方にこそ、ぜひ気軽な気持ちで読んでもらいたいです(だって、想像してみてください。村上春樹が、今でもときどき学校でテストを受ける夢を見て、夜中に目が覚めるなんて、誰が想像できるでしょうか)。
書きすぎると読む楽しみがなくなるので、このへんにしておきます。
(了)
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