谷古宇 時生

Tokio Yako/谷古宇 時生

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【掌編小説】Agents

 夕刻。ホテルのラウンジには西日が注いでいた。 奥のテーブルに、一組の男女が、向かい合って座っている。 「お時間頂きありがとうございます」 「あなたが佐伯さん?てっきり男だと思ってましたよ」  男が鞄を脇に下ろし、手帳とペンをテーブルの上に置いた。女は答えなかったが、男に向かって微笑み、手元の書類を一瞥した。 「エージェントの佐伯です。事前に職務経歴書を送って頂きありがとうございました」 「いえいえ、こちらこそ」 「今回は、同業界内での転職をお望みですか」 「そうです」

    • 【詩】デフォルト

      なにかを失った瞬間よりも「あっ、この失った感じがデフォになるんですねー」とお皿洗ってるときにあとから気づく感じ。砂場あそびでつくった水路が決壊して、わたしの中のぽかんと空いたところに不意打ちの泥水が飛び込む。わたしの不可侵を簡単に超えてくる。それが身体にこたえる。そういうときは大体ポンコツで、初期ステータスに戻ってる。こころはビニール袋だ。水を入れたらぴゅーぴゅーと、思ってもいなかったところが裂けたり破けていることにはっとする。ふだん全然散歩とかしないのに、降りたこともない駅

      • 【詩】冬の一角獣

        駅へ向かう 冬の朝の空気 白い息を吐いて 森の音を聴く まだ眠っている 小学校の背中が 上下に揺れている いつか忘れものした 小さく遠い星を想う あなたのことを 思い出す 夢のなか 白い紙のうえ ぼくは ほんとうのことを 口に出す 凍ってしまう 世界を凍らせてしまう 雪が溶けるなんて迷信 集積して 芯が残っている ただ あなたの声が 聴きたい 額の中央 ねじれた角 澄んだ夜にしか現れない いっかくじゅう ぼくしか知らない ひみつの屋上 銀河の奥行き 途方もなさを 心頼りに

        • 【詩】さよなら博士

          追い抜いた りんかい線の窓越しに見えた 息を飲むような空の青 光の雲 まばたきで せき止めた涙が あふれた ぼくの博士が死んだ その事実に いま気づいたのだ 祖父は博士 地形が気になって 話のそばからすぐ地図を出す 微分と三角関数をぼくに教えながら 頭は帽子の台じゃないんだ と優しいまなざしで言う 午後はテレビをつけながら昼寝して 自力で家具を直し 車の運転が好きで 祖母の通院記録を 余さずファイリングする あなたが卓上の写真になっても 燃えても残る 立派な大腿骨ですね

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        【掌編小説】Agents

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          【詩】家出をしよう

          役に立たない空想を燃料にして 汽車が夜の町を走り出す 通り雨のあと ぼやけた月のあいだから 夏よりも涼しい風が吹いた 家出をしよう 優しいことばを取り戻す旅に出よう 頭の中で描いた瑞々しいイメージと 口を突くことばに どうしようもないほど落差を感じたら それは家出の頃合い こころとからだをいちど外し オーバーホールする 丁寧にさびを拭き取り 油を差し 新鮮な風に身を当てる 経年劣化した部品を取り換える 行き先はジュンク堂の背表紙で決めて コーヒーだけ買って 最低限の荷物で 

          【詩】家出をしよう

          【詩】次の雨を待つ

          雨の轟音が 部屋の隅に句読点を置いていく 八月を養分にして わたしを削っていく 雫は窓を濡らす 乾くと 雨粒が綺麗なものではなかったと 教えてくれる 日々 内と外がせめぎ合う 身体が楽器として響くことを求めてる 外へ 外へ 幼くて どこにも連れていけない新芽が 噴き出すように 前傾に乗り出すように 狭い身体を 追い越していく しがらみを 振りほどいていく 弾むことと沈むことはヴァイタルだ 言いたい気持を 言えないことばでオブラートして 透明なものを 透明な布にくるんで

          【詩】次の雨を待つ

          【詩】旅と道程

          今いる場所から限りなく離れたい、放たれたいと思って行き先も決めず漂った時間は、旅と言えるようなものじゃなかったけれど、わたしの身体に、確かな体温を戻してくれた。 暗い部屋に帰って後ろ手で鍵をかけたとき、ひとりぼっちで抱えていた絶望が、降り積もったあとの雨で体積を増した湿った雪が、充満しているのが視えた。わたしの疲れた顔を見て、わたしの部屋の、わたしのものたちが、おかえり、と言った。電気を灯し、ただいまと言った。部屋のみんなの顔が、ぱっと明るくなった。 ああ、ここまで、よく

          【詩】旅と道程

          【詩】均衡

          ひとが均衡する 立てる位置で そのひとがぎりぎり 感性を保てる位置で まったく逆の欲望を ないまぜにして  フロートにして 重心が揺らぐ 中身が入れ替わっていく わたしの中の水が 淀んだ流れを 外に押し出し わたしの均衡を じりじりと 追い込んでいく 均衡する群衆は 引金を引いたら  音よりも速い 空気の破裂に慄き 二度と元の比率では 立てなくなる 不自由な耳や足を押さえながら 新しいバランスをさがす わたしの均衡が その変化が ほかの誰かに 分かるはずがない うすく

          【詩】サブマリン

          歩くほどに わたしは若返ってゆく 音楽そのものに お金を払うようになって 唯一よかったことは じぶんの胸に深く潜るようになったことだ わたしを守り 奪い 保ち 焚き付けた音を 撃ち抜いた音を またポケットにしまい いっしょに歩いていく なぞり直していく 生涯で もう聴くことはなかったはずの サルベージされていない音楽が 海底に 眠っている いまは ゆっくりでいい気がする 歩きながら 時間をかけて 少年に戻っていく

          【詩】サブマリン

          【詩】蝶と月

          やはり私のこころのいくばくかは あのとき壊死してしまったのだろうか 感応しない部分があるようで 生きるほどに 少しずつそういう患部が 増えていくようで 欠けていく月と同じだと思う 機能することをやめ 自分の一部ではなくなったはずのものが まだ私のなかに残っている 物言わぬ多臓器不全に占領される 擦り切れた私の実体は 一体どこに連れ去られてしまったのだろうか 無軌道に少年が放ったボールは 一体どこに埋もれてしまったのだろうか 失った夢 無くなったもの すべてが 反転した世界があ

          【詩】蝶と月

          【詩】星に願いを

          わたしが つぎのことばを求めるとき その空白に身をゆだねるとき くらくてふかい海に映る ちいさな星をさがすような 途方もない仕事だと 感じることがあります かすかな光をたよりに 底にゆらぐ きれいな石だけ 掬いとれるでしょうか わたしが拾った石には ひとが感じ入る美しさが 伴っているでしょうか なんど経験しても 心臓がきゅっと締まる きもちになります ことばには値打ちがあるそうです だからせっせと 石を拾っては水に透かし 丁寧に泥を洗い その輝きを信じている その姿

          【詩】星に願いを

          【詩】湖

          空一面に湖が広がっていた 黄色のクレーンが釣竿に見えた 単色の水色は思考停止 すべての建物がくり抜かれていた 波紋がゆっくりと現れて消えて 不意に地べたを歩いているのが 恥ずかしくなった こんなに澄んだ水ならば ぼくも そっちで泳ぎたい 反転して 空に飛び込んだら 冷たいかな 気持ちいいよな 溺れないかな もう溺れてる 楽しいよな 懐かしいよな なくしてしまったひともこころも ぜんぶ水色に溶けてしまったもんな どれくらいのあいだ 息継ぎもせず 泳いでいたんだっけな 思い出せな

          【詩】Digital Highlight

          宵の宵は点滅 Digital Highlight 月明かりの朝礼台 きみを抱っこして 一緒に夜を見上げたら 煌々と光る 飛行機も星もつかめそうだ 上院議員の群れが森に還り 加湿機が玄関のすきまから逃走した 青い顔の少女が 窓を吹き抜ける風に涙を流し 金木犀が匂って消えた 生きている匂いは どこにだって転がっている だれかが描いた宇宙 ひらいた指のあいだから 赤い点滅がすり抜けた

          【詩】Digital Highlight

          【詩】鍵盤シーラカンス

          鍵盤シーラカンス シーラカンス鍵盤 おおきなうろこは黒鍵 ちいさいのが白鍵 牙が光って灯籠  深海でうねる 深海ではずむ からだぶつけ 音楽を鳴らす 一回性の旋律しか知らない 鍵盤シーラカンスは傷だらけ うろこが剥がれてもやめない  海が温かくなる発情期 雄と雌 互いを優しくぶつけ合う やがて生まれたての鍵盤の群れが 海を底から震わせる 水の重さに身を委ねて それぞれに じぶんが心地いい音を探す 鍵盤シーラカンスは上機嫌 毎日違う 和音も不協和音も楽しくて 飽きることなくダン

          【詩】鍵盤シーラカンス

          【詩】天の川

          天の川の白濁のなかをすすむ 四方白い壁のほかには何もなく それは死んだ水槽のよう それはのっそりと動く戦艦のよう 空気にも輪郭があり 陽光が天井の水面に揺れ かつて燃え尽きた星が 柔らかな線を描くのを見ただろう あなたがそとに出たいと願うならば ドアより先に ドアノブを描くがいい 引いた腕に夕闇が追いついて 気づけばそとに出れるから あなたが変わりたいと願うならば 柔らかいものを 信じればいい 包んだつぼみの手のなかに ちいさな銀河が残るから

          【詩】天の川

          【詩】無限成長美術館

          高台にある 無限成長美術館は 村の一部でありながら 自分とまわりの森を喰らい 増殖をつづけている 稲が実った田園から 見上げると 美術館が口をあけて 日に日に大きくなり 村に近づいてくるようだ 上空から見たその棺は 渦を巻いて 漢字の〈厄〉みたいな 形で もぞもぞと 幼虫のように蠢いている 村人たちは耳を澄ませる 夜には 美術館が木々を薙ぎ倒す床ずれの 音がする 朝には 村の境界を越え ひと回り大きくなった美術館のなかの 回廊が巡り 展示品が増える いつの間にか過ぎた歴

          【詩】無限成長美術館