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【エッセイ】詩人カメラ


  詩が最もその力を発揮するのは「フォーカス」する力だ。ひとつの詩のなかでも、急にレンズを振り、アングルを変えることのできるカメラのように、縦横無尽に視点が変化する点が面白い。
 
 読者はその唐突さに、最初はついていけない。日常ではあり得ない、断片みたいなことばの羅列と、論理の飛躍や跳躍。心情やシーンについて詠っているくせに、一体他人に分からせる気があるのか、と憤慨したくなるほど、詩は不親切である。
 
 だから、読者は詩を何回か読む。詩は反芻されることを意図している。書いてあることを想像して楽しんだり、行間を妄想したりして楽しむ。読者は詩を読むとき、自分自身のカメラを持って出かけて、詩の世界を追体験しているとも言える。

 詩人が提示したピントの合わせ方、カメラを置きざりにした位置、切り取ったアングルを、わたしも、わたし自身のカメラを持ちながら試行する。動き回る。詩人の角度でカメラを置いて、覗いてみる。

 不思議なことだが、詩を読んでいたことさえ忘れてしまう。そうすると、普段見逃している、もしくは意図的に見ないようにしていたものがわたしにも存在することに気づく。自分の世界のカメラワークを、映画のように無意識にコントロールしていたことに気づく。思考のクセは、手癖でカメラを回すカメラマンの如し。
 その事実に気づいた瞬間、360度カメラのように、視界がぐるっとひらける。
 
 だから、あなたが決まりきったやり方で世界を見ていることに疲れたら、詩の持つ、イタさや文学性なんか抜きにして、ただ、詩を泳いでみてください。そして、軽やかに自分のカメラを運んで歩き、シャッターを押してみてください。
 そのとき、あなたのレンズが、ほんとうに見たいものにフォーカスできる気がします。



(了)

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