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東京→山形へ移住して半年の備忘録

この記事を見てくれてるみなさんこんにちは。
前回noteの記事を書いたあと、約一年の間に、BAKEを退職して、山形に移住しました。
山形では「地域おこし協力隊」として、暮らす町・大江町の空き家や町のことを写真や文章を通して伝える仕事をしています。

noteを定期的に更新していこうと意気込んでいたのにもう半年も経ってしまってびっくりしているのですが、東京から山形に来て半年経っていまの私が思うことを備忘録として残しておこうと思います。

ここからはですます調も崩し、雑多に書きます。

<移住して半年、いま思うこと>

・移住してすぐに不眠が治った


数年前にうつになり、今年の春まで不眠だけが残っていた(最後のほうは一番弱い薬を半分に切り、調子が良くない日に飲んでいたが、薬がないと不安で毎月通院はしていた)が、山形に来て数日で、、睡眠導入剤を飲まずに眠れるようになった。
毎月の通院をせず、薬を飲まずに安心してすこやかに眠れることの尊さ…!
東京暮らしが「辛かった」わけではないけれど山形でのいまの暮らしが自分には合っていたのかと思う。
本音をいうとこれから長い冬なので、ちょっとだけ冬季うつが心配ではある。

・山形(大江町)の人たちが普通、当たり前だと思っていることが私にとってはとても素晴らしいものである


私が暮らす、山形の大江町(おおえまち)は人口が約8,000人に満たない小さな町だ。町にある空き家や町のことを伝える仕事をしていると「何もない山形へようこそ!(笑)」←ジョークでね、とか、「こんな古い家ですから…」と言われることもある。
けれど、季節によって景色ががらりと変わる田園風景、そこで羽ばたくさぎや白鳥の姿に私は今でも心を奪われる。
職場の方や町の人がくれたりする大きくみずみずしい果物は、東京ではそれよりも小さくて数百円する。沖縄では輸送費がかかり、もっと高くなる。
大江からスタバやミスドに行くのに車で30分以上かかるけれど、町内で5キロのラフランスを500円で買えたり、市場に出せない果物を譲ってもらったり物々交換できるような場所はそうそうないと思う。
「こんな古い家ですが…」も、たしかに新築のぴかぴかのマンションに暮らしたい人からすればそう思うかもしれないが、古い木造建築ならではの梁や欄間のかっこよさ、お風呂場やキッチンの味わいのあるタイル、窓がたくさんあってそこから季節を感じられる暮らしに
私はわくわくするし、いずれ「自分の家」を求めるなら、どこかのおうちを受け継いで、自分(やだれか家族がいたらその家族と)が心地よく暮らせるように、自分たちで整え、生活や住まいをつくっていきたいと思っている。
雪国の冬をまだ経験していないから、これからその過酷さや辛さも味わうことになるとは思うけど、それは体験してみないとわからない部分である。

・関わる人の幅が広がり、さまざまな人との関わりをより楽しめるようになった


前職や東京で暮らしていたころは、だいたい年齢も近く、同じ職場だったり一緒に働いたことがある人や、似たようなものが好きな人と関わることがほとんどだった。特に人見知りでもないのに、なんとなく「自分はあまりにも歳の離れた人(年配の方や子どもなど)と関わるのは苦手かもしれない、とも思っていた。
大江に来て、協力隊の仕事をはじめてからは、関わる人の幅がぐっと広がったと思う。
自分の父と同世代くらい(私と父はかなり歳が離れてる)の農家のおじいいちゃんときのこ採りに出かけてそばを食べてドライブする日もあれば、町の施設に遊びに来た、小学校低学年の女の子の髪をとかしたこともあった。とても年上の人からも、小さな子どもからも学ぶことがたくさんあるし、農家のおじいちゃんと出かけるときはお腹を抱えて大笑いしている。ありのままの私でいる。

・地域おこし協力隊の仕事は、いまの自分に合っている気がする


移住に限らず、拠点を変えるときの大きな心配ごとは仕事、環境、人、お金かなと思う。
私の場合でいうと、移住をがっつりと計画していたわけではなく「近い将来、東京を離れる選択肢を持つこともおおいにあるかも」というような気持ちでいて「もし東京以外で暮らしてみるなら」の選択肢のひとつ、有力な候補に山形があったという感じ。
なので、いきなり縁のない土地(しかも都会から田舎)に行って、仕事と家(と車)どうするのよって感じですよね。私ももちろん、家を買う貯金も車もないし、BAKEも退職したしで。
地域おこし協力隊の仕事は、自治体にもよるけど、3年間の任期中は住居と車を貸していただける。
&勤務した日数分のお給料を役場からもらえるので、ごく普通に(基準は人によるとは思うけど)生活するには困らないと思うし、副業もOK。
ひとまず3年間は安心して働くことができるのはありがたいことだと思うし、今の業務内容も自分に合っていると思う。
※協力隊のことについては、自治体によって大きく変わるので、現在の大江の場合はの話という認識でいてください

自分の得意なこと、できること(私の場合は「伝える」こと)を活かしたり工夫して、ほんの少しでも町が良くなることにつながるのがうれしい。
「やぎさんが来てから空き家バンクのページが丁寧になって見るのが面白い」とか、私が運用している町のSNSの投稿の感性がすてきと言ってくれる役場の職員さん、空き家の紹介記事を読んで涙したと連絡をくれた持ち主さんもいた。
目に見える大きな実績でいえば、空き家がたくさん売れること、移住者が増えるこだと思うけど、それだけではなくて、私が空き家や町のことを紹介することで、町の人が「よそものがうちの町を面白がってくれて、なんかうれしいな」とか、「こんな風に丁寧に紹介してくれるなら、古い家を安心して手放せるかもしれない」と思っうかもしれないし、そう思った人がだれかにそれを伝えるかもしれない。
町の人が信頼してくれることが私のやりがいにもなるし、小さな積み重ねがいつかどこかで大きな木になるかもしれない。
あとは単純に私がじっとしていることが苦手だったり、まずは自分が体験したい、話を聞きたいという価値観で生きていることや、味わいのあるもの、場所、山形の食べものがほんとうに好きだからというのもある。

・やってみたいことを「まずやろう」がよりできるようになった


東京で暮らしていたころを振り返ると、自分はなんでも「平均以下」だと思って自分をあまり肯定できていなかった気がする。
(そもそも平均とはって感じだけど。あとは結構人の目や世間体も気にしていたり)
仕事も、プライベートでしたいことも、自分がやるよりももっと上手な、優秀なひとがごまんといて、私がやる必要はないと思ってしまっていた。
けれど、BAKEにいたころに色んなことを任せてもらった経験も活きたのか、山形に来てすぐに「これをやってみたい、叶えたい」と思ってリストアップしたことは、すでにいくつか叶えることができた。
インタビューを受ける、好きな媒体で記事をかく、尊敬している人が主催するイベントに出る、好きなものを並べて受け継いでいくお店をやる。
言葉にしてかいてみると、半年でもいろんなことをやれたと改めて実感した。
あとは、20代後半くらいからやるやる詐欺をしていて手つかずだった「ZINE」をつくることも、この冬にやっていくつもり。

この「まずやろう」ができるようになったのは、山形に移住して、自分がより開けたからということ以外にも、周りの人(山形でもその他の土地でも)の影響と、2年前に母が亡くなったことも影響していると思う。
いまの自分のまわりには、自ら動く人、だれかの挑戦をそっと見守る人、応援しあえる人、協力してくれる人がたくさんいる。
山形に来て、そんな人たちとの縁をいくつも持てていることが一番の財産だと思っているし、東京やほかの地域にいる友人たちもそうだ。
私を上京に導いた(ひとことをくれた)ゼミの教授も、現在の上司も「やることに意味がある」、「まずはやらないと始まらないですから」という。
うつになって思うように動けない時期があったことや、仕事や生活に対して迷ってばかりいた時期が長かったことへの悔しい思い、まだ60代前半だった母を亡くした行き場のない悲しさ。時間は永遠じゃないと痛いほど感じたから、なるべく悔いのないよう、できる限り自分らしい暮らしや働き方をして生きていきたい。

・東京や西荻の良さも実感した


山形での暮らしをSNSに投稿して、周りの人にも私が山形で楽しく生活していることが伝わっていてうれしいし、今の暮らしも気に入っているけれど、都会や西荻の魅力を実感することももちろんある。
電車がすぐに来ていろんな場所に数百円で、電車に座って少し歩けばたどりつける。どこの地域に行くにも複数の交通機関の選択肢があり、大小さまざまな映画、展示などの文化にすぐにふれることができるのは、やっぱり都会ならでは。
家の外で目にしたり感じとる情報量の多さに少し疲れてしまうことはありつつも、地方出身の私にとっては、刺激をもらえる場所だなと思う。
そんな大都会で外に出て、帰ってきてほっとできるのは西荻で暮らしていたからだった。
中央線沿い、人気の街として今はかなり栄えている吉祥寺までも歩ける距離にあるのに、おだやかで少し雑多でユニークで、心は落ち着く場所がたくさん。徒歩圏内にこれだけ自分のお気に入りがある町にはこれから先も出会えない気がするくらい。
(よく行っていた古本屋さんで俵万智さんの本を買ったら、著者謹呈の札がはさまれていたりするのも「西荻っぽい」!)
西荻にはなにかを作るひと、だれかがつくったものを大事に愛でたり応援したりするひとたちがたくさんいるように思う。東京だとどうしても大きい場所(観光施設や商業的なもの、会社とか)ありきの町という印象があるけれど、西荻は町のひとりひとりが町をつくっていると感じる。
東京にはたくさんの町があって、町によってその色は全然違うし、別の地域から上京した人が東京で心からお気に入りの町で暮らし、そこを離れても愛着をもてることもそう多くはないのではとも思う。
私は20代後半からの約5年を西荻で暮らせて本当に良かったし、いま西荻に友人とアパートをシェアしてひっそりとだけど拠点を持てていることも運がよかったと思う。
主な暮らしや仕事は山形にありつつ、東京にも行き来したり、東京や西荻でできることもしていきたいし、そうすることが、いまの自分にとって良い経験なのかなと思う。
これからどんな風に過ごしたり、企んだり、仕事にしていく?かは、工夫して動きながら考えていきたい。
今月末に西荻で古道具屋さんもするので、よかったらのぞいてね!(急に宣伝)

ざーっと書いてしまったけれど、備忘録だから良いか。
急に寒くなってきたし、今日教習所で雪道講習を受けてはじめての雪国の冬に若干怯えつつ
はじめての山形の冬を楽しんで過ごせたらいいな。


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