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【往復書簡:ひびをおくる】柳沼雄太003

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人影と足取り

 どれほど歩いただろうか。果てなく続くような街並みの中で、いまだに歩みを続けていた。民家や居酒屋から漏れる光もいつしか消え、街は人々の生活とともに眠りについたようだった。生温かい風は吹くことを止め、茫とした空気だけがそこに残っていた。

 何も聞こえなかった。通り過ぎる人の足音や、吹き抜ける海風や、街に眠る人々の息づかい。そのいずれもが耳に届いてはいなかった。

 ただ、すっかり息を潜めた街の中でも、無機質な光だけは目に届いた。ほんの数メートル先に、定食屋のショーケースが見えた。ショーケースを照らす蛍光灯は、その道の先を僅かばかり照らしていた。街灯に寄る羽虫のようによろよろと光の方へ向かった。幾度もその動作を繰り返した。まるで自らの意志であるかのように、光を見つけては近づいていった。

 そのうち前方に大きなコンクリートの壁が立ちはだかった。一際明るい光に照らされたその壁は、光によって歪な形に切り取られていて全体の大きさは一見して分からない。その上、コンクリートに映る草木の影は何倍にも拡大されて、今にも襲いかかってきそうな大胆ささえ感じた。

 突然言いようもない不安が湧き上がる。夜道が恐ろしいわけでも、化物に怖気づくわけでもない。得体の知れない何か、言葉にできない何かに怯えている自分がいる。そして、この感情はこの瞬間にだけ感じたものではなく、今までずっと感じてきた感情であると思った。しかし、その感情を言い表すだけの言葉を持ち合わせていなかった。自らの無力さに苛立った。

 行き先を求めて、再び光の方へ歩き出した。背の高い植え込みを抜けると、国道と思しき広い道へ出た。信号の光と橙色のナトリウムランプがやけに眩しい。一度辿ってきた道であることが分かった。植え込みの道を引き返してみるも、どこの角を抜けてきたかが覚束ない。駅の方角も見失ってしまった。

 辺りを見渡すと、ぼんやりと明かりが漏れ出ている建物を一軒見つけた。あの建物へ行けば誰かがいるかもしれない。確かな足取りで建物へ向かった。その建物はどうやら個人商店のようだった。食料品といくつかの洗剤、そしてまばらに本が並べられていた。最近の本ではなさそうだ。耳を澄ますと、ささやかな音量でジャズが流れていた。時折入るノイズによりサックスの音が濁った。ラジオのようだ。音のする方へ目をやると、椅子に腰掛けた人影が本を読んでいた。

 視界に入った人影に、助かったという気持ちを抱きながら、なぜか驚きはしなかった。誰かに出会うべき時だったと思うことができる確信があった。あの日、言葉にできなかったことがもう少しで輪郭を帯びるようだった。

「あの、迷ってしまって…。」

人影は動かない。眠っているのだろうか。もう一度同じ言葉を繰り返そうとした瞬間、人影が答えた。

「この道を真っすぐ、突き当たりを右へ。二つ目のカーブミラーを左に曲がり、はじめに見える長い階段を降りて行きなさい。」

「あ、ありがとうございます。」

そそくさと頭を下げ、言われた道を進みはじめた。声は老人のそれに思えたが、妙に明瞭で確かな口調だった。逡巡がなかった。

 静まり返った商店街を振り向かずに、ふと自らが発した言葉を思い返した。「迷ってしまって」迷っていたのは道だけであろうか。自らの不確かさで見えていないことが多過ぎた。苛まれていると思っていたのは自分だけではなかった。そして、その感情は今までずっと名付けられなかった感情である。

 冴えるように夜は澄みきっていて、見上げれば星を見ることもできた。最終の電車の座席に体を預けながら思い返すのは、開かなかった大きな扉と老人が腰掛ける椅子の輪郭であった。

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鳥野みるめ様

 こんにちは。ようやく梅雨が明けましたね。見上げる晴れ間が嬉しく、ついつい何度も空を見上げてしまいます。鎌倉も気持ちの良い天気になったでしょうか。

 先日もお手紙をありがとうございます。とても可愛い便箋ですね。ひと目見て宮澤賢治の「よだかの星」を思い浮かべました。

 みるめさんと往復書簡のやりとりをしていると、まだまだ出会えるものが本当に多いと感じられます。写真に収められた風景や、手紙で使う言葉に出会うことはもちろんのこと、自分の生活を見つめたり、みるめさんの生活を思うこと自体が期待の表れなのかもしれないですね。

 このような世情で、世界全体に祈ることは僕にはまだまだ難しいです。神様ははっきりとは見えないけれど、自分が大切に思う人たちの顔や姿を思い浮かべることはできます。そちらの方が確かな感触があります。そして、僕は同じくらい“言葉”も信じています。思っていることや感じていることを言葉にするだけで、具体的な形が想像しやすくなったり、進むべき方向が明確になったりします。そんな言葉でこの世界を見つめることができたらいいなと考えています。

 夜という時間がこれだけ明るい街は、確かに珍しいかもしれませんね。僕は小説やお手紙を夜に書くことが多いのですが、夜の暗さの中に灯る明かりをぼんやりと見つめて、言葉を綴ることがほとんどです。明るい都会の夜を抜けて、郊外の自宅に戻った時に感じる暗さに想像力が潜んでいるのかもしれません。写真を撮ることも想像力が不可欠だと思います。みるめさんが写真を撮る時の想像力はどこから湧いてきますか?

 スナップのお話、とても共感します。僕たちの生活は選択の連続です。そのたびに決意を持って選択肢を選んでいるんですよね。数えきれない決意の上に生活があると考えると、より一層生活というものが不思議なものに思えますね。

 LOSTAGE、ライブが格好良いのでいつかライブを体験してほしいと思います。手作りのカホンもいいですね。良い音が出せるまで突き詰めてしまいそうです。

 最近詩集を読んでいます。マーサ・ナカムラさんの『雨をよぶ灯台』です。詩と物語の中間のような短い言葉が書かれていて、リズムの良さがとても愛おしく思えます。

 暑くなってきたので、外で飲むビールが待ち遠しいですね。鎌倉で迎える夏を楽しめるといいですね。

2020.08.05

                         書肆 海と夕焼
                           柳沼雄太

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 「不確かさ」について考えています。生活は不確かさの連続であると思います。はっきりしないこと、おぼろげなこと、白黒つけがたいこと。足りなかったり、余剰があったりすることなど。

 それでも僕たちは、いずれかを選び取ることで生活を続けています。僕の言葉もそうでありたいです。綴る言葉は選び取った言葉であるし、綴る言葉によって選択を決断することもあります。

 しかし、そうは簡単にいかないことも多いです。そんな時には不確かなままでも良いとも思います。迷いや戸惑い、時にはそんな言葉とともに生活を送らなければなりません。

 今日も生活を送るために、「不確かさ」を抱えて言葉を綴ります。

2020.08.07 柳沼雄太

◆今回の小説の元であるみるめさんの写真は下記リンクよりご覧ください。

◆前回の小説は下記リンクからお読みください。


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