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大きな錆

2022年10月
ただ、なんとなく制作に役立つと思い昔を思い出して書きました。

 
「メメント・モリ」生を知る為に死を知る。

 死は病ではない死を想え

 ただひたすらに未来に向かって「本当にごめん」と謝り続ける
 
この先どうやって生きていくのか?自殺する勇気もない
 
母が死んだとき、こんなにあっさりと死ぬんだなぁっと思った。次は、自分だと。

 息子が産まれたと義理の母から連絡がきた。自分もようやく父親になったんだと。母が死んだから、息子が産まれたかもしれない。
 
息子がみせた初めての笑顔。本当に心が舞い上がるほど嬉しかった。これが笑顔なんだと思った。
 
生まれてきた息子は、色々大変な状況らしい。何かの間違いだと思ったが、自分の目で見ると納得できた。でも息子であることは間違いないし、本当に一生守っていきたいと思った。だから、自分と同じ字画になる名前を付けた。
 
介護の仕事をして『死』とは案外近くにいる存在で、意外と近いものだと感じるようになり、『死』に麻痺している。母の死から12年
 
歳をとるにつれて共に涙もろくなっている。生きている実感がする
 
僕の祖父は、近所で人気者だったらしい。親戚の叔母さんから、「あんたのおじいさんはすごいいい人やったのに、あんたはなんやの。泥をぬるのか」と、自分から言わせれば、「そんなん、しらんがなぁ。おじいさんのことやし」と当時はつっぱねていた。親戚の叔母さんとはあんまり話さないようにしていました。この間、別の親戚からおばさんが死んでだいぶ経つ事を知った。線香でも上げにいきたいけど、なぜ教えてくれなかったのかが引っ掛かり中々線香を上げに行けない。
 
 
昔、アルバイト先で上司の目の前で問題発言をした。今思えば、あんなに怖い人の前でそんな発言をしたのか理解出来ない。長く勤めていたから甘えなのかもしれない。その後直ぐに上司は店裏に僕を連れて行き、身体の目立たない所を殴れ続けました。

今まで、こんな経験無かったので頭が真っ白になり何も考えられずただ殴られていた。その後、殴られすぎてまともに歩けないのに何事も無かったかのようにいつものように働きました。その上司はまともに歩けない僕を見て、半笑いでしっかり走れと追い打ちを上げるように蹴った。腹立つとかより、めっちゃ生きている実感がした。
 
 
母に大学を休校して、大学を辞める事を前提にアルバイトに専念することを伝えた。本当は別の理由があったのに隠して。しかもアルバイトは水商売。でも母は何の疑問もなく受け入れてくれた。むしろ応援してくれた。
心の奥では、大学を辞めようと思っておらず、再び大学に戻り絵や彫刻を作りたいと思っていた。そのことも母は知っていたのか、覚えていないが急にパートの時間を増やしていた。大学を戻るには、大金がかかるし事は言わずにしても知っていたと思う。今となれば、それが仇となりガンになったかもしれない。すべての真相はわからないが、起きたことは仕方がない。頑張って生きていくしかない。
 
 

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