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私たちの紹介と生い立ち

今回は きょうだい児 の私と障害のある弟の紹介
生い立ちをお話しします

↓きょうだい児 の私がnoteを投稿する理由↓

★紹介

◯筆者 osora
21歳
女子大学生(きょうだい児)
将来の夢は特別支援学校の先生

甘いものが好き
趣味は音楽鑑賞とカフェ巡り
多趣味
基本性格は温厚・負けず嫌い

◯osoraの弟
19歳
発達障害・知的障害のある高身長男子
たぶん将来の夢はお寿司を毎日食べること(笑)

お寿司が好き(基本食べることが大好き)
最近はYouTubeにハマっている
→主に童謡などの音楽を聴いている
基本性格はせっかち

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根は真面目な変人の父親と
優しくて話し上手(怒ると鬼)の母親との
4人家族です

★筆者osoraの生い立ち

現在まで平凡な日々を過ごす
小学生の頃の習い事は水泳とそろばん
中学では吹奏楽部に入部
高校受験で失敗するも第2志望の高校へ入学
高校でも吹奏楽部に入るが途中で退部
(その後は帰宅部)
大学受験では第1志望の大学に現役合格
大学では教育を学び
学業とともに障害者の余暇支援の
ボランティア活動にも毎月参加
充実した学生生活を謳歌している

★弟の生い立ち

2歳のときに自閉症と精神遅滞の診断を受ける
就学前は療育に通い
小学部〜高等部までを特別支援学校で過ごす
中学部〜高等部までは放課後等デイサービスにも通う
現在は生活介護事業所に通う

弟の療育生活

私が弟のことで記憶に残っているのは
療育の頃から
私が小学1年生になった年の8月から
弟の療育生活が始まりました

父は仕事でしたが
私は夏休み期間だったので療育の初日は
祖父母・母・弟・私で施設に向かいました

到着したときに祖父母と母から
「今日から弟はここ(療育)に通うんよ」
と言われたことを覚えています
そして療育の先生に挨拶をしました
その後はあまり覚えていません
確か
祖父母が一緒に来ていたので
私は祖父母と一緒に途中で抜けて
祖父母の家に行ってそのまま泊まったと思います

長期休暇に私だけ祖父母の家に何泊かお泊りするのは3〜5歳からの習慣となっていました
おそらく母は私がママっ子だったこともあり
私が両親から離れても大丈夫なように祖父母の家に泊まる習慣をつけていたのかもしれません

両親と離れる直前〜1泊目は寂しいと
祖父の運転する車の中でよく泣いていましたが
祖父母のことも好きなので実家に帰るときは
祖父母と離れることが寂しくて
でも両親や弟にも会いたくて
いつも半泣きでした

私が小学校低学年のときは
母が療育で弟に付きっきりで家に帰っても
私1人になるときはそのまま友達の家や習い事に
行っていました

これも幼稚園の頃からの習慣で
幼稚園の帰りに友達のおうちの人に迎えに来て
もらって友達の家で遊んでいました
もちろん母が家にいる日は自宅に帰っていました

話は戻りますが
療育が始まったとき私は 
“弟が幼稚園に行くんだ〜”
という感覚でした
私の通っていた幼稚園に行かないことに
違和感はあまりなかったです
弟も私と同じように学校に行くんだ!
という喜びの方が強くて
自然に受け入れていた気がします

人生初の きょうだい児 の友達

弟が療育に通い始めて
私は初めて きょうだい児 の友達ができました

長期休暇の時期は他の家庭も きょうだい児 である兄弟姉妹をよく一緒に連れてきていました
療育施設内に母親たちが集う部屋があって
そこには絵本などがたくさんありました
母親たちが集うための部屋ですが療育で
母子ともに参加する時間は大人がいなくなるので
きょうだい児 たちが自由に使っていました
1,2つ年上のお姉さんや同い年の きょうだい児
とゲームなどをして遊んでいました

私が同じ境遇にいる きょうだい児 と人生で初めて
出会ったのが療育の付き添いでした

問題児の弟への希望の光

母曰く
療育の時期の弟はとても大変だったそうです
診断を受けた2歳頃〜療育卒業の時期の弟は
“超”が付くほどの多動っ子で
あらゆるところで走り回っていました

一度だけ家から脱走したことがありました
家のどこにもいないので母が外に出てみると
道路のど真ん中を弟が裸足で走っていて
「あの姿を見て血の気が引いた」
と十数年経った今でも言っています


あと
よく迷子にもらなっていました
当時の私はショッピングモールや
療育施設の廊下を走る弟を
おもしろ半分で鬼ごっこのように
捕まえていました
(母がどうしても手を離さないといけないときによく脱走していた弟)
療育のときも椅子に座れない
ずっとうろちょろしていたそうです

療育卒業の頃になると
落ち着いてきて椅子にも座れるようになりました
多動も少し落ち着いていました
母はそれだけでもびっくりしたと言っていました

車の移動でいつもと違う道を通ると
癇癪を起こしていましたが
これも療育卒業の頃には落ち着いてきました

我が家にとって弟のとても大きな成長を
目の当たりにしました

だんだん落ち着いてきた弟でしたが
話し言葉の獲得はまだでした
この時期の家族の願いは
“お喋りできるようになったらいいね”
でした

この願いは数年後に叶います
今ではうるさいくらいにお喋りします

弟の進学先の選択

療育卒業前に両親は

通常の小学校(特別支援学級)に行くか 
特別支援学校に行くか

選択しなければいけない時期に入っていました
この過程は省略しますが
多動も落ち着いてきた時期でもあったので
母は正直迷ったそうです

実は
母は私にも聞いてくれていたんです
私は当時小学3年生

osoraの小学校での勉強は
弟にとって難しいかもしれない
特別支援学校なら弟のペースに合わせて勉強を
教えてくれるんだけど
特別支援学校に行ったらosoraと一緒に
通学できないんだ

「osoraはどっちがいいと思う?」と聞かれ
私は迷わず「特別支援学校」と答えました

私と同じ小学校に通うことが弟にとっても難しいことなのは分かっていたのかもしれません
弟が過ごしやすい方が良い
無理して私と同じ小学校に通学する必要はないと
思ったのです

母は泣きながら私を抱きしめて
「特別支援学校に決めました」
と誰かに電話で報告していました
私も何故か一緒に泣いていました

確かに姉弟なのに一緒の小学校に
通えないことの寂しさもありましたが
それ以上に弟が過ごしやすい環境で学校生活を
送ってほしいという願いが強かったです

そうして
療育卒業と特別支援学校の入学が決まりました

特別支援学校で過ごした12年間

特別支援学校に12年間通い続けました
そして3月に高等部を卒業しました
大きな病気もすることなく
学校もほとんど休まずに通学できました

多動も落ち着いてきて
お喋りが少しずつできるようになった小学部
思春期とともに荒れた中学部
マイペースな高等部

本当に波瀾万丈の学校生活だったと思います


私も運動会や発表会などの行事があるごとに
特別支援学校に行っていました

小学部は
いちばんかわいい時期でした
多動もほぼなくなり落ち着いて過ごせていました
かわいくて純粋で少しお喋りも少しできて
このままこの生活がずっと続くと思っていました

が…

特に荒れた中学部の時期は常にイライラ
弟は毎日決まった時間に自傷していました
力も強くなり自分で耳や首元を叩いていました
教室から小さい時計を外に投げたり
器物破損もときどきありました
この時期から薬物療法も始めました

中学部の時期は見てる側も辛かったです
私の高校受験の時期に被ったので
(osora:中3/弟:中1)
お互いにピリピリしていました

中学部の頃から将来も見据えて
家以外の場所でも慣れるために
放課後等デイサービスを利用し始めました

高等部になった頃から
自傷は週1回くらいになりました
その代わりに自我が強くなり
思い通りにならないと怒って自傷するので
先生方は弟のペースを尊重してくれました

無理に参加させないようにした結果…
学校には行くけれども
給食以外の時間は教室から動かない
授業に参加しないやる気無の生徒になりました

しかも
高等部後半は自粛生活を強いられました
自分の思い通りにならないことばかり
たぶん弟にとってもルーティンが崩れて
ストレスになっていたと思います
それでも弟は耐えました

修学旅行も予定とは違う近場に変更になりました
弟はそれでもとても楽しめたようで
修学旅行に連れて行ってくださった先生方には
とても感謝しています

弟は新幹線乗れなくて残念そうにしていたので
コロナが落ち着いたら新幹線乗せてあげたいです

結果論になりますが
特別支援学校を選んで正解だったと思います
波瀾万丈と言いましたが
弟はとても成長してくれました
まさかお喋りできるとは思ってもいませんでした

現在の弟

平日は生活介護事業所に通っています

自分の思い通りにならないときは
イライラしたり自傷してしまったりする
こともあります

特に時間のルーティンが弟本人の中で厳しく
定まっているので家族は基本そのルーティンに
合わせて行動しています
極力怒らせない・自傷を減らすことが目的です

中学部の荒れていた時期は少しでも
ズレるとパニックになっていましたが
今は少し我慢することができます

今もこのご時世なので好きな外出や外食も
制限していますが自分で言い聞かせて
我慢してくれています
昔の弟なら絶対できていなかったと思います

これからも弟と向き合って平穏な日々を
過ごしていけたら良いなと思います

今回も長くなりましたが
最後までお読みいただきありがとうございます

きょうだい児 の私や障害者の弟
家族への質問などはコメント欄にお願いします
答えられる範囲でお答えしていきたいと思います



osora



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