見出し画像

【つの版】日本刀備忘録02:神代宝剣

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

 日本列島に最初にもたらされた刀剣は、青銅製の直剣でした。続いて鉄製の刀剣が伝来し、古墳時代後期には倭国内での製鉄や刀剣の鍛造も開始されます。しかし当時の刀は基本的に直刀で、まだ湾曲していませんでした。まずは記紀に登場する刀剣について見ていきましょう。

◆日◆

◆本◆


倭韓鍛部

 弥生時代から古墳時代にかけて海外から輸入された刀剣のうち、把頭つかがしらに環がある刀(環首刀)を考古学上は「環頭大刀」と呼びます。当時は高句麗から伝来したものとして「高麗剣こまつるぎ/狛剣」と呼んでいました。そのため和歌において高麗剣と言えば「わ(環/輪)」の枕詞になっているほどです。

 把頭の形状に応じて分類し、円頭・方頭・圭頭(尖頭)・鶏冠頭・頭椎かぶつち(拳状に膨れたもの)などと呼び分けますが、紐を通す穴も空けられており、機能的には大差ありません。これらの刀剣は支配層の権威を示すものとして金銅などできらびやかに装飾され、それらの技術を持つ職人が海外から連れてこられています。

 金属を鋳鍛する者を日本語で「かじ(かぢ)」と呼び、古くは「かぬち」と呼びますが、これは「かなうち(金打ち)」が訛ったものです。漢語で金属を叩くことを鍛(タン)、鋳造することを冶(ヤ)というものの、「かぬち」に鍛冶の字をあてたのは日本での用法です(漢語では金工・金匠等)。また「かね/かな」は漢語の金(コン/キン)が倭地で訛ったものです。

 少なくとも弥生時代には青銅器の鋳造・作成(原料は輸入品ですが)に携わる職能集団がいたはずですし、鉄器を鋳造・鍛造する職能集団も古くから存在したでしょう。ヤマト王権/倭国は彼ら金属加工を行う職能集団を部民べのたみとして再編し、鍛冶部かぬちべと呼びました。これには古来のやまとの鍛冶かぬちと、応神天皇の時代に朝鮮半島の百済から献上された卓素を始祖とするから鍛冶があります。

 両鍛冶部は律令制下においては雑戸に分類されて「鍛戸」と表記され、宮内省の鍛冶司、大蔵省の典鋳司、兵部省の造兵司などに所属して、租庸調を免じられる代わりに銅や鉄等の器材を作成するよう命じられています。

『古事記』によると、天照大神が天岩戸に隠れた際、神々は天安河の河上の天堅石、天金山の鉄を取り、鍛人かぬち天津麻羅あまつまらを求め、伊斯許理度賣命いしこりどめのみことに命じて八咫鏡を作らせました。天津麻羅が何をしたかは書かれていませんが、伊斯許理度賣命とともに鏡や矛を作ったともいい、後の『先代旧事本紀』では物部造・阿刀造・笠縫・倭鍛師やまとのかぬちらの祖とされています。ただ鍛人とあって神ともみこととも呼ばれてはいません。『日本書紀』綏靖天皇紀には「倭鍛部の天津真浦に真鏃を造らしむ」とあり、麻羅・真浦とは鍛冶師やその集団の名であって神名ではないのかもしれません。

『日本書紀』では天津麻羅は登場しませんが、一書に「天目一箇神あめのまひとつのかみ作金者かなだくみとなし」とあります。これは大己貴神(大国主神/大物主神)が高天原からの使者に屈服して国譲りを承諾した際、彼に仕え祀る神々の一柱として高天原から派遣されたものです。『古語拾遺』や『新撰姓氏録』によると、天津麻羅とはこの天目一箇神の別名で、天照大神と素戔嗚命が誓約によって儲けた五柱の男神の一柱・天津彦根命の子です。彼は天照大神を岩戸から誘い出すため、や斧、鉄鐸などの祭具を作ったといいますから、記録上では神代における最初の鍛冶師です。

神代宝剣

 ただし、記紀神話においては彼以前から刀剣は存在しました。イザナギが火神カグツチを斬り殺すのに用いた十拳剣とつかのつるぎ(拳を十個並べた長さの長剣)は「御佩みはかし(佩いていたもの)」としていつのまにか出現しており、神格を持つとして天之尾羽張あめのおはばりないし伊都之尾羽張いつのおはばりという神名で呼ばれています(剣身が幅広であることを意味する語でしょうか)。イザナギが黄泉国から逃げ帰る時に振るったのもこの剣です。のち天安河の上流に身を隠し、国譲りに際しては使者に選ばれますが断り、子の武甕槌命を派遣させています。

 刀剣の材料となる金属かねは、カグツチを産んだイザナミが病床で嘔吐することによって産み出されました。これは火神出産を火山噴火になぞらえ、流れ出る溶融した金属を嘔吐物に見立てたものでしょう。イザナギはこれをとって十拳剣を創造したのでしょうか。

 天照大神と素戔嗚命の誓約の場面でも、素戔嗚命が佩いていた(別の)十拳剣が天照大神に噛み砕かれ、宗像三女神が生まれたとあります。拳の横幅は7.5cmほどですから、全長75cmほどの剣です。

 天岩戸事件ののち、素戔嗚命は高天原から地上へ追放されましたが、どこかで新たな十拳剣を手に入れ、八岐大蛇を退治するのに用いました。オオゲツヒメを斬ったのもこの剣かも知れません。『日本書紀』一書では、これを蛇の麁正をろちのあらまさ(大蛇の荒々しい真刀[まさひ])、蛇の韓鋤おろちのからさひ(大蛇の韓国の鉄剣)、天蠅斫剣あめのははきりのつるぎ(蛇[はぶ]を斬った天の剣)と呼んでいます。『古語拾遺』で「天羽々斬」とするのは、天蠅斫の別の当て字でしょう。サヒとはサビ(錆)と同語源で、砂鉄および砂鉄から精錬された刃物を指す古代韓語です。これは出雲で神宝として祀られましたが、のちヤマト王権に接収され、石上いそのかみ神宮におさめられたといいます。明治時代に禁足地から発掘された長さ120cmの鉄刀がそれだとして本殿に祀られていますが本物でしょうか。

 そして八岐大蛇の尾から出現したのが、三種の神器の一つである天叢雲剣あめのむらくものつるぎです。『古事記』では都牟刈之大刀つむがりのたち(非常に鋭利な刀剣)、草那藝之大刀くさなぎのたちとも呼ばれ、『日本書紀』一書では「大蛇の居る上に常に雲がかかっていたためか、これを天叢雲剣という。日本武尊の時に草薙剣と改めた」と記します。

 江戸時代に草薙剣を盗み見た熱田神宮の神官たちの証言では、「長さは二尺七、八寸(85cm前後)、刃先は菖蒲の葉に似ており、中程は盛り上がっていて、根本から六寸(18cm)ほどは節立って魚の背骨のよう。全体は白っぽく、錆はない」とあります。とすると草薙剣は鉄剣ではなく、白銅を用いた銅剣かと思われます(草薙剣とされるものは複数存在しましたが)。

 この天叢雲剣は高天原へ和解の印に献上されますが、のち根の国に訪ねてきたオオナムチはスサノオの大刀や弓矢・琴などを娘のスセリヒメごと奪い取り、地上に戻って王者となります。

 オオナムチの子のアジスキタカヒコネは、神度剣かむどのつるぎないし大量おおはかり/大葉刈おおはかりという名の十拳剣を持っていました。カリは刈り取るもの、ハは刃でしょうから、「大きな刃の剣」を意味する語に漢字を当てて大量とし、量が度になったものでしょうか。

 高天原から天下った神々のうち、武甕槌命たけみかづちのみこと経津主命ふつぬしのみことは大国主神らを屈服させて国譲りを成功させ、まつろわぬ神々を平定しました。この時に用いられたのが布都御魂剣ふつのみたまのつるぎで、佐士さじ布都神・みか布都神とも呼ばれる神格を持つ剣です。フツとは「ぷっつりと断ち切る」ことを意味するといい、切れ味の鋭さをあらわすとも、フル(振る/布留)の転訛であって霊魂を振るい起こすことをあらわすともいいます。武甕槌命も建布都神・豊布都神の異名を持ちますから、親である天之尾羽張や経津主命(カグツチの血から生まれた岩の神々の子)と同様に剣の神霊なのでしょう。また上述の天羽々斬を「布都斯ふつし魂剣」とも呼びます。

神剣伝来

 国譲りののち、天照大神の孫ニニギが三種の神器を授かり、お供の神々を率いて日向の高千穂に天孫降臨しますが、彼も子孫も日向にとどまります。ニニギの曾孫が神武天皇で、ようやく日向を出てヤマト(奈良盆地)へ向かいます。天叢雲剣も携えていったと思われますが記されず、紀伊半島南部の熊野において布都御魂剣を授かったといいます。これは高天原から武甕槌命がアマクダリさせた横刀たちであり、熊野の悪神が放った毒気から神武の軍勢を助け、ヤマト平定を助けたとされます。この戦いでは神武の軍勢が頭椎くぶつつ石椎いしつつなどの刀剣を用いています。

 第十代の崇神天皇の時、天下に疫病が流行したので、天皇は神々を祀って祟りを鎮める一方、宮中に祀られていた神宝を外に出すことにしました。この時、天叢雲剣は天照大神を祀る豊鍬入媛命とともに笠縫邑に遷され(のち伊勢神宮へ遷る)、宮中には剣の形代が残されました。また布都御魂剣は物部もののべの伊香色雄いかがしこをが石上神宮に遷しました。

 ここはヤマト王権の武器庫であり、物部氏はそれらを管理する職務を担う軍事氏族でした。実際に物部氏が倭国の有力氏族として台頭するのは5世紀以後ですが、由来を神代まで遡って箔をつけたのでしょう。

 崇神天皇の孫・景行天皇の時、皇子のヤマトタケルが各地に派遣されて賊徒を平定しましたが、彼は東国遠征に際して伊勢神宮に赴き、天叢雲剣を授かります。彼はこれを草薙剣と改名しますが、遠征の帰り道に尾張に置き忘れたため、ここに祀られて熱田神宮が創建されたといいます。「本物」の天叢雲剣/草薙剣はそれ以来ここにとどまり、失われていないとされます。

 ヤマトタケルの子が仲哀天皇で、神功皇后との間に応神天皇を儲けました。そして新羅・百済・高句麗は日本(倭国)に服属し、七支刀や韓鍛冶を貢納した、とされます。実際の歴史的事情はすでに述べたとおりですが、倭国・日本の建国神話には、かくも密接に刀剣が関わっているのです。

◆刀剣◆

◆乱舞◆

【続く】

つのにサポートすると、あなたには非常な幸福が舞い込みます。数種類のリアクションコメントも表示されます。