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【つの版】日本建国10・三貴子

ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

国産み・神産みの最後に火を産んだイザナミは死に、イザナギは彼女を連れ返すべく黄泉国へ赴きますが、失敗して逃げ帰ります。次に彼はどうするのでしょうか。

◆禊◆

◆祓◆

禊祓

黄泉国から帰還したイザナギは「私はなんと醜く穢らわしい国へ行ったことだろうか。禊(みそ)ぎをしよう」と言い、竺紫(筑紫)の日向の橘の小門(おど)の阿波岐原(あわぎはら)へ赴いて禊ぎ祓いを行いました。

禊ぎとは「身を(水で)すすぐ」ことを意味し、罪咎やケガレを心身から洗い流して振り払い(祓い)リフレッシュする行為(沐浴)です。魏志倭人伝にも「已葬、舉家詣水中澡浴、以如練沐」と書かれており、葬儀の後に死のケガレを落としたのです。

筑紫の日向とは筑紫島(九州)の日向国、現在の宮崎県です。宮崎市には阿波岐原(あわぎがはら)町があり、この地の江田神社付近の海辺(入江、津波により今は池)こそイザナギが禊を行った場所とされます。また宮崎市鶴島には小戸神社があり、大淀川下流部に面しています。

出雲国と伯耆国の境に埋葬されたイザナミを黄泉国へ呼び戻しに行った後、遥か遠くの日向国まで移動するとは、神の移動距離はすごいものです。「筑紫というからには北部九州だ!」と主張する人々もいますが、無視します。まさかイザナギやイザナミが実在の人物だとでも言う気でしょうか。

禊ぎを行うにあたり、イザナギは身につけていたものを取り去ります。杖を捨てると衝立船戸(つきたつ・ふなと)神が生じました。フナトとは「来るな・ところ」を意味し、ケガレを塞き止める道祖神です。さらに帯、上着、褌、冠、腕輪を捨て去ると、それぞれ道路や旅行、船旅を守護する神々が生じました。イザナミとまぐわうまでもなく、イザナギは自ら神々を生み出せるようになっていたようです。

それから「上の瀬は流れが速く、下の瀬は流れが弱い」といい、中程の瀬に身を沈めて洗うと、黄泉国のケガレが流れ落ち、八十禍津日(ヤソマガツヒ)神と大禍津日(オオマガツヒ)神という二柱の禍津日(災厄をもたらす神)が生じました。続いて災厄を直すために神直毘神・大直毘神・伊豆能売神という三柱の直毘(ナオビ)神が生じました。伊豆能売とは「霊威がある女」を意味し、一柱多いぶんだけ善事が多くなるのでしょう。

続いてイザナギが水底・水中・水上で体を洗うと、底・中・上の綿津見神筒之男(ツツノオ)神が生じました。三柱の綿津見神は海神で、大綿津見神とは別ともされ、阿曇氏の祖神とされます。三柱の筒之男は後に神功皇后の三韓征伐を助け、摂津国の住之江(すみのえ)に鎮座し、住吉三神と呼ばれることになります。筒とは星(つづ)のことらしく、航海の道標となる三柱の星神…つまりオリオンの三ツ星を指すともいいます。この神々が重要視されるのは、河内に宮を置き海外遠征を行うようになった仁徳朝以後です。

三貴子

そして、イザナギが左の目を洗うと天照(アマテラス)大御神が生じ、右の目を洗うと月読(ツクヨミ)命が、鼻を洗うと建速須佐之男(スサノオ)命が生じました。太陽と月、そしての神です。イザナギは「私は子を生んで、その終わりに三貴子(みはしらのうずのみこ)を得た」と大いに喜び、この三柱の神々に事依(ことよさし)、すなわち権限の委任を行います。

原初の巨人の左右の眼から太陽と月が、息吹から風雲が生じるのは、『述異記』の盤古そのままです。しかし盤古はこれらに権限を委任などしません。

イザナギは(服を着た後)、首にかけていた玉飾りを外してゆらゆらと振り動かし、アマテラスに「お前は高天原を統治せよ」と命じて、その首に玉飾りをかけました。この玉飾りを御倉板挙(ミクラタナ)神といいます。高天原には造化三神などイザナギより古い神々が大勢いますが、勝手に統治権を娘に与えて大丈夫でしょうか。大丈夫なのでしょう。続いてツクヨミには「お前は夜之食国(よるのおすくに、夜の世界)を統治せよ」と命じ、スサノオには「お前は海原を統治せよ」と命じました。

こうして高天原、夜の食国、海原の支配者が定められましたが、肝心の大八島国やその他の地上世界の支配権は、誰にも与えられていません。黄泉国はあのままイザナミが統治しているのでしょうし、地上は天津神たちの命令に従ってイザナギが統治していたのでしょうか。

ギリシア神話においては、父神クロノスらを打倒したオリュンポスの神々が世界を分割統治し、ゼウスが天空を、ポセイドンが海洋を、ハデスが冥府を支配すると取り決めています。大地(ガイア)は神々が直接支配できなかったとも、当初はポセイドンが大地の支配者を兼ねていたともされます。この分け方は日本神話の三貴子そっくりで、海原を治めるスサノオとその子孫が地上に君臨するところまで似ています。ただしゼウスは太陽の女神ではなく父なる天空の雷神ですから、イザナギやスサノオ寄りです。またハデスは月神ではなく冥府=黄泉の支配者で、夜は旧き女神ニュクスの領域です。

ところが、スサノオは海原を治めようとせず、あごひげが胸前に届くほどの年齢になっても赤子のように泣き叫び続けていました。そのため山々の草木は枯れ、川や海は干上がってしまいます。嵐と海原の神が泣き叫ぶのですから、天地は鳴動して風雨雷電が荒れ狂ったのでしょう。

スサノオの凄まじい感情エネルギーは禍津日神ら邪悪な神々を呼び覚まし、旧暦五月(梅雨時)に湧き起こる蝿の群れの羽音のように彼らの声が満ち、あらゆる妖怪変化が一斉に現れ、百鬼夜行のありさまとなりました。現世とオヒガンの境が揺らぎはじめたのです。このままでは現世が滅びます。

驚いたイザナギは「なぜお前は私が委任した国を治めず、泣きわめいているのだ」とスサノオを詰問します。するとスサノオは「私は妣(母)の国、根之堅洲国(ねのかたすくに)へ行きたくて、泣いているのです」と答えました。根之堅洲国とは黄泉国とも違うともいいますが、彼はイザナギの鼻から産まれたくせに出会ったこともないイザナミを母として慕い、彼女のもとへ行きたいというのです。マザコンにもほどがあります。

イザナギは怒って「それなら、お前はこの国(地上)には住むな!」と言い放ち、追い払ってしまいました(神やらい)。その後、イザナギは近江国の多賀に移住し、活動を終えました。今の多賀大社です。

日本書紀では

以上は『古事記』での記述ですが、『日本書紀』では話が異なっています。そもそも本文ではイザナミが死んでおらず、イザナギと共に相談して「既に大八島国と山川草木を産んだ。天下の主を生まずにいられようか」と言い、共に日神を産みます。これをオオヒルメムチ(大日孁貴)、別名を天照大神といい、光り輝いて六合(四方と上下を合わせた全世界)を照らしました。

両神は「たくさんの子を産んだが、このように霊異のある子はいなかった。この国(地上)に久しく留めておくのはよろしくない。早く天に送り、天上の事(支配権)を授けよう」といい、天と地を繋ぐ柱によって(当時は天地の間が近かったので)天上へ挙げました。次に月の神が産まれ、その光は日に次いでいたので、これも天へ送って日神と共に天上界を治めさせました。

その次に産まれたのが、『日本書紀』本文では蛭児(ヒルコ)でした。しかし彼は三歳になっても脚が立たず、両神は船に載せて風のまにまに放棄してしまいました。『古事記』では国産みの時の初生児でしたが、ここでは日月より後に置かれています。

最後に産まれたのが素戔嗚(スサノオ)尊です。彼は勇悍で安忍(忍耐強い性格)でしたが、常に泣き叫んでいました。そのため国内の人民は多くが夭折し、青山は変じて枯れました。父母はスサノオを叱りつけ、「お前は甚だ無道である。この宇宙に君臨させておくわけにはいかない。遥か遠くの根の国へ行け」と命じて、追放したといいます。

さらに第一の一書では、イザナギが「私は御宇(天下を治める)の珍子(うずみこ、尊い子)を生もう」といい、白銅鏡(ますみのかがみ)を左手に持つとオオヒルメムチ(アマテラス)が、右手に持つと月弓尊(ツクヨミ)が、首を回して振り返ると(影から)スサノオが生じたとします。このうち前二者は性質が明らかで麗しく、天上に昇って天地を照らしましたが、スサノオは残虐を好む性質であったため、根の国を治めさせたといいます。

第二の一書では、本文と同じ順序で日・月・ヒルコ・スサノオが産まれ、後者の二柱が追放された後にカグツチが産まれてイザナミが死んだとします。第六の一書はほぼ古事記と同じで、神産みからスサノオの追放までを記していますが、ツクヨミの支配領域を青海原とし、スサノオに「天下を治めよ」とイザナギが命じています。月は潮の干満をもたらしますから、海洋を支配するというのは理にかなっています。

また『日本書紀』本文では、イザナギの最後もやや違います。

是後、伊弉諾尊、神功既畢、靈運當遷、是以、構幽宮於淡路之洲、寂然長隱者矣。亦曰、伊弉諾尊、功既至矣、德文大矣、於是、登天報命、仍留宅於日之少宮矣。

イザナギは近江(淡海)ではなく淡路島に隠居したというのです。淡路はイザナギとイザナミが最初に産んだ島(日本書紀では胎盤とし、子の数に入れませんが)ですから、そこに隠居するのは理にかなっています。近江とは特に関係がないので、たぶん淡路と淡海を古事記が取り違えたのでしょうが、そんなことを言うと多賀大社のメンツが潰れます。

また異説として、イザナギはアマテラスに続いて高天原に帰還し、天津神たちに報告したのち「日の少宮(ひのわかみや)」に住んだといいます。肉体は淡路か淡海に残し、霊魂は高天原に昇った、とすればいいのでしょうか。普通に死ねば黄泉国か根の国へ行くはずですが。

宇氣比

『古事記』に戻りましょう。父に勘当されたスサノオは「それでは、天照大御神に別れの挨拶をしよう」と言い、天へ向かいました。しかし彼が荒々しく動いたため、山川や国土はことごとく揺れ動きます。悪意がなくても嵐の神なので仕方ないのですが、なんとも傍迷惑な存在です。

アマテラスは驚いて「私の弟が来るということは、必ず善からぬ心を抱き、我が国を奪おうというつもりに違いない」と言います。そこで髪の毛を解いて男のように角髪を結い上げ、髪や手に勾玉の飾りを巻き、背中には靫(のり、矢筒)を負い、手首の内側に竹の(とも)を装着し、弓を持ちます。そして(天の)足元を力強く踏みしめ、淡雪のように蹴散らし、雄叫びをあげて「なぜ来たか!」とスサノオに問いかけました。

武装した女神と、荒振る海の神の対峙――ギリシア神話ではアテナとポセイドンがアテナイの支配権を巡って争っています。アテナはゼウスの娘なのでポセイドンの姪にあたりますが。

スサノオは姉神に事情を話し、異心はないと言いますが、アマテラスは「ならば、お前の心が清く明らかであると、何をもって知るのか?」とのたまいます。スサノオは答えて「おのおの宇気比(うけい、誓約)して子を生みましょう」と言います。妙なことになってきました。

両者は天安河(あめのやすかわ)を間にして誓約し、まずアマテラスが動きます。彼女はスサノオの佩いていた十拳剣を(神通力でか)受け取り、3つに打ち折ると、天真名井(あめのまない)の水に浸してゆらゆらと振るい、歯でバリバリと噛み砕きます。そして息吹と共に空中へ吹き付けると、霧の中からタキリメ・イチキシマヒメ・タギツヒメという三柱の女神が生まれました。交合せずに相手の持ち物から子を産んだのです。彼女らは後に筑紫へ天下り、宗像大社の祭神となりました。

続いてスサノオはアマテラスが頭や手足につけていた勾玉飾りを受け取り、同じく天真名井の水ですすいで噛み砕き、空中へ吹き付けます。するとアメノオシホミミアメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、クマノクスビという五柱の男神が生じました。判定はどうなるのでしょうか。

アマテラスは「この五柱の男子は、私の物によって生まれたのだから、私の子だ。先に生まれた三柱の女子は、お前の物によって生まれたのだから、お前の子だ」と宣言します。するとスサノオは「私の心が(暴力的ではなく)清く明らかだから、私の子は手弱女(たおやめ)でした。まさしく私の勝ちです!」と宣言しました。それでオシホミミは「正勝・吾勝・勝速日(マサカツ・アカツ・カチハヤヒ)」という称号を冠せられたといいます。

オシホミミ(大きな君、太子)はアマテラスの長男として扱われ、後に天孫である瓊瓊杵(ニニギ)尊を儲けます。何度か言及したように、アマテラスには持統天皇、オシホミミには草壁皇太子、ニニギには珂瑠皇子(文武天皇)が投影されているといいますが、とするとスサノオは持統の夫・天武天皇の投影でしょうか。アマテラスがアテナめいて処女性を保ったまま、ギリギリの表現で子を儲けるのは、持統が天武になんか思うところがあったのでしょうか。7世紀の隋書倭国伝に「倭王は天を兄とし日を弟とする」とありますから、天武(大海人皇子・真人)の時に編纂された建国神話では海神スサノオの子孫が天下を統治し、太陽神アマテラスは男神でスサノオの弟だったのかも知れません。ただのつのの妄想に過ぎませんが。

オシホミミの弟アメノホヒの子孫は、後に天降って出雲国造の祖となりますから、出雲国造家は皇室の遠い分家筋にあたります。また武蔵・上海上・下海上・夷隅・津島・遠江など東海諸国の国造や県主の祖ともされ、出雲族がこれらのフロンティアへ進出していたことを物語ります。他の三柱の男神のうち、アマツヒコネは河内・茨木・山代・高市・馬来田・道尻岐閉(常陸北端)・周防など諸国の国造や県主の祖とされますが、残り二柱は特に子孫の氏族が記されません。数合わせのために生まれたのでしょうか。

『日本書紀』本文でも、同様にスサノオがアマテラスに会いに行き、誓約をして子を生みます。ほぼ同じですが、勝敗は記されません。皇祖神アマテラスが乱暴な弟に言いがかりをつけて失敗したとなると聞こえが悪いので、勝敗部分は削除したのでしょうか。

第一の一書では、アマテラスは剣を三段に折らず、十握・九握・八握の剣をそれぞれ噛み砕いて三女神を生み、スサノオは姉の首飾りから五男神を生んでいます。アマテラスの顎や歯が心配です。またスサノオの勝ちとします。第二の一書では、スサノオは羽明玉神から献上された八尺瓊勾玉を手土産として天に昇り、姉に差し上げます。誓約の時、アマテラスはこの勾玉を噛んで三女神を生み、スサノオは自分の剣を噛んで五柱の男神を生みました。

第三の一書では、誓約の前に勝利条件として「もし奸賊の心がなければ必ず男子が生まれるであろう。もし男が生まれたら、彼を高天原の統治者としよう」と宣言します。アマテラスが三本の剣を噛み砕いて三女神を産むと、スサノオは姉の玉飾りを噛み砕いて六柱の男神を生みます(熯之速日命を加える)。そこでスサノオは勝ち誇り、「まさに我が勝ちだ」と言ったので、最初に生まれた男神オシホミミを「勝速日」というのだ、とします。こちらの方が筋が通っていますね。

◆三神◆

◆合体◆

こうして潔白を証明したスサノオでしたが、さっさと下界へ去ればいいものを、高天原で好き勝手な振る舞いをし始めます。これが原因となって、有名な「天岩戸」の事件が起きます。全くケオスで傍迷惑な神様です。

【続く】

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