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【つの版】日本建国12・八岐大蛇

ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

スサノオは高天原で騒動を起こして追放され、地上に降臨しました。最終的な目的地は母の国・根の国ですが、そこに行く前にやることができます。

古事記 上卷-3 天照大神と須佐之男命
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_03.html

日本書紀巻第一 神代上
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_01.html

◆怪◆

◆獣◆

八俣遠呂智

スサノオが天下ったのは、母イザナミが埋葬された出雲国の南部、肥河(ひのかわ、斐伊川/ひいかわ)の上流部の鳥髪(とりかみ)という地でした。斐伊川源流部の鳥髪山、現在の島根県奥出雲町船通山(せんつうざん)です。

まさに「出雲と伯耆の境」で比婆山も近く、東には鳥取へ流れる日野(ひの)川の源流もあります。『出雲国風土記』は「樋速日子(ヒハヤヒコ)神が住んだことにちなむ」としますが、カグツチを斬った時に血液から生じた火の神ヒハヤビのことでしょうか。比婆山もこれにちなむかも知れません。

スサノオが斐伊川を見ると、箸が流れて来ます(山頂ではなく麓のどこかに降臨したようです)。上流に人がいるのか、と山道を歩き遡ると、年老いた夫婦が童女を挟んで泣いているのを見つけました。スサノオが「お前たちは誰だ」と問うと、老夫が答えます。「私は国津神で、オオヤマツミの子アシナヅチといい、妻はテナヅチといいます。この娘はクシナダヒメです」

スサノオが「なぜ泣いている」と問うと、こう答えます。「私の娘は八人おりましたが、高志の八俣遠呂智(八岐大蛇、ヤマタノオロチ)が毎年来て、一人ずつ食ってしまいます。今年もその時が来たので泣いていたのです」。スサノオがその姿を問うと、こう答えます。「目は赤かがち(ホオズキ)のようで、体はひとつで頭と尾が八つあり、体にヒノキや杉が生えています。長さは八つの谷と八つの尾根にまたがり、腹は常に血で爛れています」。

まことに恐ろしげな大怪獣ですが、スサノオは怯みません。いきなりアシナヅチに「お前の娘をおれに奉れ」と言い出します。アシナヅチは「恐れながら、あなたのお名前は」と聞くと(べらべら解説する前に聞いておくべきだったと思いますが)、スサノオは「おれは天照大御神の弟で、いま天から降ってきたのだ」と名乗りもせずにふんぞり返ります。勢いに押されたアシナヅチとテナヅチは「恐れ多い事です。奉ります」と言い、クシナダヒメは(特にセリフもないまま)スサノオの嫁になりました。

スサノオは彼女を神通力で櫛(クシ)に変え、自分の角髪に挿して身につけると(安全な場所に庇護したつもりです)、アシナヅチらに言いつけます。「お前たちは八塩折(ヤシオリ、何度も絞って濃縮すること)の酒を醸せ。また垣根を巡らして八つの門を設け、門ごとに桟敷席を設けて酒槽(桶)を置き、八塩折の酒を満たして待つのだ」。

アシナヅチとテナヅチは(神通力とか村人の協力とかで)言われたとおりに罠を調え、オロチを待ちます。しばらくするとオロチがやってきて、八つの頭を各門の酒槽に突っ込んで飲み始めます。そのままオロチは酔い潰れ、突っ伏して寝てしまいました。隠れて様子を見ていたスサノオは十握剣を抜いて動かぬオロチに襲いかかり、散々に斬り刻みます。その血は斐伊川を赤く染めました。正面からの戦闘ではなくだまし討ちですが、勝てば官軍です。

この時、尾の一本に斬りつけると、剣の刃が毀れました。スサノオが怪しんで剣の切っ先を尾に突き刺し、縦に割いて中身を確かめると、都牟刈の大刀(つむがりのたち、鋭い剣)が現れます。十握剣はこれに当たって刃こぼれしたのです。スサノオは後にアマテラスへこれを献上しましたが、これぞ草那藝(くさなぎ)之大刀、すなわち三種の神器のひとつである草薙剣です。

あまりに有名な大蛇退治の神話です。『日本書紀』本文でもほぼ同じ内容の記述で、天岩戸と同じく一貫した神話として伝わっていたようです。第一の一書では大蛇退治は省略され、斐伊川上流に天降ったスサノオがクシナダヒメ(稲田姫)を娶ったことを記します。

第二の一書では天降った地を「安芸国の可愛(え)の川上」、広島県北部の江の川(ごうのかわ)上流域とします。広島県安芸高田市には江の川の支流として樋ノ川があり、東の三次盆地には例の四隅突出型墳丘墓の古いものが見られ、出雲文化圏に含まれます。また子が産まれようとすると大蛇が来たとか、スサノオが大蛇に酒を勧めたとか、細部に違いがあります。第三の一書では、大蛇に飲ませたのを「毒酒」としています。

大蛇と神剣

ヤマタノオロチが何者だったのかは諸説あります。有力なのは、暴れ狂う斐伊川そのものを表すという説です。まさに八つの(多くの)谷や尾根にまたがる長さを持ち、流域の山々には青々と樹木が生え、しばしば洪水を起こし稲田に襲いかかっては呑み尽くします。腹が赤いのは斐伊川の砂鉄(酸化鉄)で、それで作った鉄の剣こそ草薙剣である、というのです。

クシナダヒメは「奇(くし)稲田(いなだ)」、優れた水田を意味します。同様にクサナギとは「奇/臭(くし/くさし)蛇(なぎ)」、恐るべき蛇の意とされます。剣を蛇に例える事は北欧など世界的に見られ、東南アジアには剣身が蛇行した独特の短剣(クリス)が伝わっていますし、古墳時代の日本(倭国)には「蛇行剣」という類似の剣が存在しました。

確かに斐伊川流域は砂鉄を採取しての「たたら製鉄」が盛んで、船通山の麓の奥出雲町横田には現在も「日刀保たたら」が存在します。ただこれは戦前の靖国たたら、江戸時代の出雲・伯耆のたたら製鉄に遡るもので、神代の時代からというほどのものではないようです。倭地での製鉄が盛んになるのは6世紀中頃からで、それまでは弁韓の鉄を輸入していました。その頃に神話が伝わったか、新たに作られたか、ということかも知れません。

砂鉄を採取するため人工的に土砂崩れを起こす「鉄穴(かんな)流し」は江戸時代に盛んでしたが、古代にも行われていたとすれば、製鉄民が稲田を作る下流の農民と対立することもあったでしょう。

また江戸時代に草薙剣を盗み見た熱田神宮の神官たちの証言では、「長さは二尺七、八寸(85cm前後)、刃先は菖蒲の葉に似ており、中程は盛り上がっていて、根本から六寸(18cm)ほどは節立って魚の背骨のよう。全体は白っぽく、錆はない」とあります。とすると草薙剣は鉄剣ではなく、白銅を用いた銅剣かと思われます(草薙剣とされるものは複数存在しましたが)。

大蛇を斬った剣も重要視され、日本書紀の一書では天羽々斬剣・天蠅斫剣(アメノハハキリ)、蛇の麁正(オロチノアラマサ)、蛇の韓鋤(オロチノカラサヒ)と呼ばれます。ハハは蛇、サヒは鉄(錆)です。後に石上神宮に奉納されたといい、現在アメノハハキリとして明治時代に禁足地から発掘された長さ120cmの鉄刀が本殿に祀られています。本物でしょうか。

同様の大蛇退治・多頭蛇退治の話は世界中に存在します。エジプトのアペプ、ユダヤのレヴィアタンや赤い竜サタン、ギリシアのヒュドラ、シュメールのムシュマッヘ、ペルシアのアジ・ダハーカ、インドのヴリトラ、チャイナの相柳、ポリネシアのトゥナなどで、いずれもまつろわぬ水や海、混沌の勢力を象徴しています。ヤマタノオロチも広くはこれらのひとつでしょう。

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また「高志のヤマタノオロチ」とありますが、これは越国(こしのくに)、すなわち北陸のことです。弥生時代に出雲の勢力が北陸へ進出していたことは四隅突出型墳丘墓の分布などから確実視されており、『出雲国風土記』にも大穴持命(オオナムチ、大国主神)が「越の八口(こしのやつくち)を平定した」とあります。あるいは越国と出雲の衝突を意味するのでしょうか。マンチュリアのオロチョン族とは関係ないと思います。

 直接的な原話と思われるものは、東晋代のチャイナの志怪小説『捜神記』にあります。それによると、東越の閩中(福建省)に庸嶺という山があり、長さ7-8丈(17-19m)、太さ10囲もある大蛇がおり、官民を祟りで死なせて恐れさせていましたが、ある時人の夢や巫女の託宣によって「毎年12-13歳の少女を生贄に捧げよ」と告げました。やむなく人々は9年の間生贄を捧げましたが、10年目に李寄という少女が生贄に立候補しました。

 彼女は切れ味の良い剣と一匹の猛犬、それに数石の炊いた米と蜜を用意させ、大蛇の棲む洞窟の前の廟に運ばれました。彼女が米に蜜をかけて洞窟の入口に供えておくと、蛇は匂いを嗅ぎつけて頭を出し、米を食べ始めます。その目は大きさが二尺もあり鏡のようでした。李寄は蛇が油断したところに猛犬をけしかけ、さらに剣を振るって斬りつけたので、蛇は苦しみ悶えて死んでしまいました。東越の王はそれを聞いて彼女を夫人に迎え、父は県令に推挙され、そのいさおしは歌謡として伝えられたといいます。

五十猛神

第四の一書では、やや事情が違います。高天原から追放されたスサノオは、子の五十猛(イタケル、イソタケル)神と共に新羅国に降臨し、曾尸茂梨(ソシモリ)の処(詳細は不明)に留まりました。しかし「この地には居たくない」と言い、埴土で舟を作って東へ渡り、出雲国簸川上の鳥上の峯に到りました。確かに新羅から海を渡れば対馬海流と風を利用して出雲に着きますし、出雲と新羅・辰韓が長らく交流を持っていたことは確実です。

時にその地には人を呑む大蛇がいたので、スサノオは天蠅斫(アメノハへキリ)という剣で大蛇を斬ります(クシナダヒメは出てきません)。また大蛇の尾から神剣を得たので、スサノオは「私が用いるべきではない」と言い、五世孫の天之葺根(天之冬衣)神に遺して高天原に献上しましたが、これが草薙剣です。いつの間に五世孫が生まれたのでしょうか。

五十猛神は天降る時に多くの樹木の種を持って来ましたが、韓地では殖えず全部持ち帰りました。そして筑紫から始めて大八洲国のうちにあまねく樹木の種を播き、すなわち植林を行ってみな青山となしました。このため五十猛神は「功(いさおし)のある神」と称せられ、紀伊国(木の国)に鎮座する大神になったといいます。

第五の一書では五十猛神の話が詳しくなります。スサノオは「韓郷の島には金銀がある。もし我が子の治める国に浮かぶ宝(船)がなければよくない」といい、ヒゲ・胸毛・尻毛・眉毛を抜いて各々スギ・ヒノキ・コウヤマキ・クスノキの木種としました。そして「スギとクスノキは船とし、ヒノキは宮の木材とし、コウヤマキは棺とすべし」といい、子の五十猛神とその妹たちに授けました。彼らは日本中に木種を植え、紀伊国に鎮座したといいます。

新羅とスサノオ

とすると、スサノオは新羅から出雲へ渡来して王となった人間なのでしょうか。あるいは高天原は新羅の近く、高句麗か弁韓(任那加羅)にあり、そこから倭地へ渡来したのがスサノオや天孫族なのでしょうか。日韓(日鮮)同祖論盛んなりし頃は、そのような説も根拠として持て囃されました。現在では韓国がその主張を裏返して「日本の起源は韓国だ」と喧伝しています。

これに対抗するため「高天原は北部九州だ」「日本列島のどこかであり外国ではない」という説が盛んになりましたが、それは後知恵というものです。出雲が新羅と縁が深かったのは確かですが、その王族の起源も新羅や高句麗に遡るのでしょうか。箔付けだとしても、あり得なくもない話です。

『新唐書』倭・日本条に「その王は阿毎氏で、自ら言うには最初の主が天御中主と号し、彦瀲(ひこなぎさ)に至るまで32世、皆『尊』を号とし、筑紫城に居た」としますが、これは983年に日本僧の奝然がチャイナにもたらした『王年代紀』によるものです。天之御中主が筑紫にいたなら高天原も筑紫にあったはずですが、記紀編纂から300年近く後の記録ですから、神々が地上へ合理的な思考によって引きずり降ろされたに過ぎません。少なくとも記紀編纂者は、高天原を筑紫やヤマトとは別の天上世界として描いています。

しかし当の新羅側の記録である『三国史記』にも『三国遺事』にも「新羅人が倭地へ渡来して王になった」という話はありません。新羅の初期の王とされる昔脱解は「倭国の東北一千里にある多婆那国」から漂着したとされますし、その前にも瓠公が倭国から渡来したとあります。記紀で明確に新羅王子とされ、筑紫・出雲を経て但馬に渡来したアメノヒボコはいますが、スサノオより遥か後の人物です。要は、互いに往来があったとしか言えません。

それにしても、ヤマトの王を起源とする日本国の天皇が編纂させた割には、ヤマト(奈良盆地)はこれまで全然出て来ません。出雲や筑紫、日向や淡路ばかりです。最初からヤマトが日本という天下の王であり、高天原もヤマトであると喧伝すればよかりそうなものですが、そうしないのは、そうではなかったのでしょう。少なくとも、出雲や筑紫などに古くから勢力を持っていた豪族たちの起源神話を無視してはいません。

八雲立つ

ともあれ大蛇を退治したスサノオは、根の国にそのまま立ち去らず、出雲国に留まります。船通山の麓の横田盆地に留まってもいいのですが、少々山奥過ぎるためか、新たに宮居する地を求めました。

やがていい場所を見つけ、「この地に来て、我が心はすがすがしくなった」とのたまい、その地を須賀(すが)と名付けて宮を作り、クシナダヒメと暮らすための新居としました。すると雲が立ち昇ったので、スサノオは詩情が溢れ、「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠みに、八重垣作る、その八重垣を」という和歌を詠みました。またアシナヅチを宮の管理者に任命し、稲田宮主・須賀之八耳(スガノヤツミミ)神と呼んだといいます。

「八雲立つ」とは出雲の枕詞で、多くの雲が重なりあって群がり起こるさまをいい、それが「我が新居を囲む垣根のようだ」と褒め称えている歌です。これは日本最古の和歌とされますが、あまりに整っているのでたぶん後世に作られた歌でしょう。

須賀宮は、現在の島根県雲南市大東町須賀の須我神社に比定されます。西に須賀川が流れる小高い奥まった場所にあり、広い平野ではありません。北へ行けば宍道湖南東岸の乃木に出、東に山を越せば熊野大社に出、南西に行けば大東の盆地に出て赤川を下り、加茂や出雲平野に出ることが出来ます。

松江市南部(意宇)の八重垣神社は、須我神社の祭神を佐久佐神社の境内に遷し祀ったのが始まりとされます。この付近に出雲国府が置かれていますから、それに合わせて国内の神々を近場に勧請したのでしょう。

スサノオに関しては『出雲国風土記』にも記載があり、各地の神社の縁起譚もあって語り尽くせるものではありません。詳しくは各自でお調べ下さい。

◆神◆

◆話◆

こうしてドラゴンをスレイし、嫁と領地をゲットしてハッピーエンドを迎えたスサノオは、クシナダヒメとの間に八嶋士奴美(ヤシマジヌミ)という神を儲けました。その五世の子孫が大国主神です。彼が生まれる前にスサノオは根の国へ立ち去っており、次回からは彼が主役となります。

【続く】

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