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江戸時代から薄給・兼業だったとは!?『<通訳>たちの幕末維新』木村直樹


文句なくおもしろい1冊。長崎のオランダ通詞が、組織として歴史上名前が登場してくるのは1641年。最初は特定の家の家業で、商売だけのやりとりの場合、およそルーティンな仕事だったらしく、家業として代々引き継げればいいレベルのものだったらしいです。おかげでオランダ側が、古臭い言葉の連続に驚くほど。

それが幕末が近くなると、英語の比重が大きくなり、多様な言語でのやりとりや政治方面まで大きく関わらざるを得なくなります。そして、個人の技能に大きく左右される通詞の仕事には、いろいろな人が参入するようになったとか。

もともと長崎通詞は町人の仕事で、多くが医者などの兼業。収入も多くなかったようです。でも、幕末で江戸などに長期滞在の必要ができると、長崎から呼び寄せるだけでなく、「武士」身分にしてもらって、幕府の管理下に通詞の仕事をするようになった人物も出たり、他の藩に引き抜かれたりする人も出てきたそうです。

そして1855年に日本が開国すると、日本人漂流民が帰国できるようになり、ネイティブスピーカーから語学を学んだ者が、通訳や翻訳の仕事につくようになります。

また、中国ではアヘン戦争以後、西洋人の下で働く中国人通訳が、西洋人と一緒に日本にやってくるようになりました。だから、オランダ語や英語ではうまく行かない時、中国語で交渉をするようにもなったとか。こういう社会変化による多言語の重層的な話には、とても興味をそそられます。

直接、木村先生ご本人から聞いた話では、通詞は学んだ言語にシンパシーを抱いて西洋趣味になったり、交渉の全てを通訳しなかったり。そんなわけで、通詞は幕府からはスパイを疑われることもあったようで。人間、言葉のわからない人を疑うのも、古今東西変わらないですね。

長崎藩は、外国との交渉内容を、全部江戸幕府に知らせず、情報優位を保ったとか、幕末の通詞の仕事は、まさに「政治」だったようです。そのあたりも、すごく読み応えがありました。




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