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ダサいけど無視できない。『戦狼中国の対日工作』安田峰俊

今から50年ほど前、当時国交のなかった中国と交渉するために訪中した田中角栄は、ホテルの部屋が極端に暑がりな彼の好みぴったりの温度に調整され、彼の好きな日本の老舗のアンパンがウェルカムスイーツで置かれていたのを見て、中国側の事前情報の収集っぷりと交渉への並々ならぬ準備に、「これは大変な国に来てしまった」(≒交渉は相当手強いぞ)と言ったとか。1972年、日中国交正常化にまつわる有名なエピソードの1つです。

そういう「したたかな中国」(≒お金がないので「おもてなし」しかできなかった時代)の逸話を知っている人ほど、安田さんの本が紹介する現代中国の外交や在外インテリジェンスのずさんさは、ギャグのように見えます。まさに、外交の世界では「戦略がいるのは中小国だけ。大国にはいらない(=力で言うことを聞かせられるから)」というのを体現している状態。

まず、衝撃的なのが導入部から展開される、中国の「地方」公安局の、通称「海外派出所」の話。中国の「公安」は大体、日本の「警察」と思ってください。

例えば、日本政府の許可を得ずに、中国が大使館や領事館以外の拠点を日本に設置するのは「外交関係に関するウイーン条約」違反。もちろん、中国もこの条約に加盟しています。なのに、中国にはすでに、世界53カ国百ヵ所以上に海外派出所があります。当然、日本にもあります。

この海外派出所、ヨーロッパでは近年政治問題になっていますが、安田さんが実際に取材に行くと、民泊のような安ホテルだったり、常駐している人がいなかったり。

海外派出所は、もともとコロナで帰国できなくなった中国人の運転免許更新代行など、海外に住む中国人の生活をサポートするものだったそうです。日本でいえば、海外にも「交通安全委員会」がある感じ。

そんなわけで、もともとは中国政府が公安の海外派出所設立を指示していたわけではなく、海外に移民や出稼ぎする中国人の多い「地方」の公安が、同郷民の多い海外の都市に「派出所」を設置していた模様。ただ、手柄をたてて中国で成り上がりたい、野心的な人物がこんな場所に来ると、公式な駐日領事館などと結びついて、暴走し、問題をおこすことになります。

他人を利用して、他人を売って、自分が背後の背後で利益を総取りしようとする者と、大物に認められてのし上がろうとする跳ねっ返りたち。ドラマ『破氷行動 ドラッグ・ウォーズ』でいやというほど見ました。ただ、ドラマと現実は違うので、安田さんの本の登場人物は、ほぼ小物でやり方もかなり雑。当然ながら、ドラマのような恋愛模様も義理人情味もゼロです。

インターネットとITの発展のおかげで、習近平政権(2013年)以降、中国の犯罪者(汚職した政治家や企業家)は海外逃亡しても逃げられなくなり、中国国内にいる親族を人質に帰国を強制して、逮捕につなげることができるようになりました。

同時に、海外の反中国政府の活動化やジャーナリストにも露骨な恫喝ができるようになりました。ターゲットの名誉を毀損して疲弊させるため、毎日大量の脅迫LINEメッセージを送り、高級ホテルやデリバリーの店にたくさんの偽の注文を出したり、職場に抗議電話かけたり、合成したヌード写真をばらまいたり。

技術発展のおかげで、海外で専門的にエージェントを育てるより、現地のごろつきや中国生まれの難民を雇ったり、祖国の偉大さを素直に信じるピュアな中国人留学生を焚きつけて、汚れ仕事をさせ、失敗したら切り捨てるほうが、はるかに安上がりで効果的になりました。本当に、道具ってのは使う人次第です。

そして、安田さんの本がおもしろいのは、なぜ海外派出所がこんな風になっていったのかにも、歴史的に言及しているところです。

伝統的に華僑(overseas chinese)たちの世界では、まとまって中華街をつくり「同郷会」(日本でいう「県人会」のようなもの)を組織して、困ったときに帰国するためのお金を貸したり、異国で亡くなった人の遺体を送還したりしていました。そして、犯罪者が中国から逃げてきたら、捕まえて中国に送還する仕事も請け負っていたようです。

だから、21世紀の中国の人たちも、海外派出所経由で中国人の逃亡「犯罪者」を捕まえたり、反政府活動家を中傷することに対して、国際的な違法認識や主権侵害意識ゼロ。むしろ、「古くからある」いいことをして祖国に貢献しているとさえ考えています。

実際、日本以上に特殊詐欺が横行している中国では、詐欺グループの拠点になっているミャンマーなど東南アジア諸国の警察が全然あてにならないので、自分たちで犯罪者を捕まえるという活動もやっている模様。そして、中国国内でもこれらの逮捕劇は歓迎されているようで、彼らの団体のウェブサイトには自分たちの功績として、犯罪者の強制送還への協力が堂々と掲載されているのだとか。

インターネットといえば、一番笑ったのは(笑えませんが)共産党幹部の個人情報を暴露したハッカーたちの話です。どんな国にも跳ねっ返りの若者がいて、腕に自慢のあるハッカーたちはチャレンジします。彼らのグループが習近平の身分証番号をつきとめようとした動機は、まあわかります。

わからないのは、これだけデジタル大国みたいに言われる中国で、身分証の番号だけがデジタル化以前のものを使っていて、ハッキング対策がかなりザルなこと。人口が多すぎるのと、今さら変えるに膨大な労力がかかるだろうことは容易に想像できますが、それにしても……

日本人としては、マイナンバーよりずさんな、デジタル大国の身分証番号があると知っただけでも、この本買ったおつりがきそう。興味ある方は、実際に安田さんの本を手にとってみてください。

そして、彼らがどうやって習近平の身分証番号をつきとめ、家族のデータを入手したかを自分で確認してください。予想以上にアナログで、苦笑いしかありません。結局、セキュリティはシステムの問題ではなく、スタッフへの教育が一番大事なのだといっていた、サイバーセキュリティ専門の教授の言葉を思い出しました。

とまあ、こんな具合に、まだ第二章途中までしか紹介できていませんが、安田さんの本のおもしろさは、硬軟とりまぜ最後まで読者を飽きさせません。ざっくり読んだ印象ですが、結局、今の習近平の時代に後ろ向きな感じの中国は、21世紀の初めの10年に世界標準のグローバル化めざして、WTOにも加盟して、欧米先進国並の法律整備などを求められた時代の、中国国内からの反動なのかなと。内向きかげんというか、泥臭さの感じが。

日本人が自分で「クールジャパン」というと、トタンに残念感が出てしまうのと同様(褒め言葉は、他人から言ってもらわないと意味がないので)、中国人が自分たち(もしくは政府)の考える「偉大な祖国」を、いくら中国国内で連呼したり、SNSでイキってみても、傍でそれを見せられている外国人には、残念さしか伝わらないのは当然で。

この本で私が唯一、ほっとしながら読めたのが、20世紀的知識人のジャーナリスト王志安さんのインタビュー。15年前だと、彼のような批評精神を持ったメディアの作り手は中国でも活動できていたように思いますが、彼は居場所がなくなって、日本に移住したんですね。

ちなみに、タイトルになっている「戦狼外交」というのは、中国で大ヒットした映画『戦狼 ウルフ・オブ・ウォー』が由来といえば由来。ただ、映画の内容と、世の中で使われている中国の「戦狼外交」はかなり意味が違っていて、日本で昔はやった『NOと言える日本』(あれも結局、内向きの理屈だった気がします)のメンタルに、中国の軍事力誇示と、理不尽な経済制裁を加えた感じにイメージしています。

余談ですが、中国で大ヒットした映画『戦狼』(原題は『戦狼2』)。大阪での公開はやたら期間が短くて、ミニシアターはいつも以上にガラガラ。内容は悪くはないけど、要所要所つっこみどころ満載だったのを覚えています。むしろ、国内であまりヒットしなかったという『戦狼』の前作の内容が気になりました。

唯一、おもしろそうだと思ったのは、行方不明(らしい?)主人公(呉京:ウー・ジン)の奥さんの存在を暗示する、ひきのある映画のラストシーン。間違いなく続編が予定されていたはずですが、中国で続編が公開された話はききません。ここまで「戦狼」という言葉が海外で独り歩きし、手垢がついてしまったら、続編はもう無理かな? 少し残念。







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