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その話はやめておきましょう

毎日のなにげない会話のなかで、話題がネガティブな方向にいくことは当然あり得る。例えば、高齢者や病人、障害などのハンデがあったり、大切な人と別離して悲しみに耐えきれなかったり、劣等感や怒りを引きずっていたり、みじめさと自己憐憫に囚(とら)われていたりするときがそうだ。メンタルの落ち込みだけでなく、背景として将来への不安や、生活苦もあるかもしれない。もちろん、そういうひどく傷ついてなかなか他のことに気が回らないとか立ち直れないというときはむしろひとりで静養した方がいいかもしれない。なぜならば、他人と対等以上に会話しなければならないにも関わらず、自分の苦痛にどうしてもフォーカスが行ってしまうために自己中心的となり、相手によっては気を使わせてしまうからだ。

だが、気分が沈んでいる原因とはまったく関係ない作業を誰かと一緒におこなったり、無関係な会話をしたかったりすることもある。気分が沈んだ事情などつゆ知らぬ人と関わりたいこともある。なぜならば、人の気持ちは複雑なものだし、また個人差もあるからであり、気晴らしをどこかで挟みたくなるタイミングもあるものだからだ。人によってはベッドで安静にしていると、暗闇の中で同じことばかり考えてしまう(私はこれをせっかく治りかけた〝カサブタ〟を自分でかきむしってしまうと表現することもある)ので、むしろ身体を動かしたり、新しい人に出会って自分が考えがちなことと無関係な話題に参加していないと気が気でない……そういうときもきっとあるだろう。あるいは、そのような作業自体が作業興奮を起こし、興味の新たな扉を開き、気晴らしのきっかけを提供してくれるかもしれないという希望があるからである。

ひょっとしたら、あなたがこれから話す会話相手、あるいは明日の晩餐会で話す相手も、そうした心の傷を癒やしたり、古傷を抱えたまま会話の場に出向いているのかもしれない。何もなければそれはそれでいいし、良いニュースをもたらしてくれる相手だったら、それ以上のことはない。だが、思わぬところで相手の心の傷を刺激しかねない。例えば、いずれ訪れるであろう死や老い、病気の進行、子供や孫の未来、生活苦、学歴などの劣等感である。

例えば、話題がそういう方向に向いそうになったら、あなたは「この話は……やめておきましょう」と言うことができるかもしれない。あるいは、「別の話をしたほうがよさそうですね」とか、「難しそうな話題ですね。ちょっと大事な問題だからまたTPOを改めてお話してもいいかもしれません」などと提案してもいいかもしれない。なぜならば、話題はいくらでも暗くネガティブなものに成り得るからだ。不幸は幾らでも積み重なるし、運命がもたらしたキズを数えていてもキリが無いからである。例えば、反対にいいことばかり考えてパレアナ症候群(ポリアンナ症候群)に陥るのも極端だが、悪いことばかり数え合うのも結局会話の参加者みんなにとってためにはならない。

人生の中には探せばつまずいたことなんて幾らでも出てくる。それらがつまずいた本人にとってひどく苦しいことは否定できないし、してはいけないけれども、だからといってそれをわざわざ蒸し返したり増幅させたり、本人の自動思考を促進させたりする必要はないだろう。

同様に、これは私たち自身が個人的に不安に囚われ自分自身だけで対処するときも同じだ。ヘルスケアがしっかりしていれば、不安がやってきても(やってくること自体はほとんど不可避だ)、それを脇にどけておくことができるようになる。それは薬を飲む前は精神論だけではどうやっていいかわからなかったことだが、飲めば確かにできるようになることがあるのだ。もしそれができたら、もちろん今の課題に集中できるだろう。

これと同じように、話題を選んで提供してくれる良き友人は、あなたにも参加可能で、あなたの傷を触らないような自然な話題を提供してくれるものである。もちろんそれにすら負い目を感じて自分を責め始めることもやろうと思えばできるだろうが、そんなことをしていてはせっかくの友人の好意を無下にすることにもなる。だから、あなたは素直に従順に提供された話題にうまく乗ることに集中したほうがいいだろう。なぜならば、苦しいときに周囲に遠慮までしていてはかえってこじらせてしまって、メンタルが悪化するからである。

(1,782字、2024.04.12)

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