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女性と家族の近代史 2

こんにちは。あすぺるがーるです。

今日は前回に引き続き、女性と家族を取り巻く歴史について書いていこうと思います。

前回の記事↓

時代変化による母娘問題の深刻化は、前回扱った世代だけではなく、30代を下回る女性達にも容赦なく押し寄せています。


親元を離れられない娘たち

結婚によって女性を「妻」や「母」に縛り付けるような価値観は、4、50年前と比較すれば大幅に弱体化しました。

しかしそれと同時に、「妻」や「母」としての使命から解放されたはずの女性たちが、実の「母」から離れられなくなってしまったのです。

もともと、娘は結婚するまでは実家に住むのがあたりまえ、という考えも根強く残っていますから、ずるずると親と一緒に暮らす年月が長くなります。いつまでもひとりの大人として経済的にも生活習慣的にも自立することなく、親が長生きすればするほど、娘や息子である時間だけが長くなっていくのです。(P.78)

なぜこのようなことが起きているのでしょうか。

それも、歴史的・社会的背景に大きく関係があります。


親子を取り巻く経済的事情

一九九〇年代のバブル崩壊後、長期的に日本経済は低迷しており、いまでは非正規雇用者の数が正規雇用者を圧倒的に上回っています。
団塊世代の父親たちが、日本経済のために休日も出勤していた時代は、働き口もたくさんあり社会保障もボーナスも当たり前でしたが、二〇十六年に目を転じてみれば、いっこうに景気上昇の機運が見られませんし、多くの人たちの生活実感も豊かになったわけではありません。(P.80)

元より、日本の会社の給料は年功序列制です。

それに不景気が加わり、ただでさえ少ない若者の給料がさらに減少しているのです。


一方親世代は、日本経済が上昇していた頃の恩恵や年の功によって、比較的子どもより金銭面に余裕があります。


地方においては、大学への進学状況の変化も一因と言われています。

首都圏の大学の学生から地方出身者が減少しつつあるのもそのせいでしょう。子どもを東京の大学に出すと、月に約十五万円の仕送りが必要になります。それが可能な親はそれほど多くありません。だから地元の大学への進学が増えており、結果的に親元を離れるチャンスがないのです。(P.81)

かつては大学生が学費を自らの労働で賄うことも可能でしたが、今はそうではありません。


いくら親が経済的に豊かといっても、自分の生活を営みながら子どもに数百万円を支援することは、決してたやすいことではないでしょう。

子どもが実家に同居していれば、少なくとも光熱費や水道代、子どもの新居に払うお金が節約できます。


よって子どもは、金銭面において、親から離れて暮らす方が余計にコストがかかる状況に置かれてしまったのです。


高齢化社会

前回紹介した高齢化社会の影響は、30代より下の世代にも確実に及びます。

科学技術の発展によって、これからも長生きする親は増え続け、その寿命もますます伸びていくことでしょう。

昭和の時代、成人した子どもは「孝行のしたい時分に親は無し」と言えましたが、百歳越えの高齢者が六万人を超えるいまでは、いつまでたっても娘であることから解放されることはありません。親の介護を担っているのは、五〇~六十代の子どもたちです。かつては老人と言われた年齢のひとたちが、九〇代の親たちを介護しています。(P.62)

私たちの生きている間に、「百歳越えの~」の行が「二百歳越えの~」になる日が来るのでしょうか。


何も努力しなくても長生きできるようになったことは喜ばしい反面、老いて子に生活を依存するようになった親の「生」に縛られることをも意味しているのです。



死ぬ権利…ほしいな…



おっと、心の声が。


離れても追われることに

こうした障壁を乗り越えて無事一人暮らしが始められた娘たちに、更なる難関が立ちはだかります。


毒母の中には、現代の産物である「メール」「SNS」なる強力ツールで離れた場所からも娘にコンタクトしようとする者もいるのです。


毒母の執着は、新進の精神の衰えを良からぬ意味で超えさせてしまうのです。

そして携帯電話ないしスマホも、日に日に多機能化し、かつ使いやすくなっています。


相手がおばさんだからといって、決して油断はできません。


メールを使いこなす母親たち

五、六年前、カウンセリングにやってくる中高年の母親たちが、娘から送られてくるメールに必死で応える姿にはすごみがありました。驚くほどの速さでガラケーのボタンを押す彼女たちは、若者たちよりもずっと携帯メールを使いこなしてたという印象があります。(P.169)


確かに、ガラケーはスマホに比べて機能が少ないです。

しかし機能が少なくて使い方がシンプルな分、携帯ビギナーな中高年層にとっては、かえって使い勝手がいいのかもしれません。


かつての電話よりましだと思いますが、一日に五〇通もののメールが送られてくるような事態は恐怖でしかないでしょう。一方的に送りつけ、返信がないといってはまた文句を送信する。このようなパターンは娘を精神的に追い込みます。(P.169)


プライベートでこそLINEやSNSが普及したとはいえ、現在の日本の業務連絡は未だに電子メールが主流です。


下手すると「大事な仕事のメールが大量の母からのメールに埋もれる」なんてことも起きかねません。


母からのメールは見たくない。

でも、メールは仕事で使うから止めるわけにはいかない。

仕事用である以上、登録名を偽名にするわけにもいかないし、メアドもやすやすとは変えられない…


メールと切っても切れないような職業に就いていたら、トラウマになりそうですね…


SNSを使いこなす母親たち

子どもに問題が起きた母親たちを対象としたグループカウンセリングは、参加者のほとんどが中高年の女性たちです。数年前からは彼女たちのスマホ率も上がり、グループカウンセリングの最中にわからない固有名詞が登場すると、さっと検索できるようになりました。SNSを駆使する母親も珍しくはありません。(P.169)

SNSアカウントの作り方を知らなくても、検索窓の使い方さえ心得ていれば、娘のアカウントを探すことはできます。


Facebookだと、こんな恐ろしいことがありました。

ある母親は毎朝、自分の娘のフェイスブックを見ることを日課にしています。彼女は、アメリカの東海岸に住んでいる娘から一年以上連絡を絶たれているのです。娘はアロマセラピーの店を友人と共同経営していて、宣伝も兼ねてフェイスブックを使っているので、母親に見られていることが分かってもクローズすることができません。(P.170)

いや…これは想像しただけで辛い。


オンラインショップ機能、多彩な広告ツールなど、ビジネスツールとしてはTwitterより頼もしいFacebook。

その反面、プロフィールは個人情報の塊。

二度と関わりたくない親持ちの方々には要注意ツールですね。


ツイッターでも同じことが起きています。偽名のアカウントを複数駆使して娘をフォローし、日々の行動や状況をチェックしているのです。(P.170)

自分も偽名にできるという点ではFacebookより安心感がありますが、それは母側が偽名アカウントでフォローしてても気づけないということを意味します。


母らしきアカウントを見つけてブロックしても、また母らしきアカウントが出てくる、アカウントのモグラ叩き。


そのうち全フォロワーさんが信用できなくなりそうですね…。


時代が変わっても苦しみは消えない

親より上の世代が若かったときに比べ、物理的距離を超えて人やモノや情報の行き来が自由になったことで、価値観や生き方も格段に自由になりました。


ただ、自由になったからといって喜んでばかりはいられません。

自由は、過去の束縛からの解放とともに、過去には存在し得なかった問題の発生も意味するからです。


母娘問題も、その一つです。


時代を経ることによって、苦しみの程度と内容は大いに変わったでしょう。

しかし、女性の身体で生まれてきた方々の生き方に差別が存在するということは、昔も今も、厳然たる事実なのです。


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