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めんどくさがりに贈る、正しい努力の話。(『幸福のための努力論 エッセンシャル版』を読んで。)

会社の先輩に薦められて『幸福のための努力論』を読んだ。
努力するっていうこと自体に意味があるのだ・・・!
そう話す人もいるけれど、正しい努力をしなければ、意味がないと思う。
なぜなら、努力することは目的ではなくて、努力して何かを達成することが目的なのだから。

そんなことを考えた時、幸田露伴が書いた努力論は、現実的で、行動に基づくものだったので、しっくりきた。

会議やプレゼンテーションでいくら議論しても、実際に行動しなければ何も変わることはない。

そんな当たり前のことに気づかず、何もしないで日々を過ごしてしまったら、もったいないとも思う。

今日は幸田露伴の努力論から、特に印象に残った3つの言葉をあげてみたい。

直ちに、行動せよ

やらなければならないことがあったならば、ただちにそれに取りかかるようにしよう。これが気を素直にする方法だ。 そうすれば、気が順調に流れるようになり、気が散ることもない

幸福のための努力論 エッセンシャル版

努力する上で、始める時ほど億劫なものはない。何も始めなければ何も始まらないので、ここが何よりも肝となる。

幸田露伴は、その対策として、直ちに取り掛かることを提案する。
確かに自分の日々の仕事を振り返ってみてもそうで、とりあえず始めてしまうとなんとかなることが多い。

なので、直ちに、行動すること。これはこれからも意識していきたいと思うのである。

目の前に集中せよ

どんなことであっても、何かをしているときにはそれに集中するという「一事一物主義」を徹底することが大切だ。 最初のうちは非常に 煩わしく感じられるかもしれないが、慣れてくれば、それほど煩わしさも感じなくなるものだ。
自分の好き嫌いに素直に従うことも、気が散るのを防ぐよい方法だ。

幸福のための努力論 エッセンシャル版

現代において、私たちは、情報の海で泳ぎ、たまには情報の海から出て、ビーチで休憩したりすることが必要。

なぜかというと、人間が処理できることは限られているし、情報がトゥーマッチ、情報過多な世界は人類が経験したことがないレベルに達しているからだ。

私たちが毎日触れる情報は、インターネットがでるずっとずっと前の人類の一生分の情報量だったとどこかで読んだことがある。

インターネット時代に入る前の幸田露伴が、目の前のことに集中せよ、1点集中せよというのだから、私たちは尚更意識的に、1点集中することが大切だと思うのだ。

嫌なものは嫌なのだ

自分の好き嫌いに素直に従うことも、気が散るのを防ぐよい方法だ。

幸福のための努力論 エッセンシャル版

嫌いなこともきちんと経験しなければいけない。

そんな考えもあるが、社会人になってからは、あんまり当てにしないようにしている。

なぜかというと、人間はそれぞれ個性があり、それぞれの人が持つ強みで支え合うことが、社会にとって重要だからだ。

なので、嫌いなことに嫌いと行って、好きなことを突き詰めて、他の人に貢献できるようになればいいと思う。

すごい人とか、尊敬される人って、何もかもできる人じゃなくて、何かが特に人よりよくできることを評価されている。

だからこそ、幸田露伴がいうように、好きなこと嫌いなことを明確にし、好きなことだからこそ、とことん突き詰めて行くこと。

これが努力において重要なことだと思うのだ。

昔書かれた書物で、今まで読み継がれてきたものには、言葉の力があると常々感じる。幸田露伴の努力論もそうで、決して古くならず、情報があふれる現代だからこそ、その言葉の深さを感じる。

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