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リハビリテーションのリハビリテーション②
リハビリテーションを真のリハビリテーションに回帰させる事で、社会における諸問題の根本問題が見えてくる。
私の提起するリハビリテーションの事だけでなく、全般的な社会問題への対処として、国の方向性に異を唱えたい。
ひとり親問題、いじめの問題、性的マイノリティの問題などは、
まずは手当てという事で、何らかの利得を、全て社会保障制度の中に組み込む。その財源は無限とされる赤字国債の発行で賄い、”いま・ここ”
リハビリテーションのリハビリテーション①
私は長らくリハビリテーションに関わっている。
以前話したが、リハビリテーションは本人の価値観であると考えているので、私は必ず”支援”との表現を付け加えている。
理学療法士である私は、理学療法という治療法を、リハビリテーション支援の主な手段としているが、”治療”というだけに、現在の(傷害の)状態を改善する、(機能低下を)予防するといった”効果”を期待されている。
患者本人からは特に、”治す”事を大き
いじめとは存在の共食いである
今回は「いじめ」の解釈について考えを述べる。
「いじめ」は、個人に対して傷付ける事を目的とした攻撃である。
私自身も、小学生高学年の時に、クラスメートから陰惨ないじめを受けた。
その時に受けた心理的傷害は、治っておらず、時間とともに大分傷は癒えたが、半世紀近く経った今でも、思い出すと心が痛む。忘れる事はこの先もないだろう。
私はいじめを受けたこの時代の思い出を、心の中から消している。
その時代に
肉体の性・存在の性③
「性のリハビリテーション」
自分らしく生きる上で、自分らしい性は重要である。性同一性障害という”病態”における「心の性」とは医学的解釈にほかならない。
リハビリテーション原義主義では、”心の性”を「存在の性」と表現する。
”心の性”とは、”心の中の性”と意味取れる。
この心(心の中)という言葉には、「他者や社会が理解できないその人だけが分かり得るもの」とのメッセージが包含されている。
”心の中の
肉体の性・存在の性②
「性概念のリハビリテーション」
我が国において性同一性障害の概念が人々に認識され始めたのは、長い人間史においてごく最近の事である。
「性別違和(=性同一性障害)」の概念は、肉体の性とこころの性が一致しない状態であると説明があるが、
こころの性とは存在の性ではないかと私は思う。
肉体の性と存在の性とは、どのように違うのだろうか。
肉体の性は種の保存・繁栄を目的とした、女と男のマッチングを前提とし
肉体の性・存在の性①
生物には「生」と「死」があって、生体においては生は偶然、死は必然であった。
偶然の生で始まって必然の死で終わる。
生体には、偶然に始まった生を広く繁栄させる為に、「性」の別が備わっている。
これが生体の性である。
人間という生物には、「性」について2つの概念が備わっている。
1つはこれまでの生物としての生の繁栄を目的とした「生体の性」である。
もう1つは、人間が自らの頭脳で描く、アイデンティテ
肉体の生・存在の生②
私が提唱している「リハビリテーション原義主義」は、存在の生を全面肯定し、かつ重きを置く考えだ。
元々のリハビリテーションの概念は、復権すなわち存在の生の回復という意味であった。
私は「自分らしく生きる価値を復する事」と表現している。
一方で今の我が国で語られるリハビリテーション概念、すなわち、
社会保障における保険医療制度上の医学的リハビリテーションでは、「生体の生」が重視される。
生体の生、す
肉体の生・存在の生①
「2つの死」があれば「2つの生」もある。
死には、生体の死と存在の死という2つの死があると言った。
私は、生きる事にもまた、生体の生と存在の生があると思う。
「死」とは必然であった。
全ての生物に死は訪れる。
「生」はどうだろうか?
生きている事とは、全くの偶然の産物である。
過去に生まれてきた事が偶然の始まりであり、現在進行形の生きている事も偶然である。
未来も生きているだろうか?
これ
FPからリハビリテーション在り方を考えています。
幸福との距離なんですが、お金は幸せに最も近いでしょうか。それは欲しいものが交換で手に入るから。たくさんある方が良い?リハビリテーションは人生の歩んできた中に幸せが結構たくさんあって、本当に欲しかったものはそこにあったよと、知る事
対症療法施策「いま・ここ」偏重の弊害 ①
私たちのまわりでは「今、何が必要か」が偏重され過ぎているのではないだろうか?
私たちはこれまで、あらゆるものが満たされている環境の中で、この素晴らしい環境は永続的だと盲目的な誤解をしてきた。
今日、資源に限りがある事が常識として認知され、その永続性は完全に否定された。
未来への見通しは悲観的なものである。
しかし、私たちはこれまでを悔い改める事はせず、漠然とした不安に駆り立てられて刹那的な消費と過