肉体の性・存在の性③

「性のリハビリテーション」

自分らしく生きる上で、自分らしい性は重要である。性同一性障害という”病態”における「心の性」とは医学的解釈にほかならない。
リハビリテーション原義主義では、”心の性”を「存在の性」と表現する。
”心の性”とは、”心の中の性”と意味取れる。
この心(心の中)という言葉には、「他者や社会が理解できないその人だけが分かり得るもの」とのメッセージが包含されている。
”心の中の性”は主観である。これを客観的に理解するのは無理だ。
一方、「存在」は客観的である。ここに居るという客観的事実である。
本人が主観で訴える性を、客観的に理解する事は人それぞれの自由だ。
重要なのは、理解する(しない)前にまず、ここにその性が事実としてある。という事を「認める」のだ。
他者の「存在」は事実であるので、否定してはならない。
自分も他者も、その「存在」は否定せず、必ず認め合うのだ。
その絶対の約束事がなければ、自分らしく生きる事、苦難に苛まれても再び自分らしく生きる事は困難である。

「存在の性」を認めるとはどういうことか。
それは単純明快だ。
本人の主張する性をそのまま認めるという事である。
「こうでなければならない」との、長らく住みついている固定観念が、性に対する意識には潜んでいる。
自分らしい性の分類が、①男 ②女 ③両方 ④どちらでもない ⑤わからない であって、
それは、相手の性を認める際の選択肢も同様にある。

リハビリテーション原義主義における、最終的な目標は、多様な主観が語る「自分らしさ」を、その人の”真の姿”として、
互いに認め合う事が出来る基礎的な社会価値世界の構築が、個人が苦難に苛まれても、再び自分らしく生きていく事を可能にするというものであるが、
この度の「性のあるべき姿」の相互認識こそは、その入口にある問題だ。
まずは、性からである。
どんな人に対しても、本人が主張する性の姿が、事実存在する事を、互いに認め合おう。
人は、真に持続可能な未来の到来を、可能にするかも知れない。
この問題をクリアして、さらなる進化を遂げたいと思う。


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