対症療法施策「いま・ここ」偏重の弊害 ①

私たちのまわりでは「今、何が必要か」が偏重され過ぎているのではないだろうか?
私たちはこれまで、あらゆるものが満たされている環境の中で、この素晴らしい環境は永続的だと盲目的な誤解をしてきた。
今日、資源に限りがある事が常識として認知され、その永続性は完全に否定された。
未来への見通しは悲観的なものである。
しかし、私たちはこれまでを悔い改める事はせず、漠然とした不安に駆り立てられて刹那的な消費と過剰な保身に走っている。
この傾向は残念ながら、力の強い者に、より色濃く見られる傾向にある。
力の強い者とは、誰の事か、皆さんは察する事ができるだろう。
それは人生において、他者より優位に立ち振る舞う事ができる者だ。
金、権力、才能、暴力等を振りかざしている者の事だ。
本来なら、社会を容易に変容できる程の強い力を持つ者達が、「今、必要なもの」を富の分配からひたすら独占的に奪い集めているのだ。
協調性の未発達な子供が、おもちゃを独り占めにしている構図と全く同じである。
子供なら、過ちを叱って正してくれる母や教師、牧師が存在するが、この社会には誰もいない。
この社会に生きる私たちが過ちを正す仕組みを変えていかなければ、何ら解決しないのである。

悲観的な未来に対し、長い期間(long term)を見据えた創造的思想が軽んじられている。
個人としての存在では、「いま・ここ」の観点に回帰する事で、進むべき道に気付かされる事はよくある話である。
人生を歩む上で特効薬のような存在の「いま・ここ」の観点であるが、こればかり考えているのはあまりに対症療法的で刹那的である。
とはいえ個人に、社会に対する不安感が大きければ、未来創造的思想なぞ生まれるわけがない。
その意味でこの国(社会)のこれまでの社会保障制度があまりにも「いま・ここ」に偏重し、未来創造的思想を具現化してこなかった事は大変罪深い事である。
少子高齢化や経済的危機を迎え、わが国のセーフティネットは破綻の危機に瀕している。
平成24年度の介護保険制度改訂では、地域包括ケアシステムの構築という方針のもと、これまでの公助(生活保護等)や共助(介護保険制度等)ではまかないきれない部分を、自助(自分の事は自分で)や互助(地域住民のボランティア活動)の活性化を図ろうとしている。
自助や互助は国民が自発的に取り組む活動である。国が国民に啓発する上で、制度の調整を図るだけでは国民の自発性は芽生えない。
国による、未来思考なき「いま・ここ」施策の乱発。それは無数の乱発の歴史だ。
いま国は、「自助・共助・互助・公助」を使い分けて、国民に自助と互助で頑張れと言う。
それは間違いではない。
ただ大きな過ちは、
強み・弱みを知った上での自分らしさを成長期からしっかりと心に根付かせて、他者のそれもしっかりと認める事ができる国民を全く育成していないという事である。
SDG’s も急場しのぎの「いま・ここ」発想。
とにかく持続可能な社会が大事です。と
自分の存在の重さと、社会との相互的関わりの大切さを個々がしっかりと心に根付いていないと理解は難しい。
世界共通のテーマとなっているが、
皆さんは日本と日本人が持続可能か、心配ではないですか?
私はその事に大変興味がある。それが日本人のリハビリテーション、すなわち「リハビリテーション原義主義」の提唱である。

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