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空蝉

それでも、そらをもとめ、なく。


とぶための大きなはね、

樹にとどまるための鋭いあし、

なくためのおなか、

栄養を得るための針状のくち、

陽のあたらない、誰も知らない場所で、

生きる備えをする。


長い備えを終え、ようやく、陽を拝むために、

誰にも見つからない場所に、身を置き、

陽が沈むと共に、

誰にでも見つかるような羽を得て、

いのちのこえを轟かせる。


その空蝉ぬけがらには、驚くほど、何も残っていない。


かつてそこにあった、

過去の暗闇も、現在の苦難も、未来への希望も。


ただ、一瞬の時間いのちに置き換えるために、からっぽになった。


これらを、だれがすべて理解できようか。


それでも、そらをもとめ、なく。




最近、将来のことをよく考えるのですが、
度々、ネガティブになっています。

そのたびに、何が私をネガティブにさせるのか、も考えるのですが、
明確な答えがわからないままでした。

ただ、最近、読んだ小説に感化されたのか、



私は、私の過去と向き合いたくない、掘り出されたくない』から、
将来のことを考えたくない、就職活動に身が入らないのかもしれない


ということが、ふと頭をよぎりました。


私は、現在の私を見て、評価してほしい、
と身勝手な思いを強く持っていました。

それは、
過去に自信が無いから、
過去を隠したいから、、、といった考えからでした。

過去と向き合う度に、
その闇の深さにおぼれてしまうのです。

だから、目を逸らして、
本来の私とは、違うことを書いてしまったりします。

その度に、最後に、
こんなの私じゃない、といった葛藤が生まれます。

もちろん、まだ、正直者がバカをみる世の中なので、
少しの脚色は必要ですが、
本当に苦労したこと、頑張ったことは、
到底、他人には理解し得ないとも思うのです。

だから、本当の重みを伝えきれないことに、諦めてしまいます。

そして、所詮、わたしには何もないと自嘲する繰り返し。


でも、過去の延長線上のどこかに、現在はあって、
そして、その先にも、きっと未来がある。

だから、私は、本当にからっぽ、なのではなく、
一瞬先を見るために、脱皮からっぽにする必要があるのだと。


てんかんで苦しみ、大切な人を亡くした過去も、
てんかんへの偏見や差別に負けないように、
見返してやるつもりで挑む現在も、
これから先の未来も、すべて線上にある。


そのためには、
過去の暗闇も、現在の苦難も、
すべて澱も残さず、受け入れ、自分の力にしないといけない

そして、それらを理解してもらえるように、伝えないといけない。


たとえ、バカだと言われようと、
その時間を無駄にしないためにも、
たとえ短くても、少しでも未来を生きるためにも。


時間はかかるかもしれないが、少しずつ、私のペースで、
受け入れ、力にしていこう。

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