日々、カメラを扱う意識
コロナ禍でカメラを購入する人やものづくりを行う人が増えましたが、それによって写真や映像などが安価もしくは無料で使える量が格段に増えました。
筆者は普段から Pixabay や Pexels などでダウンロードをしていますが、数年前に比べてかなり品質と量が増えていたことに驚いたのはつい先日の話です。
スマホの性能も爆上がりしていくにつれ、写真や映像などは自由に使える度合いは増えるでしょうし、「これ、カメラマンに頼まなくても自分で撮れるな」という時代が訪れつつあるのでしょう。
とはいえ筆者的には写真も動画も撮るのが好きなのでその時に個人的に意識してることを書いてみたいと思います。
万葉集のように写真を撮る
写真を撮るというと商業的に撮る”カメラマン”と、作品的に撮る”写真家”というもので分ける事が多いかもしれません。
カメラマンは相手やクライアントのために撮影し、写真家は自分の表現したいもののために撮影を行います。
そして日本で考えると「写真を仕事にする」というと圧倒的に自分の表現を重視した”写真家”よりも、企業やクライアントの要望に応える”カメラマン”の方が食っていく分には儲かる割合は高いでしょう。
結局のところ写真を仕事にしようとするとお得意先だったりフォロワーだったり、人と繋がることが大切だったりします。
さあ、ここまでは一般的な写真で食べている人たちの知識ですが、私はちょっと違った視点で写真を撮っていたりします。
それが「万葉集的に写真を撮る」とか「資料として写真を撮る」という感覚です。
つまり「現代では別に需要はないんだけど、数十年後とかに見返したら誰かの役に立つのでは?」みたいな感じで撮っては配布していたりします。
先程から変なタイミングで写真を挿入していますが、これもnoteの「みんなのフォトギャラリー」で自由に使ってもいいよーということでなるべく載せる様にしているので許してくださいね。
スマホ持ってる人全てが ”カメラマン” とか "写真家" というとあまりピンとこないかもしれませんが、スマホで撮った写真が数十年後の資料になると言われると誰にでも可能性があるのではないでしょうか。
何気に撮った動植物が実は数年後に絶滅してしまったり、なんとなく撮った街並みが災害で変わってしまったり、人は”今が一番若い" ので若いときの写真というのはその時にしか撮れなかったり回数制限があるものだったりします。
そう考えるとなんとなく撮った「コンビニ来た。」みたいなしょうもない写真でも、AIの解析に役立ち数十年後に便利な世の中になったり、コンビニデザインが変更になった際に「昔のコンビニの様子」みたいに資料として使われる可能性があります。
(ちなみにセブンのロゴは佐藤可士和さんのデザイン)
映像はどこが役立つかわからない
映像編集の傍ら動画を撮影したりするのですが、後からアイデアが浮かんだ際に「あの時の映像使えるじゃん!」という場面は多々あります。
例えば友人となんとなく撮影した映像をその友人が結婚するときに編集して流してサプライズをしてみたり、適当に作った作品が著作権が切れた頃に天才クリエイターの手によって新たな作品として生まれ変わるかもしれません。
(↑1940年代に作られた映像資料が元になったMAD動画。)
「どこで僕らが撮った映像が掘り起こされるか分からないから、とりあえずカメラ回すんだ!」という意識ではありますが、幸いなことに現在では映像に関してはYouTubeでは無限にアップロードしても無料なのでとりあえず色々とアップすることにしています。
つまり目的が「蓄積」であり、「評価」ではなかったりします。
「評価」は一目でわかりやすく一時的な快楽をもたらしますが、結局のところ私自身は「明日死ぬかもしれない」とか思ってたりするので「積み上げる」というところをより意識しながらカメラを触っていたりします。
そう考えると人の評価を気にして動かないよりも、今すぐ何かを積み上げようという気にはならないでしょうか?
という事でここで載せた写真たちも誰かの役に立とうが立つまいが、リスがドングリを土に埋めるがごとく淡々とやってみようかなと思っていたりします。
まあ、本音を言えばそんな意識を毎回持ってるというより、単に写真とか動画撮りまくるの好きで、せっかくなら誰でも使えるように載せとこうくらいし思ってませんけどね。
最後に他人のペットの肖像権を侵害して終わります。