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フィンガー シークレット

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連続小説です。
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記事一覧

フィンガー シークレット «chapter 1»

律子は、綺麗な指の男性が好きだ。 そう、綺麗な指。 節が目立ちすぎず、しなやかな流れと長さがあり、丸みを帯びた長方形の整った爪がそそと控える。 その指をもつ手には、その指にふさわしい甲の厚みと大きさがある。 その指をもつ人には、その指にふさわしい穏やかさと気高さがある。 きっと。     ・ 中学2年生の時、同じクラブのそこそこ仲良しの友達が言った。 「指の綺麗な男の人って、いいよね」 え、指? 男の人の指? 律子の動きが一瞬止まり、伏した目が隠れ泳ぐ。 カッコいい

フィンガー シークレット «chapter 2»

旧友の白川と疎遠になったのち、律子は2人の女友達に恵まれた。 広い大学、多くの学生、そのなかで無事に類は友を呼んだのだった。自分が心地よく息のできる陣地を確保できた律子は、その後は特に大きな事件もなく卒業を迎える。 問題だったのは就職についてだ。 当時の女子大生の就職は、なかなか大変な時期だった。できたての男女雇用機会均等法に社会はまだ右往左往していて、4年制の大学を卒業する女子を企業側もどう雇えばいいのか迷っているように見えた。 短期大学の女子学生は、従来通りの事務職扱

フィンガー シークレット «chapter 3»

響子の未来のボーイフレンドの話題が出て数日たったある夜、奏子が律子の部屋に来た。 「お姉ちゃん、今ちょっといいかな?」 6歳離れの双子の妹たちは、律子にとっては純粋にかわいい存在だ。 両親と3人暮らしだった日々のなかで2人の妹ができ、家は突然賑やかになった。律子は嬉しくて仕方がない。 ミルクをあげるにも、おむつを取り替えるにも、沐浴をさせるにも、母は一度に2人を相手にはできず、そんな母の傍にいる律子は、自ら進んで妹たちの世話をした。 まだ小学1年生だったけれど、 「なん

フィンガー シークレット «chapter 4»

ハル。 名前は、柳晴彦。 一昨年の8月半ばに、地方の支店から本社の経理部に転勤になってきた人だった。当時入社5年目、律子の4年先輩だ。 廊下で突然「よう、りっちゃん」と言われた時に、律子が誰なのかわからなかったのは当然だったかもしれない。柳の本社での勤務はまだ半月ほどだったのだから。 席にもどった律子は、馴れ馴れしい男性が誰だったかをはっきりと思い出した。 「テニス部の柳さん。この前の歓迎会の人だ」 律子は入社後、所属する総務部の先輩に誘われ硬式テニス部に入った。部員

フィンガー シークレット «chapter 5»

「ハルさんて、確か東北出身でしたよね? 言葉に全然出てませんね」 テニスコートの脇にある藤棚の下で、律子の同期の男子部員が尋ねた。 そうか、東北なんだ。東北ってどこの県?律子はそっと思う。 「んだんだ、あぎただ。あの、おっがねなまはげのとごだ。  泣ぐ子はいねが~?悪い子はいねが~?」 突然、柳が大声で言った。一瞬の沈黙。その後、大爆笑が起こった。 律子は生まれて初めて聞く生の秋田弁に驚いたが、気が付くとお腹を抱えて笑っていた。 「ここは東京だから、一応、気取らないと

フィンガー シークレット «chapter 6»

4月になり、奏子と響子は大学生になった。 2人の進んだ大学は別々で、初めてお互いを意識しない学生生活。以前、律子のところに相談に来た時はちょっと元気のなかった奏子も、すっかり明るくなり、毎日が楽しそうだ。 ハルと最初のデートをしてからひと月。律子の25回目の誕生日が来た。同じ日比谷のレストランで食事をし、ハルはプレゼントをくれた。 「指輪はサイズがわからないから、来年は一緒に見に行こうな」 あっさりとしたハルの言葉や態度が、律子には気楽だ。シンプルな包装の箱の中には、キ

フィンガー シークレット «chapter 7»

銀杏の葉の色が変わりだした頃、律子はハルに結婚を申し込まれた。 律子は震えた。 嬉しさに、愛しさに、胸が震えた。自分のような、ちっぽけな人間をそのまま全部受け入れてくれ、これから先もずっと寄り添ってくれる、その決心をしてくれたハルへの感謝の気持ちで震えた。 ハルと一緒なら、律子の生活は安堵と微笑みに満ちた日常になる。律子には確信があった。 自分の人生を考えろ、律子。 勇気をもって一歩を踏み出せ。 今までの自分から卒業するんだ。 それが大人になるということだ。 どこかから

フィンガー シークレット «chapter 8»

律子は、ハルに家でのことをありのままに話した。 ハルはしっかりと律子の目を見つめながら、最後まで静かに聴いた。ただ、その後、すぐに言葉は続かない。 2人だけの時間に起こった珍しい沈黙。ハルは煙草に火をつけ、壁を見つめた。 ハルの煙草を持つ手は美しい。軽く煙草を挟む人差し指と中指、そこに軽く添えられた親指。テニス部の仲間たちと、たまに吸う姿を見かけたことはあったけれど、律子と2人だけの時はこれが初めてだ。律子は吸い寄せられるように見つめる。 このような緊迫した状況の中でも

フィンガー シークレット «chapter 9»

26歳の誕生日が過ぎ、律子は就職活動を始めた。新聞の求人欄を調べ、ハローワークに通い、自らの力で仕事を探す。 律子は強くなりたかった。父の中の弦が、どれほど奇妙な音を鳴らそうとも、動じない自分になりたかった。 5月の末、律子は法律事務所の事務として職を得た。新しい律子がそこにいた。 再就職の初日、律子は多忙だった。小さな法律事務所は、慣れた事務の女性が突然退職したために、律子を待ちわびていたのだ。容赦ない量の雑用が、律子を迎える。だが、その状況は律子にはありがたかった。

フィンガー シークレット «chapter 10»

「お父さん、お母さん」 響子の爆弾投下が始まる。 父と母は、響子を見た。響子は躊躇なく続ける。 「私、結婚することにしたわ。お相手は、会社の人。歳はお姉ちゃんと同じで、今年29歳。名前は、近藤繁。そう、お父さんの会社の常務さんの息子よ」 父の「えっ」という声。 「近藤さんのところは、男3人兄弟でね、繁は歳の離れた三男で、家に縛られる必要は全くないの。だから、うちの婿養子になっても全然かまわないそうよ。あちらのお父さんも、栗原君のところなら問題ないって仰ってたし。別にこ

フィンガー シークレット «chapter 11»

4月、律子は週末に新幹線に乗った。降りたのは、秋田駅。まだ雪が隅に残る駅前のロータリからバスに乗る。向かう先は、星が丘という停留所。 ハルから、その名を聞いた時の記憶は今だ鮮明だ。律子はその美しい響きから、物語の中の地名のように感じた。 「本当にあるのさ。だって俺が育った町だから」 ハルは言った。 星が丘。ハルは、その町で多くの時間を過ごした。楽しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、悲しいこと、多くを経験し吸収した。そこにハルの原点がある。律子はいつか行ってみたいと思った。

フィンガー シークレット «Last・chapter 12»

ハル。 あなたのいない春の季節を幾度か繰り返し、ようやく私は、この街に来ることができました。 随分と時間がかかってしまいましたね。 今、私が吸っているこの空気は、あなたが今吸っている空気ときっと一緒。 そう確信できます。 あの公園の緑を遠くに見た瞬間、遠い記憶の中にいたあなたが、すぐ近くに蘇りました。 そして、あなたの手の温もりも。 あの頃、あの木々の間を、あなたは私と歩いてくれると言った。 私を守って、ともに歩んでいこうと言ってくれた。 あなたの覚悟は本気だった。 で

フィンガー シークレット «あとがき»

フィンガー シークレット、全12話、約3万文字の連載を無事終えることができました。 最後までお読みくださり、本当にありがとうございます。 《短編小説背景》 今回の短編小説は、今から10年程前、私が母の介護と家のことで身体的・精神的に非常にキツく、しかも外出もままならない状況のなか、どうにか自分の精神バランスをとる方法はないかと模索した結果書き始めた、同名の作品が元になっています。 当時は note というプラットフォームは当然なく、FC2というブログサービスにてアップし