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キーマカレーのニンジンが大きくたって構わない、という話。

私はかなり最近まで、料理が苦手だった。

いや、それなりには出来た。食べられないようなものを錬成した経験は特にないし、高校あたりからはケーキも焼けた。
私のこの「料理が苦手」は、先日書いた「絵が苦手」と、ほぼ同じ経緯・理由による「苦手」である。

数年前にガスオーブンという神器が我が家に登場したために、「パンやピザを焼く」という上級者の香りのする(!)スキルを会得した私は、「料理は、やる気になれば結構出来る」という自信を手に入れた。

……のだが。元々食べ物への興味が薄く、好き嫌いも激しく、何よりも面倒臭がりで、しかも趣味がゲームと書く事という時間泥棒系である私は、どうも料理に情熱をかけ続けることが出来ない。
やー、料理より楽しいことがいっぱいあるのが悪いんですよ。私が悪いんじゃないんです。えぇ本当に、一日が24時間しかないのも悪いですね。困ったもんです全く。

というわけで、我が家の食卓はかなり、常時手抜きだ。
調理の工程は少なければ少ないほどいいし、使う材料の種類も少なければ少ないほどいい。シンプルイズベスト。
夕食の支度にかける時間は平均15分。パックから肉を出す、焼く、盛る、食う! レタスを洗う、ちぎる、盛る、食う!という感じの、素材の味をダイレクトに味わう漢飯が基本である。

なので、先日書いたお好み焼きなどは、かなり当社比としては複雑で高度な調理工程を経た、「凝った料理」の一つだ。
そしてもう一つ、調理に30分以上かける「凝った料理」がカレーである。
カレーを作るにはそれなりの時間がかかるが、鍋いっぱいに作れば、夫はカレーが無くなるまで何日でも喜んで食べ続けてくれるので、トータルで見ると非常にタイパが良いのだ。

母が台所を担当していた頃(下剋上イベント以前)は、母の主婦道に反するためかカレーは少量ずつしか作られていなかったのだが、夫はカレーが無くなる度に「え、明日の分のカレーないの?」と真面目にガッカリしていた。なので私が台所を握るようになってからは、毎回鍋いっぱい作って鍋ごと冷蔵庫に保管するスタイルになり、夫はカレーを3日か4日満喫して、カレーを普通に食べ飽きる常人である私と息子は、3日目には別メニューを食べる形で落ち着いている。

そのカレーを、数週間前に作った時の話だ。
夏場なので傷みを気にして、私はジャガイモを省略したキーマカレーを選択した。ジャガイモの皮を剥くのが面倒だからではない。ごめんなさい嘘つきました、面倒だからです。
ルーは「こくまろカレー・甘口」。具材は挽肉と、ニンジンとタマネギのみ。挽肉にサイズ感を合わせるために、タマネギはみじん切り、ニンジンは1cm前後の角切りにする。

……べきところを、息子による「カービィ敵キャラクイズ」への回答に脳のリソースを使わされたせいか、ゴロゴロ野菜カレーのサイズに切ってしまった。しかも、鍋に水を入れてぐつぐつ煮はじめ、アクを取る工程までそれに気付かなかった。

やっべ。どうしよ。

みぞおちをヒヤリとした感触が流れ、動悸が始まると同時に血の気が引く。脳内で母親が「何やってるの全く、ボーっとしてるから!!具材の大きさぐらい揃えなさい、料理の基本でしょ!!」とぎゃんぎゃん怒鳴り始める。

どうしよう、どうすればいい?今から具材を取り出して、細かく切る?
いや、沸騰している鍋から取り出したニンジンを、それも中途半端に外は加熱されて内部は生という状態のものを、上手く切れる気がしない。熱すぎて片手で押さえられないだろうし、包丁だけで切るのは至難の業だろう。実際問題としてほぼ不可能だ。
でも、出来ないからといってそれで良いのか。キーマカレーなのに、あらびき肉がざらざら入っているのに、ニンジンやタマネギが20倍ぐらいの体積でゴロゴロしているのを、もし母に見られでもしたら――

――いやいや。カレーにはなるんだし、「別にいいじゃん」って言い返せばいいだけでしょ。いけるいける。

「のんきな私」がお気楽にそう言って、私はテンパりかけた思考から引き戻された。
なお、この「のんきな私」は、毒親育ちを自覚したあたりから、脳内で徐々に幅を利かせるようになってきたインナー私だ。口ぐせは「別にいいじゃん」と「いけるいける」である。

まぁ今回は仕方ない。次は気をつけよう。
やや冷静になり、そう落としどころを付けながらカレーを完成させた私は、その日の夕食にしれっと「ゴロゴロ野菜のキーマカレー」を出した。息子も夫も、具材のサイズになどそもそも注目しなかったようで、何のツッコミも入らなかった。

――あれ。もしかして、キーマカレーだからって細かく切らなくても……別に問題なかったりする……?

私の「血の気が引くほどの失敗」は、実はめちゃくちゃ些末な事だったのだろうか。
自分の価値観に自信を持てなくなった私は、ゲーム内の友人に「今日カレー作ったんだけど失敗してさ」と話してみることにした。

「え、火が通ってれば大丈夫じゃない?気にしたことないけど。失敗でもなんでもないでしょ」

そ、そうだったのか……!!

「のんきな私」の意見を採用はしたものの、その後も結構な重さで反省し、次回に向けた再発防止策を立てようとしていた私は、目からボロっとウロコが落ちた。
勿論、これは友人一人の意見であって、世の常識とは限らない。だが、「カレーの具材の大きさなど、そもそも気にする必要がない」という家庭も世の中には存在するという、驚愕の事実が発覚したことは確かである。

って、ちょっと待ってくれ。
となるとアレか?例えば次にキーマカレーを作る時にタマネギをみじん切りにしなくても、なんなら私の気分でニンジンをぶつ切りにしようがイチョウ切りにしようが、極論問題ないと……!?

「逆に何が問題なの?食えればいいでしょ、店に出すんじゃあるまいし」

確かに―――!!!

心の底から納得した私は、「次にキーマカレーを作る時は、具材の大きさを間違えないように気をつける」と書いてあった脳内メモにグイッと取り消し線を引き、「次にカレーを作る時は、その日の気分で具材を適当に切る」と書き直した。

そして、昨日。
「そこそこ小さめに切ったニンジンと、ザク切りのタマネギのキーマカレー」を作った私は、玉ねぎのみじん切りの苦行を味合わないままで、カレー作りを終えた。
当然というかなんというか、息子も夫も「わーい、カレーぽよ!」「お、カレーだ~」以外の感想を言うことなく食べていた。私も食べた。特に何も問題ない、どこまでもごく普通のカレーだった。

なるほどーーー!!である。

長年、「その日の気分で」という言葉は私の憧れだった。
「気分」というものが昔からピンと来ない私には、これがどういう時に使える語彙なのか、今一つ意味が分からなかったのだ。

だが、分かった。
例えば「キーマカレーを作るんだけど玉ねぎのみじん切りはしたくない」とか、「やる気がある/ない」とかそういう時に、これは使って良い言葉なのだ。きっとそうだ。

――今後の我が家のカレーの具の大きさは、その日の私の気分で可変とする。
――そして、それ以外の料理においても、食感などに大きな問題が出ない範囲で、同様とする。

この新ルールの制定により、私は今までよりももう一段階、「料理が好き」に近付けるかもしれない。
どうあれ、カレーの登場頻度は今より下がりはしないだろう。
タイパが一層上がったカレーは、今後の私のQOL向上の強い味方となるはずである。

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