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【#Real Voice 2022】 「自主練は自己満か」 3年•小泉和

訳分からんくらいの「圧倒的劣等感」と「圧倒的絶望感」を感じた大学1年時。

2年目にして初めての公式戦。自分が出場してから逆転され敗北し、またしても絶望を感じた大学2年時。

練習試合で同じ相手に2度抜かれ、7分でインアウトし、さすがにつらすぎて絶望に絶望した大学3年時前半。

そして、清井(2年•清井大輔)という天才のおかげで得点を取れるようになった大学3年時後半。



今までをざっと振り返るとこんな感じだろうか。

今までは部員ブログにア式に入る前のことを書いていたから、今回はア式に来てからの話を書こうと思う。


そして、本ブログでは【訳分からんくらいの「圧倒的劣等感」と「圧倒的絶望感」を感じた大学1年時】の中から話をしようと思う。

時は約2年半前にさかのぼる。

2020年9月12日(土)東京農業大学との練習試合(当時、自分は大学1年生)。

2本目の30分から出場した。

その試合後に、外池監督に呼び出され、


「自主練が自己満になっていないか?」


と会話の中で投げかけられた。

この言葉は胸の奥に引っかかった。


どうして、こんなにも日付から時間まで覚えているのか。

それは、当時主将であった杉山耕二君(令和3年卒・ヴェルスパ大分)とのLINEを見返せばすぐわかる。(以下、杉君)

あることをきっかけに、杉君と毎日LINEするようになり、その日も監督の言ったことを杉君に伝えていたからだ。

おっと、「今後の人生含め尊敬する人ベスト5」に入るであろう大尊敬する先輩の話をこれ以上すると脱線してしまうので、今回はここまでにしておこう。

正直、杉君の話をすれば2000文字は軽くいくだろうが、またの機会にとっておく。


話を戻して、「自主練は自己満か」

当時を思い出しながら、考える。

小、中、高とトレセン経験はないし、全国大会には遠い存在で、いけても県大会レベルのチーム出身の自分は、

みんなが想像できるように、ア式に来てからは、正直めちゃくちゃ辛かった。

圧倒的劣等感の日々だった。

毎日、吐きそうなくらいメンタルも身体もズタボロな自分は、必死に追い付こう、追い越そうと、「うまくなるために」、「プロになるために」自主練をあほみたいにやっていた。

(そんな自分がどうしてア式に来てプロを目指しているかは、1年のブログを見てください)

ランテストに合格し、初めて参加する練習前の挨拶で「プロ志望です。」と言い放った時からア式の生活は始まった。


大学1年時は東伏見から1時間半くらいかかる自宅から通っていた。

1年時は練習の準備があるから14時くらいにはグラウンドにつき、16時前後に練習が始まる。そのため、家を出るのは12時半くらい。

そして、練習が終わるのが大体18時半くらい。

そこから片付けなどをして、19時から自主練は始まる。

21時前までは、パスコンやロングキックなどのボールを使ったもの、ステップ系でアジリティ系のものをやっていた。21時にグラウンドの電気が消え、そこから体幹系と上半身の筋トレ。

そのあと、21時47分の東伏見発の準急に乗るために急ぎ足で片付けと着替えを行う。
(調べたら今はダイヤが変わっていて存在しない。)

家に着くのは23時半前くらい。

そこから母が作り置きしてくれていたご飯を食べ、お風呂に入り、深夜1時。
そこから、寝る準備や課題をやって、寝るのは2時過ぎ。

くたくたな自分は10時くらいに起きて、2時間半後電車に乗り、また練習に行くというようなライフサイクルを送っていた。


毎日必死だった。

プロという基準と自分の基準があまりにもかけ離れていて、練習をするたびに課題が見つかって、また見つかって。

その課題をクリアするためにと、自然と自主練のメニューや時間も増えていった。

1年時の自分

正直、自主練をする時のメンタルは限りなくマイナスであった。

自主練をする前の、チームの練習。へたくそすぎる自分はミスの連発。
だんだんとメンタルがマイナスになっていく。
さらに追い打ちをかけるのは周りからの声や目線。
メンタルをズタボロにされた状態で練習が終わる。

そのメンタルで自主練が始まる。

プロになるために。

うまくなる。

もっと  もっと    

うまくなる。



最初はそう思っていたのだが、

だんだんと

少しずつ

変わっていく。


周りに言われないように、

周りの足を引っ張らないように

うまくならないと。

もっと長い時間練習しないと、

そして、21時47分発の電車に乗って、ふと思う。

今日も頑張ったな。


あの時、

「自主練が自己満になってないか」と言われた時、

はっきりと、「違います」と否定できなかった。

言われた時、焦った。

悔しかった。

絶望した。

自分の自信となっていた部分の自主練を否定されたようで

訳が分からなかった。

そう感じてしまっている時点で自分は弱かった。

監督の言う通りであった。

最初はそんなつもりではない。ただ純粋にサッカーがうまくなりたいと思っていた。プロになりたい。


それしか思っていなかった。


しかし、だんだんと追い詰められていった自分は、自主練を、頑張っている自分の安定剤としていた。

監督の一言で、自覚した。

認めたくなかったし、否定したかった。

しかし、

いつの間にか


「自主練は自己満と化していた」


でも、ふと思う。

もし、自分があの自主練で結果を出していたならば、たとえそれが自己満であっても、肯定されたのだろうか。


自分の成長のため、何かを叶えるために行う自主的な活動で、もし結果を伴わなければ、それは、自己満だったと片付けられてしまうだろう。

そう思うと、世の中、結局結果だなと感じてしまう。

田部井悠君(令和4年卒・ザスパクサツ群馬)も言っていた。

勝てば肯定されて、負ければすべてが否定される。


極論結果。


でも、その考え方に新しい光を与えてくれた人がいる。

1年時の副将である山田晃士君(令和3年卒・ザスパクサツ群馬)である。

去年の11月。山田晃士君が練習に顔を出し言っていた言葉がとても印象に残っている。

「結果だけじゃない。『過程』や『在り方』がもっと大事。」

プロを約2年間経験して感じたこととしておっしゃっていた。

結果は自分でコントロールすることができない。でも、コントロールできる部分の「過程」や「在り方」にこだわる。

晃士君が、自分の手を握って言ってくれた。

「正直、今の状況で和が結果を出すのは難しいと思う。でも、和の『過程』や『在り方』に期待している。」と。

新たな光をみた。


自分がどのような人間で在りたいか


きっとこれも、結果が出なければ自己満と片付けられてしまうかもしれない。

でも、せめて、自分だけは、

自分の「在り方」や「過程」に誇りを持ちたい。


自己満でもいいんじゃないかと思う一方で、

自己満だと言われたらいい気はしない。

寮の同部屋の中谷(3年・中谷颯辰)と会話を交わしたが、自己満の良し悪しはわからない。

こんなにダラダラ書いているが、結局「自己満ってなに?」という思考の無限のサイクルから抜け出せなくなってしまったので、本ブログはここまでとする。
ここまで、読んでくれた人には申し訳ない。

「自己満」や「結果論」について熱く語りたい人はご連絡ください。

外池監督の言葉には、本当に考えさせられた。

自主練の在り方について改めて考えるきっかけとなった。

弱い自分を受け入れるきっかけになった。

自主練に限らず、意思を伴う行動には「自己満」というものが潜んでいる。

その存在を認識し考えることができただけで、自分にとっては収穫である。


そしてやっぱり、晃士君の言葉が1番腑に落ちた。


あと1年「結果」にはこだわりたいし、大事にする。


でも、それ以上に、「過程」や「在り方」を大切に。


きっと、今までの絶望も過程なのだろう。

だから、その経験すら大切に胸にしまっておく。


自分が1年時の4年生の、一つ一つの言動が自分には響きすぎているのかもしれない。

そして、もうすぐで、新シーズンが始まる。当時の4年生には到底敵わないが、彼らのようなかっこいい先輩になれるように、



あと1年頑張ろう。




もしかしたら、この部員ブログも自己満なのかもしれない。

◇小泉和◇
学年:3年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:横浜サイエンスフロンティア高校

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