マガジンのカバー画像

Wakkoの人生を振り返り中

6
Wakkoの人生を振り返っています。
運営しているクリエイター

#エッセイ

生きていた。35年以上、行方知れずのおじさん。

生きていた。35年以上、行方知れずのおじさん。

私にはたぶんADHDだと思われる母がいることは、こちらでご紹介しました。

AHDH母には2人の弟がいます。上の弟さんは、私の実家の近所に、彼の母親(私の祖母)と一緒に住んでいました。林業で働いていたので、この文章では、上の弟さんのことは、キコリンと呼ぶことにします。ちなみに、母方の祖母は、数年前に亡くなりました。

そして、キコリンには弟がいます。キコリン弟には、私が小さい頃、一度だけ会ったこと

もっとみる
[4]祖母のこと。戦後開拓。戦争の傷跡を引きずる我が家。

[4]祖母のこと。戦後開拓。戦争の傷跡を引きずる我が家。

まだ、母のことについても書きたいことはありましたが、ここで祖母(父方)のことを書きたいと思います。

祖母は私が中学生の頃に、確か74歳だったと思いますが亡くなりました。私の祖母は、戦後開拓でこの土地に移り住んだ入植者です。祖母は、戦争で一人目の夫を亡くしており、この土地には二人目の夫と入植しています。

「ばあさんは二人目の旦那のことは、あまり好きでねがっだと思うぞ。」と、父の姉さんが言ってるの

もっとみる

[3]お母さんはADHD。ゴミ屋敷編。

前回、我が母をご紹介しました。

母のADHDについて今回は綴ってみます。

私は子供の頃から母はおかしな人だと思っていました。妹にこういうと、妹は「そんなことないよ!」といつも母の肩を持つのでした。でも、母がADHDだと気付いたのは、妹でした。妹は自然療法の勉強をしていて、その時にADHDについてもクラスで話題になったそうで、すぐに「お母さんのことだ。」と気付いたそうです。

妹が「お母さんはA

もっとみる

[2]土木作業員&ADHDな母

こちらで父の紹介をしました。

どうも、父は仕事もパチンコもうまくいかず、ある時から家にお金をほとんど入れていなかったようです。母は、土木作業員や深夜の交通整備員の仕事をして、私達子ども4人を育て上げました。私達が自立した後も、そうやって、お父さんの面倒をみていたようです。

いつだったか母が私に言っていました。

「男はいらないよ。男がいなくても子供は育てることができるから、子どもを産んで帰って

もっとみる