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狭山クッションの会(岩瀬直樹主催教員研修)に参加してVol.2

Vol.1の続きを書きたいと思います。
狭山市クッションの会とは岩瀬直樹さんが主催する狭山市近郊にお住まいの教員向けの研修です。とはいえ、神奈川や千葉の方からも参加者がいらっしゃいます。詳しくはこちらで↓↓



1 チョコレートを題材にしたテーマプロジェクト

午後一発目は、チョコレートを題材にしたテーマプロジェクト。

手渡されたチョコレート菓子


岩瀬さんからチョコーレート菓子が渡されました。
これからチョコート菓子のパッケージにどのような情報が書いてあるか調べてみようとのこと。
正直、これが一体どんな意味を持つのかわからない僕は、そんなに乗る気じゃない気持ちでチョコボールのパッケージを調査してみた。

チョコボールは準チョコレートだった!?

子どもの頃からチョコボールが大好きだった僕は金のエンジェルや銀のエンジェルを集めていたなぁ、なんて思いながら見ていると、あれあれ…。「準チョコレート」って書いてある…。チョコボールってチョコじゃないの?
さらにはキョロちゃんの嘴付近にストッパーなる新しい機能までついてるじゃないか!
しかもチョコボールの箱を2個使うとガチャガチャができるらしい!
いやぁ進化したなぁチョコボール。
なんて思ってたら、「カカオマス」とか知らない単語もたくさん書いてあった。

他のメンバーと互いに気づいたことについて聴き合っていたら、共通してある情報もたくさんあった。アレルギーについてとか。

でも、やっぱり「準チョコレート」や「カカオマス」が何かわからない…。
配られたお菓子を食べながら、味もカカオのパーセントが高いと苦いんだねーなんていいながら違いを探っていると、岩瀬さんが一冊の本を読み始めた。

「ひと粒のチョコレートに」

表紙がおしゃれなチョコートの本。この本を岩瀬さんが読む。僕らはメモをとって必要な情報を集めるとのこと。その際のポイントは、キーフレーズのみ書き出していくこと。とにかく書くこと
僕はメモしながら、え!そうだったんだ…!と思うような情報ばっかりで驚いた。ここら辺からかな?いつまのまにか、身体が前のめりになっていたのは。途中で、岩瀬さんが焙煎前のカカオと、焙煎後のカカオを食べさせてくれた(決しておいしくはない笑)。

チョコートになる前のカカオ①
チョコートになる前のカカオ②

この絵本には、カカオを収穫するところからチョコートとして店頭に並ぶまで、事細かに記されていた。でも、ただ情報を聴いているだけじゃない。根底にあるのは体験だ。

(このインストラクションは、軽井沢風越学園で実際に実施したプログラムをもとに行ったものらしい。)

この一連の活動をふりかえることになった。
ふりかえる際に使用したアイテムは、先日軽井沢風越学園から出版された「プロジェクトの学びでわたしをつくる」だ。

その巻末に、カードが付録のような形でついている。

探究スキルカード

これらは、探究に欠かせないスキルをカード化したものらしい。これらを視点に、①自分はどのカードのスキルを使ったか。②それぞれのカードのスキルを使ったときのモチベーションの高さを表す
とのこと。
自分は「情報を探す ピッケルポックル」を使っている時、つまり、岩瀬さんの読み聞かせから「そうだったんだ!」と思ったときが一番身体が前向きになった気がした。それまでは、やらされ感が強めの感じであまり乗る気じゃなかった。
子どものやらされ感ってこんな感じなのかなぁって自分の子どもの頃を思い出した。そうだったなぁ。授業、つまらなかったなぁ。授業って受けるものだったもんなぁ。

テーマプロジェクトを進める時には、こういったアンカーイベント(原体験)を大事にされているのだろうです。

2 学ぶってどんなことだろう グループ対話

改めて、「学ぶ」ってどんなことだろうという問いが投げられた。
佐伯先生の「学ぶということの意味」という本の中で、佐伯先生は「学びがいのある世界を求めて少しずつ経験の世界をひろげていく自分探しの旅」と書いていたけど。

学ぶって改めてどういうことだろう。僕の今の考えとしては、学ぶ=「更新」かなぁと。自分をアップデートするイメージ。それは何か新しいことを知ったり、できるようになったりすることといえばなんだか前向きなものにしか聴こえないけど、自分のできないことを知ることもある意味自己の更新につながると思う。自分を取り巻く様々な関係について、自分の中での意味づけが変わることかなぁ。伝わるだろうか。

次の問いは「子ども時代に大切な経験」ってなんだろう?だ。
僕としては、やっぱり「自己実現」かな。子ども時代って小学校に入ると、あれしちゃダメこれしちゃダメが多すぎる。授業も一つのレールしかなくて、みんなその狭いレールの上を走らされる。その狭いレールの上では自分が何者であるかなんて関係なく、競争の世界にさらされる。だってみんな同じことを同じ方法でやってるんだもん。比べたくなくても比べちゃうよね。
自分が自分のままでいい、自分のしたいことを認めてくれる。そんな経験が僕は子ども時代にたっぷりあったらいいなと思うよ。

3 ある授業実践をみて

次はある実践動画をもとにするか、Vol.1でも登場した「自分をいかして生きる」を読んでいくか、希望で別れることになった。

僕は実践動画をもとにして、研修して行く方にした。
実践動画は編集されていて短いものだったが、子どもたちの活動の様子と教師のあり方がわかるものだった。
一人ひとりに付箋と模造紙が配られた。付箋にはとにかく事実のみを記入する。ひたすら記入する。その後、解釈を模造紙に付箋を貼りながら記入していくという手法で進んだ。授業を拝見していると、ついつい事実と自分の解釈が入り混じってしまう僕にとってこの手法はなるほど。情報を整理しやすく、わかりやすい。自分も研修の場をつくるときにはこの手法を取り入れてみようかな。

この授業の先生のあり方は、参考になる部分が多かった。この動画に登場する先生は、余計なことは一切言わない。子どもの気持ちに寄り添い、聞かれたことに応えているだけ。最低限の安全を担保しながら、子どもたちはその中で自由に活動していた。そこに教師のもっていきたい方向性みたいなものは感じなかった。最低限の枠組みの中で、子どもが活動する。そんな教科の時間だった。もはや「授業」ではない。子どもたちは「受」けていない。

4 終わった後に…

気づけばあっという間の10時間!

夜はそのまま残った人でアーダコーダ話したんだけど、
今日1番の問い、
「『教科の探究』と『テーマプロジェクトの探究』って何が違うの?」
が生まれた。

中々考えがいのある問いでしょう⁉️皆さんはどんな違いがあると思いますか?

みんなここからアーダコーダたくさん話し合った。岩瀬さんはニコニコしながら聴いていたんだけど、岩瀬さんはどう考えているのか。なんか、話しててなんとなく、きっとそうなんだろうと納得できたこともあって岩瀬さんには何も聴かなかった。岩瀬さんがなんと答えても、それが正解とは限らないからね。

僕は、自分の所属する学校をどれだけ子どものものにできるだろうか。
自分にできることは何か。周りのせいにせず、自分ができること最大限取り組みながら、周りの人の助けを借りつつ、仲間と一緒によりよいものを目指して突き進んでいきたいな。柔軟に物事を捉えながら。しなやかに。


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